第70話 Exodus

 俺はいったい何者だろう。……俺は、お前達をこの地獄から救えるだろうか。



 ワシントンで産まれたが、両親のことは顔も知らない。

 兄弟がいた気もするが、物心つく頃には1人になっていた。

 近所の連中は俺の赤い髪をよく思わなかった。なんでかは分からない。

 先祖が何やら珍しい人種か民族だと言われた気もするが、すぐにきれいさっぱり忘れた。

 昔から頭はそんなに良くなかった。路上でかっぱらいだの富豪の家に空き巣だので生きてきていた。


「神は見ておられるぞ、レオ」


 どこかでそんな言葉を聞いたから、善行をしようと思った。

 それで陸軍に入って、遠い国へ。国名は……悪い、忘れた。


 地獄だった。

 そうとしか、俺には表現できない。


 死んだ方がマシだという呻き声を聞いた。

 今度こそ善行になると思ったから、さくっと殺した。

 味方も、敵も、死にたいと言ったやつをなるべく楽に殺したくて、首をかき切るのがやたら上手くなった。


 奪うこと以外で救う方法を知らなかった。


 金髪の女が、難民のキャンプで突っ立っていた。

 名前を聞いたら、たくさん名前を名乗ったが、全部愛称らしかった。このご時世、ややこしいから英語の方が……と、死んだお袋さんが「エリザベス」と付けたのを、本人はどうも気に食わなかったらしい。


 私はナントカの子です……と繰り返していたが、何言ってるのか、俺にはよくわからなかった。

 ……で、いつの間にか手を引いて逃げ出していた。


 どうして連れ出したのかは分からない。

 ただ、あの地獄に置いておけなかった。

 一緒に死んだ方が良かったのかもしれない。

 その方が、よっぽど、正解だった。


 エリーはよく分からない本を読んでいて、話の筋に覚えがあった。俺に神がどうこうと説いた男から聞いた話と、よく似ていた。

 それを言ったら、なぜか不機嫌そうに「違う」と言われた。何が違うのか、説明されてもさっぱりだった。


 救えるなら、救われるなら、幸せにできるなら、幸せになれるなら、なんだっていい。なんだって素晴らしいことだ。


 ドイツに先祖がいたから、ドイツに行きたいとエリーは言った。

 どこがドイツかわからなかったけど、気合いでなんとかした気がする。具体的には覚えてない。

 えーと……なんだっけ、白衣の人が戦争での心的外傷トラウマ……?とかややこしいことを言っていたけど、とりあえず住む場所は手に入れた。


 で、俺は死んだ。

 息子を連れて歩いてる時、フラッと車道に飛び込んだのは、なんでだったか。

 誰かを助けようとしたのか、それとも逃げたくなったからか、それとものか。

 夕焼けと、血痕で道路が真っ赤だった。

 息子……レヴィが俺そっくりの緑色の目を見開いて、震えていた。


 ちまたじゃ色々噂になったらしい。人を殺したとか、強盗して金を奪ったとか、とにかく色々。

 俺は死にたいやつしか殺してないし、金は報酬で貰ったの以外手をつけてない。……はずだけど、馬鹿だからどこかで勘定かんじょうをミスってたかもしれないし、本当は死にたくないやつを殺してしまったのかもしれない。


 最後まで、奪う以外できなかったことだけは確かだ。




 ***




 目の前の彼女に手を差し伸べる。

 俺の手を振り払って、彼女はフラフラと立ち上がった。


「俺は、どうすればよかったかな」

「そんなもの……私に聞かれても、わからない……」


 狂った者どうし、さらなる悲劇しか生み出せないのなら、一緒に死んだ方がまだ良かったかな。

 ああ、でも、俺は生きたかったんだ。

 死んだ目をして殺してくれと呻いたヤツらより、ずっとずっと生きようと思って、未来が欲しかったんだ。


 生まれた場所が悪くて、育った環境がおかしくて、教わったこと、学んだことが歪んでいて、それでも、

 その過去を塗り替えたかった。レヴィ、お前がいてくれたら、それができる気がした。


 ……そして、あっけなく過去に殺された。


 俺はな、エリー。お前が読んでた本の中の、英雄みたいなやつになりたかった。名前は……えっと……モーセ、だったか。

 そいつみたいに、お前をあの地獄から救い出してやりたかった。


「エリー」


 彼女は俺の手を取らない。


「生きたかったんだよな」


 でも、俺は、救いたかった。


「……わたしは、穏やかで、平凡な生が欲しかった。ただ、それだけだった……」


 抱きしめられない。俺にはきっと、抱きしめる資格がない。


 ぼろぼろと朽ちていく魂が、悲鳴をあげている気がした。

 ここに「俺」としていられることが、そもそも不思議なくらいだ。


「……今度こそ、連れていく」

「どこへ?」

「ちゃんと謝りに行こう。一番迷惑をかけた相手がいる」


 傷つけ、苦しめ、過酷な生を背負わせた我が子の姿を思い出す。


「……彼はきっと許さない」

「許されなくたって謝るしかない」

「それも自分勝手。……彼は、両親と関わることも望んでない。それが、そのこと自体が……我ら夫婦への罰……」


 エリーは悔しそうにうなだれる。

 そうか、それなら……受け入れるか。

 俺は馬鹿だから、難しくは考えられないんだ。


「……祈りましょう。あの子の選んだ未来が、より良いものと信じます」


 レヴィという名をつけたのは、確か、結び目という意味だったからだ。……慣れない辞書を引いて、これだ!と思った。

 より良い未来へ繋いでくれるよう、願いをかけた。

 ……それを、俺自身が呪いにしてしまった。


「……ようやく分かった。わたしも、あなたも、とっくに壊れていたんだ……」


 エリーの声が涙に沈む。声が出ない、肉体の感覚もない。……意識が深く深く、沈んでいく。


「オレからすると、てめぇオレより10億倍くらい頭良いぜ。もっとすげぇかも。千倍くらい」


 もう「俺」じゃなくなった身体から声がする。

 ……億って、千より小さかったっけ?20年くらいの間に世界は変わるもんだなぁ……。


「安心しな兄弟。せめて百倍くらいだ。……つっても、幸せなのはどう考えても……」


 レニーの言葉が途切れる、口ごもったのか、俺が聞けなくなったのかわからない。


「おめーも人殺しに向いてなかったんだろ」


 人殺しに向いてる人間なんて、ろくな人間じゃないな。

 ……そもそも、それって人間なのか?


「じゃあ人間超えたら良くね?」


 お前は本当に最低だけど、天才だな。レオナルド。

 ……なぁ、俺の人生はこんなだったけど、結局、自分の手では何も救えやしなかったけど……

 お前は、お前なら、きっと……


「……バカ言ってんじゃねぇ。オレはブッ壊す方だ」


 ああ、そうかもしれないな。


「こんなチンピラでよかったら、救ったモンのうちに入れとけ。あ、ろ……ナントカもか」


 どれだ。ロがつくやつ何人いると思ってるんだレオナルド。


「レオ、……おめーよ、オレとちっとも似てねぇわ」


 ……そうか。生い立ちで共感したんだけど、違ったか。


「オレはバツがもう一個多い。そんで、ぶっちゃけ人殺しに向いてる。あとオレのがイケメン」


 はは……。本当だ、全然似てないな。

 ありがとう。俺も、お前にはたくさん救われたよ。


 視界が狭まっていく。感覚が途切れていく。

 最期に、彼女が自分の足で立って、じっと俺を見つめているのが見えた。


 手を伸ばし、触れようとする。彼女は静かに、指を組んで祈った。


「私には、まだやるべきことがある。……だから、もういい。……もう、いいの……ごめんなさい……」


 俺達はどこから間違えていたんだろう。

 俺が彼女を救おうとしたことか、彼女が俺にすがりついたことか。……それとも、出会ったことか。


「……愛し方だ。お前達が見ていたものは救済の対象と、救済の象徴……どちらも、個人ではなかった。……父から、あの時期の紛争も酷かったと聞いている。ゆっくりと眠って欲しい」


 その声がどこから届いたのか、もう分からない。

 意識が闇に溶けていく。……俺の贖罪は、これで終わりらしい。


 ──確かに、死にたいと強く願った……または、既に心の死んだ人間がほとんどだと確認した。少なくとも、告発する魂は存在しない。現世に必死で留まり、贖罪に積極的だったことも認めよう。……妻の魂も、いずれ解放される。息子を殺そうとしたこと以外にも問うべきことはあるが……彼女も、救済に積極的であったのは事実だからな。


 ……そうか。これからも大変だろうが、つらくなったらすぐ誰かを頼るんだぞ。

 宗教でも、法律でも、正義でも何だっていい。救われるなら、救えるなら、幸せになれるなら、幸せにできるなら、素晴らしいことだ。


 ……なんて、父親ぶるのもおかしいか。

 さようなら。無理せず、やれるだけのことをやって欲しい。

 お前は、自慢の息子だよ。

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