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 魔術とは、読んで字のごとく魔力を扱う術を指す。

 魔力とは、目には見えない頂上の力の波動であり、体内を循環するとともに、呼吸や飲食によって体内に取り込まれるものでもある。

 魔術を行使する際には、特殊な呼吸法で大気中の魔力を吸い上げ、さらに体内で増幅・高速循環させる必要がある。

 そのために必要なのは、体力づくりと平常心を保つことである。

 これらを保てないのであれば、どれほど知識があろうが、希少な属性の才覚があろうが、強力な触媒を持とうが、宝の持ち腐れになってしまう。

 それはわかる。わかってはいるのだが――


「――クソッ……」


 アラビヒカ政庁の一角、修練場の片隅でリンキーは舌打ちを漏らす。同時に、漏れた悪態を隠すように口元を覆う。

 他に誰もいなくてよかった。魔術を行使する場で、平常心を保てないなど、お笑い草だ。

 平常心を保てない原因はわかっている。ジョナサンだ。魔術以外に取柄がないリンキーは、下流貴族でも可能な範囲でその際を伸ばし、もともと強くなかった体を鍛え、学院を最優秀の成績で卒業し、着任当初から第三階級という出世コースを歩んできた。

 にもかかわらず、そんな自分に奴は「練習しろ」などとのたまった。彼はもちろんリンキーの事情など知らないだろう。だからこそ腹が立つ。もちろん、才能や生まれを鼻にかける連中も気に食わないが、それ以上にまるで自分が彼に勝機があるような物言いが気に入らない。まるで、子供のへたくそな騎士ごっこを天才だなんだとほめる無責任な大人のようではないか。

 しかし、それ以上の憎悪は沸いてこない。むしろ、ひどい自己嫌悪に襲われる。


「帰るか……」


 これ以上は集中しようとしてもできないだろうと感じ、リンキーはいそいそと帰り支度を始める。


(何をしているんだ。俺は……)


 あんなにあっさり嫉妬心は引っ込んだというのに、自己嫌悪は収まらない。


(こんな顔していては、帰っても辛くなるだけだな……)


 家で待っている者のことを考えると、さらに気が沈む。

 そんなことを考えていると、いつの間にか家の前についてしまっていた。


「ただいま戻りました……」


 重い心持そのままの中に、恭しさを含ませて北区の挨拶をする。


「まあ、お帰りなさいませ!!」


 帰ってきたのは、少女の声――この地を収めるバルバトス卿の末娘、イーマグ・バルバトスだ。


「しかし、リンキー様。なぜ自宅でも敬語を使われるのですか?」


 自己嫌悪に沈んだ心が、イーマグの言葉にさらに重くなる。


「それは、イーマグ様がいらっしゃるから……」


「まあ、それは心外ですわ!! 私たちは夫婦ではないですか!!」


「正式に婚姻もしてませんし……」


 いよいよ胃痛がしてきて、言葉すらも重くなる。

 騎士団に所属した直後、ジョナサンが騎士団に入る直前に、彼女が誘拐される事件が起きた。それをスピード解決に導いたのまではよかったが、リンキーをおとぎ話の騎士だか王子様だかと勘違いしたのか、イーマグは彼に心奪われてしまった。

 勲章の授与式で、彼女は突然彼に嫁入りすると言い出した。余りのことに呆然としていると、


「上級貴族の末娘なんて、政略結婚の道具にしかならないんですから、勲章を授与された騎士に嫁げば、それも防げるでしょう」


 ――などとのたまった。「イーマグちゃん、パパ、そんなひどいことしないよう……」と半泣きになっているバルバトス卿の気も知らずだ。

 それだけでも胃が痛いのだが、バルバトス卿もバルバトス卿で、授与式の後わざわざリンキーを呼び出し、こういった。


「リンキー君、私は清廉潔白をよしとする。政治的圧力や、貴族の特権に甘んじる悪徳な連中には嫌気がさしている。だが、もし君がイーマグちゃんを泣かせるようなことがあれば、王都に掛け合い、スラムのど真ん中に君専用の騎士団の出張所を設ける。そこの装備は鉛でできた魔術触媒の身だ。いいね?」


 その表情は、民衆に向けるのと同じ朗らかな笑顔だった。そんな顔で、「娘泣かしたら、全力で社会的に殺す」など言ってのけた。

 言いたいことは色々ある。この国では十五歳まで婚姻できないのに、彼女は十四歳じゃないかとか、鉛は魔力の収束を阻害するから、触媒には向いていないとか、そもそも下流貴族の暮らしは、小金持ちの平民にも劣るのにそんなところの次男坊に嫁いで幸せになれるのか、などなど。しかし、全てが無意味だ。そもそも上級貴族に言えるわけがない。

 それだけでも軽く死にたくなるのに、実家の反応は最悪だった。

 イーマグの宣言が、勲章授与式というのがよくなかった。下流貴族のつつましい生活に内心嫌気がさしていたのか、両親は「イーマグ様と実家に帰ってこい」という手紙を一週間に五通は送ってくるようになったし、家督を継ぐ予定の兄はメンツをつぶされたと思ったのか――魔術を得意とするリンキーには効果がないが――呪詛のこもった手紙を頻繁に送り付けるようになった。

 貧乏暮らしに、面倒くさい実家、この二つがあればさすがに上級貴族の娘も泣き言を言って帰るだろうと、リンキーは、思っていた。同時に、鉛でどう戦おうかという事も。

 しかし、彼女の言葉はいつも決まっている。


「夫婦ですもの。苦難は一緒に乗り越えましょう」


 そのたびに悼む未来の夫の胃の痛みなど知らず。

 そして、今も彼女の答えはわかっていた。


「お父様が認めたんですもの。そんな冷たいことを言わず、もっと私を頼ってください」


 そう言って、小さな胸を張る。他人事ならば誇らしいが、我がこととなると、気が重い。

 もしも彼女が、ここにきて上級貴族然とした生活を望むのであれば、それをたしなめて実家に帰ってもらい、リンキー自身左遷されて煩わしい実家からも、この世からも解き放たれたことだろう。

 だが、彼女は数か月の花嫁修業の後、この住宅街のど真ん中のリンキーの家に転がり込み、下級貴族の妻として申し分ない働きをしていた。こうなってしまっては何も言えない。


「……これだけは、あいつには知られたくない……」


 まぶしい未来の妻の笑顔を見て浮かぶのは、自分を悪と言ってはばからない恥ずかしいタイプの大人丸出しの相棒だ。


「何か言いました?」


「いいえ……。何も……」


「そうですか。それならいいんですが……」


 そういう妻に乾いた笑いを向けて、リンキーは胃薬を自分の書斎と職場のデスクに常備することを考えていた。

 そんな夫の胃のあれ具合を知ってか知らずか、イーマグは申し訳なさそうに言う。


「あの、あなた、申し訳ありません……」


「何がでしょう?」


「いえ、その、お夕飯はまだ用意できなくて……」


「ええ、いいんです。いつもより早く帰ってきたのは私なんですから――」


 答えていると、家のドアがノックされる。


「ああ、俺がでますよ」


 こんな時間に訪ねてくるとは、いったい何だろうか。ご近所さんがおすそ分けを持ってきたのか、裏の独居老人が何かの手伝いをお願いしに来たか。押し売りならば、魔術のデモンストレーションをしてやればいい。触媒なしではおもちゃと大差ない出力しか出せないが、リンキーの得意としている希少な雷属性は一般人に変なイメージを持たれているらしく、サッサと退散していく。


「はーい。どちらさ――」


 言葉の途中で、リンキーは凍り付く。


「おや、ここであっていたのか。君は下級貴族の出と聞いていたが、この地区は平民の住むところだから、団長に担がれたのかと思ったよ。ああ、今のは嫌味じゃない。騎士団の宿舎に比べれば、実に立派じゃないか。雨漏りもなければ、やたら張り切った隣人の魔術の訓練に部屋を揺らされることもない」


 人を小ばかにしたような薄ら笑いから、胡散臭いうえに冗長な喋りが豪雨のようにたたきつけられる――要するに、今一番会いたくない奴が家に来てしまったのだ。


「……。何しに、来た……」


 思わず崩れ落ちそうになるのを、気力でこらえる。


「いやあ、昼間はさすがにからかいすぎたと思ってね。お詫びに食事でもどうだ? おそらく、以前この街に降り立った転生者が広めたものだろう。私が元居た世界の食べ物をこの間見つけたんだ。これがなかなか、元居た世界の味と遜色がない」


 ジョナサンが言いながら掲げたのは、リンキーの見たことのない店のマークの描かれた紙袋だ。どうやら、テイクアウトしてきたらしい。じっとりと、その表面に油によるシミができているのが見えた。


「いや、いい……」


 憮然というリンキーだが、先のようにジョナサンに嫌悪を抱いての言葉ではない。ピークに達した胃の痛みに耐えている彼にとっては、脂っこい食事など嘔吐を促進する以上の意味はなく、正直直視するのも避けたい。

 そして何より――


「まあ、確かにこの店はスラムと定食者層が済むエリアの中間地点にあるが……」


「違う。そうじゃない……」


「ふむ……。正式な謝罪を私に求めるというのなら……」


「いや、そうでもない……」


 いえるはずもない。事情を知らないものに知られたら、通報不可避な非合法リアル幼な妻がいることなど。

 ましてやジョナサンに知られようものならば、どれだけ笑いものにされるか分かったものではない。


「体調が悪いのか? そういえばずいぶんと顔色が悪い」


 リンキーが答えるまでもなく、ジョナサンは彼の腹に手を当て、躯属性――身体能力や感覚神経の強化、けがや病気の治癒の魔術を発動。最悪の心理状態に反して、みるみるうちに胃の不快感が失せていく。


「昼間、私に怒りをぶつけた反動で魔術の修練をした反動なのだろが、我々遊撃捜査班は体が資本だ。体調を崩しては、本末転倒だろう?」


 泰然として言うジョナサンを、リンキーは腹をさすりながらにらみつける。


(こいつの魔術の幅は、異常だ)


 十と二の属性に大別される魔術の属性において、原初の二を除く残る十――すなわち、火・水・土・風・雷・躯・獣・聖・凶・死霊の属性を併用して使うことは珍しくない。リンキー自身、得意とする雷のほか、必要とあれば土・獣・聖を使う。どんなに才能があっても、五属性が限度だ。

 しかし、ジョナサンはすでにリンキーの前で火・土・風・獣・聖・凶の属性を使って見せていた。この躯で七属性目だ。それも、どれも魔術の才覚がある人間が、数十年の一つの属性に対して研鑽を積んで到達できるかという水準で使いこなす。


「ジョナサン、貴様は……」


「ん? 言ったろう。一緒に夕飯を食おうと。この食べ物は、タコスとナチョチップという。かつて何度この組み合わせに救われたことか。ああ、ここにコーラかジンジャエールがあればいいんだが、ないものねだりをしても仕方ない。今日のところは、エールで我慢しようじゃないか。というわけで、お邪魔するよ」


「ああ……」


 納得のいかないことはいろいろある。バルバトス卿が直接機密に指定した案件である以上、下手に探りを入れるわけにもいかない。

 これまでのリンキーならば、それで立ち止まっていた。だが今は、抵抗はありながらも自分の好奇心に従うことをやめられなかった。


(あの悪人が伝染したんじゃないんだろうか……)


 そんなことを考えて、思い出した。その悪人が、入った自宅に、誰がいるのか。


「あ“っ……」


 絞められる鳥のような声がリンキーの声から漏れるのと同時、ジョナサンが言った。


「おや、かわいらしいお嬢さんだ。リンキーの妹さんかな?」


 そして、やや不快感を示しながらも、堂々とたたきつけるように言う幼な妻の声が続く。


「いいえ。私は妻ですわ。あなたは、私の夫の同僚なのかしら?」


 その問いには答えず、ジョナサンは紙袋をテーブルに置くと、歯車が錆びたゼンマイ仕掛けのおもちゃのように、首を回してリンキーを見る。

 そこには、いつもの人を小ばかにした笑みはなく、無表情のまま、驚愕に目をむいていた。

 初めて、この胡散臭い男を出し抜いてやった――それも、懸念していたように小ばかにされているわけでもない。しかし、不思議というべきか、当然というべきか、リンキーの心は晴れなった。

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