第11話 エンディング

『拝啓マサさん。

 変ねこんな手紙。

 マサさんがこれを読んでるって言う事は、私達は未来に旅出ちマサさんは南風荘に戻ったんですね。

 だってもし私が南風荘に戻ったら真っ先に破こうと思ってたから。

 私達、ちゃんと辿り着いてるかなぁ。途中で落ちたり、行き過ぎたりしなければ良いけれど。マサさんは一緒じゃないよね。

 マサさんは、今も昔も逃げたんじゃない。

 残ったの。

 残ると言う事は夢に向かったの。それを誇りに思ってください。

 クッキーの缶にバイトのお金が入ってます。使って下さい。私たちが持って行って、時代に何か起こすといけないから。

 それから、腕時計が机の上にあります。

 私からのプレゼント。

 これからの時が幸を刻むように願ってます。

 もう井の頭公園へ行く時間だわ。

 玄関でマサさんが私を呼んでます。

 じゃあ、マサさん行くね。

 さよなら。

 未来で会えたら、どうしよう。

 マサさん、さよなら。

敬具 マサさん 』

 カオリの手紙を読み終わった。

 微笑みが生まれる。

 こんなに優しく笑ったのは、何年ぶりなのか。

 事務所には、5人が立川で購入し残していった楽器が立てかけられていた。

 マサは立ち上がるとセイコースポーツマチックを腕につけ、楽器の裏側に白いペンキで『OP』と書き入れた。


 2020年7月4日土曜日午後3時。

 井の頭公園の奥にある売店の近くに浅いV字形に設置された2つのベンチがある。

 そこで、4人の中年男と1人の女性が驚いた様子でお互いを見詰めあっていた。

 急な情景の変化に感覚がついて行かないのが分かる。

 5人は周りを見渡した。

 そこは、2ヶ月ほど前に見た風景だ。

 ジュンが小さくつぶやいた。「スティック持ってる」

 ヒロがギターのネックをさすっている。「ワシもギター抱えてる」

 リョウが自分のベースギターを見た。「先に消えた楽器だ」

 カズはハンカチで汗を拭いた。「前と同じ風景だ」

 カオリが笑った。「年齢も戻っちゃった」

 5人は元の年齢の姿に戻っていた。

「カサッ」

 風で新聞紙が飛んで来た。

 ヒロが拾うと、日付を読んだ。

「2020年7月4日土曜日だ」

 5人は、ゆっくりと2020年の空気を吸った。

 不思議に感慨はない。

 若ければ、ハイタッチをしたり大声を上げたりするのだろう。

 静かに帰ってきたと言う現実だけを噛みしめた。


「お帰りなさい」

 後ろで聞きなれた声がした。

 5人の顔が明るくなる。

 この懐かしさは何だ。

 一斉に声が上がる。

「マサさん!」

 振り向くとそこには90歳半ばの老人が立っていた。

「待ってたよ。お帰りTWO HUNDRED」

 これが現実なのか。

 5分ほど前に分かれたばかりなのに、その姿に5人は衝撃を受けた。

 マサは優しく笑っていた。

 歳を重ねても目と声は変わらない。

「これが今の俺さ。あれから時代を君らと過ごし、ここで君らをずっと待っていた」

 香織は、マサに近づいた。

「マサさん、何時から待っててくれたの?」

「離れた所で30分位前から見ていた」

「歌も聴いてくれた?」

「そうさ、聞いていたよ。そして待っていた。君らが一瞬消えて、戻るまで瞬きする間もなかった。普通の人には分からないだろう。その間に君らは2ヶ月の夏休みを過ごしたんだね」

 カオリがマサの頬をなでた。

「マサさん。急に歳取ったね。」

 マサはクスッと笑った。

「カオリも同じだよ。君らの本当の姿を今日初めて見た。この機会を56年間待っていた」

 知りたい事がある。

「由喜さんや東大、麻希さんや泰三はどうしてるの」

「今年76歳で皆元気だ。でも会ってはいけない。時代を狂わすかも知れない。それは君らが一番良く知っているね」

「みんな幸せに暮らしてるの?」

「当たり前さ。『夢』にあこがれ、『チャレンジ』を恐れず、『挫折』に傷つき、新たな目標に向かう『成功』を手にした。それらは全て『今』という壁に向かう『勇気』を持つこと。全部君らが教えた事さ」

「私たちは気付かなかったけど皆は気付いたのね。マサさんはどうしているの?」

「君に言われた通り、ちゃんと夢を追い続けた。プロダクションも続いている。幸せとやりがいを求め時を刻み続けたのさ」

 マサは左腕を前に出すと、腕につけたセイコースポーツマチックを見せた。

「カオリありがとう。お礼が遅れてごめん。君を想い、ずーと使い続けたよ」

 一昨日買ったばかりなのに、すっかり古ぼけてしまっている。

 人も物もこうして朽ちていくのか。

 これが時なのか。

「ありがとう、マサさん。それだけで、嬉しいわ」

 心だけは変わらない。

「それから君らに返すものがある」

 マサは、そう言うと泉屋のクッキーの箱を開けた。

 中にはラインマーカー、カード電卓、バンドエイド、カッターナイフが入っていた。

「君らがあまりに不思議なんで頂いていた。こっちの犯人は俺さ。何時か返そうと思っていたが、これを見ては君らを思い出し夢を追い続けた」

 5人はマサと5分後の56年ぶりに再会し、そして笑いあった。

「カオリ、これが現実で今なんだ」

 全ての物が56年の歳月の中で朽ちていた。

「1964年に残れば君もこうなっていた」

 箱の中には言葉では伝える事の出来ない現実の姿があった。

 カオリが懐かしそうに中の物に触れると、マサはそっと箱を手渡した。

「でも、君達はあの黒い壁を突きぬけ戻って来た」

 驚きだ、マサにも見えていたのだ。

「マサさんにも見えていたの」

「そうさ、俺にも見えていた。恐ろしかった。逃げ出したかった」

「私も、あれは何だったのかしら」

 誰にも分からない。

 理解するのは自分だけだ。

 カズは、由喜の事を思い出した。

「憧れを求める『夢』と言う壁だったんじゃないかな」

 リョウには、駐車場での東大の姿が浮かぶ。

「恐れを克服する『チャレンジ』という壁かも知れない」

 ヒロは、麻希を思い出し微笑んだ。

「失敗という切ない『挫折』という壁かもね」

 ジュンは、泰三と子供達の姿を思い浮かべた。

「新たなステージに向かう『成功』という壁だ」

 カオリには、さっきまでのライブがよみがえる。

「目の前に聳え立つ避けてならない『今』と言う現実の壁」

 マサは、右手に持った小さな袋を差し出した。

「長い夏休みから皆『勇気』を受取ったかな? お帰りTWO HUNDRED。アイスクリームだ」

 笑い声が湧く。

「俺は、もう行かなければならない。時に手を入れてはいけない、それが決まりだろ。もう、会う事はない。お帰りそしてサヨナラTWO HUNDRED」

 マサはそう言ってアイスクリームの袋を手渡すと、夏の日射しに向かって歩きだした。

 香織が手をメガフォンに叫んだ。

「マサさん。今日も格好いい!」

 マサはいつも通り、背中越しに手を振った。

 マサの背が震えている。

 行く先に黒塗りの車が止まっていた。

 運転手が降りてきてドアをあけた。

 マサが乗り込むと車は静かに走り去った。

 マサは、振り向く事はなかった。

 ただ、頬に小さな涙が光っていた。


 アイスクリームは冷たく、食べ慣れた味なのに深く味わい深かった。

「おいしい」

 食べると言う事はこんなに心を落ち着かせるものなのか。

 5人は、カップのアイスを口に運びながら周りを見渡した。

 芝生には家族連れ、池のボートにはアベック、売店にはアイスを買う子供たち。

 見慣れた井の頭公園の風景だ。

 5人は食べ終えたカップを袋に入れると楽器をしまい始めた。

 ヒロの手がギターの弦に触れた。

「チャラン」

 小さな音がした。

 他の4人がビクッとして振り返る。

 タイムスリップはもうごめんだ。

 ヒロが申し訳無さそうにギターのケースを閉じた。

 5人は、小さく笑うと改めて辺りを見廻した。

 

 7月とは言え夏の日射しは優しく、樹木は競い合う様に背を伸ばし、少しでも天に近づこうとしている。

 池では穏やかな風が水面を駆け抜け、起こされた小さな波がきらきらと日の光を反射していた。

 全てが、生命の賛歌に満ち溢れている。

 カオリは、その風景が嬉しかった。

「ネェー、せっかくだから1964年のライブの打ち上げしない。行こうよ、いいでしょジュンさん」

「そうだな、公園のゲートを出ると1964年にもあった焼き鳥屋があるんだ。そこで打ち上げるか、多数決でどうだ」

「賛成」

「賛成に賛成」

「その賛成の賛成に賛成」

 5人は、ベンチをあとに公園のゲートへと向かった。

 ゲートの時計は3時30分を指し、V字型のベンチには今日の日付を示す新聞紙が残されていた。


 翌朝、デパートは開店前の慌しさに包まれていた。

 カズはフロアマーチャンダイズ計画に着手し、リョウはシステム変更プランをパソコンに入力し始めている。

 ヒロは取引先との再交渉に臨み、ジュンは売り場で朝礼を行っていた。

 オーダーワイシャツの事務所にはブラインド越しに夏の日射しが射し込んでいる。

 その中でカオリは、ワイシャツ生地の検品をしている。

 同期の玲子が隣からカオリを覗き込んだ。

「カオリ、何か嬉しそうね」

「そう、別にいつもと同じ。普通だよ」

「エーッ、何か違うよ。変わったよ」

「考えすぎじゃない」

「そんな事ないよ。さては彼氏が出来たな」

「何、言ってるのよ」

「ところで夏休みどこ行く? もう計画立てた?」

 カオリはワイシャツ生地を置くと遠くを見つめるような目になった。

「夏休みかぁ。もう終わったよ。2ヶ月の長く素晴らしい夏休みだった」

 玲子は、そんなカオリを下から不思議そうに覗き込んだ。

「エッ、夏休み終わっちゃったの。変なカオリ」

 カオリは、少し照れながら心の中でつぶやいた。

『僕たちのいた夏だった』

 ブライドから外を見ると夏の空は抜けるように青く、強い日射しはまるで生命への賛歌を贈るかのように輝いていた。


                         <了>



作品内主な挿入歌

第3話 コンテスト

〇「揺れる想い」作詞 坂井泉水 作曲 織田哲郎 唄 ZARD

〇「負けないで」作詞 坂井泉水 作曲 織田哲郎 唄 ZARD


第7話 夢

〇「揺想」作詞 南由宇子 作曲 山移高寛 唄 林明日香

〇「声」作詞 三浦徳子 作曲 山移高寛 唄 林明日香


第8話 チャレンジ

〇「チーズ」作詞 林明日香 作曲 原田アツシ 唄 林明日香

〇「千切れ雲」作詞 渡邊亜希子 作曲 佐々木久美 唄 林明日香


第9話 挫折

〇「神々の星」作詞 白井貴子 作曲 白井貴子 唄 林明日香

〇「ake-kaze」作詞 鈴木健二 作曲 山移高寛 唄 林明日香


第10話 成功

〇「SANCTUARY」作詞 伊集院静 作曲 山移高寛 唄 林明日香

〇「風の凱歌」作詞 鈴木健士 作曲 山移高寛 唄 林明日香


第11話 今

〇「凛の国」作詞 鈴木健二 作曲 山移高寛 唄 林明日香

〇「大切にしようね」作詞 林明日香 作曲 林明日香 唄 林明日香











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1964年のオヤジバンド 「僕たちのいた夏」 結城 てつや @ueda1192

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