第57話 優しい男
「修行中なのに忙しいな」
王都への護送馬車の中。
肩が触れ合うほどの距離に座ったクロノスに愉快そうに言われて、クライスは悩まし気な溜息をついた。
「これで中断になったらさすがに嫌だな」
言いつつ、視線をさまよわせるのは、向かい側にレティシア姿のルーク・シルヴァが椅子に裸足の片足を立て、膝を腕で抱えるようにして寝ているせいだった。
(寝ているよね?)
ローブを着こんでいるおかげで裾があるとはいえ、たしか下は何も穿いていないはず。どうにかした拍子に見えてはいけないところまで見えてしまいそうな危うさが、気になる。
(もう少し気をつけて欲しい。クロノス王子だっているんだよ)
よっぽど注意したいが、声をかけることができない。
その神秘的で完成された美貌に気後れしているのもあるが──
それはかつて彼が愛した人の姿。
毎日どんな目で見つめ、笑いかけていたのだろう。
わがままに困らされることもあったんだろうか。あの大きな手で優しく抱き寄せていたのだろうか。
彼と彼女にあったであろう日々を想像するだけで胸がじくじく痛んでしまう。
「どうした」
側壁にもたれかかっていたクロノスが、身を起こして肩を寄せてきた。
「何も言ってない」
狭い車内で身体を縮めて逃げようとする。
逃げたはずなのに肩がぶつかるのは、追いかけられているせいだ。気付かないふりをする。意識していると思われたくない。
目の前にいるのがレティシアではなくルーク・シルヴァだったら。あるいはルーナだったら。素直に助けを求めた。けれど今は無理だった。全身が「レティ」に近づくのを拒否をする。クロノスが隣にいる方がマシだと思ってしまうほどに。
(マシというか)
絶対に認めたくないし、口が裂けても言えないが。
気が紛れている。自分一人だったら心臓が痛すぎて吐いていた気がする。
白銀の女王は残酷なまでにうつくしい。「あなたじゃだめよ」とあの甘く
肩を触れ合わせたまま、クロノスが口を開いた。
「フィリス」
「殿下はいつから聞いていたの」
聞かれているとは思っていたけれど。出て来たタイミングが鮮やかすぎたので、様子をうかがわれていたのは間違いない。
「事情が把握できるくらいには聞いていた。お前、女だったんだな」
「殿下は疑ってもいなかったの? アレクス様は完全にわかっていたみたいだよ」
「なるほど」
あまり触れたい話題ではなかったが、避けてばかりもいられない。事務的に話題にして終了としよう、そう思っていたはずなのに。
アレクスの名前を出したのは、どこかに反撃したい気持ちがあったからに違いない。
クロノスが自分にとって大切な「誰か」なのだとは感じるのだが、だからこそ余計に。
わがままとも八つ当たりともつかぬ意地を張ってしまう。甘えたい気持ちと責めたい気持ちが胸に湧いてきて、自分勝手だとわかっているのに、止められず。
「俺は男だから気付きたくなかったのかもしれない」
「意味がわからないよ」
クロノスは、不意に身体を前に倒しつつ、下の角度からクライスの顔を覗きこんできた。
「わからないか?」
「何を?」
まともに目が合ってしまって、逸らす隙を逃した。
普段のクロノスとは何か違う。まずい。やばい。腰がひけそうになる。
それほどの、心を直接揺さぶるような強いまなざし。
「鈍いのはお前だよ。お前が女だというなら、俺は男として今後一切遠慮はしない。これでも意味がわからないなら、もっと丁寧に教えてやる」
(何言ってんの。ばかじゃないの。やめてよ。そういうの。大体そこに僕の恋人がいるじゃない。こんなの絶対おかしいよ)
頭の中では言葉がせめぎあっている。
どれか一つでも言えればいいのに。
迂闊に踏み込んだら、返す刃で命までとられる。
高まった緊張感が、剣士としての本能に警告を与えてくる。
「なんだ。もっと騒ぐかと思ったのに。お前、俺が思った以上に女だな」
背もたれに背を預ける体勢に戻って、クロノスがぼそりと言った。
それが、なんとか堪えようと思っていたクライスの癇に激烈に触った。
身体ごと、クロノスに向き合った。
「男だ女だって、勝ち誇ったみたいに言うのやめてくれる!? 僕が男として生きていたのは、双子の弟のクライスに頼まれたからじゃない。剣を学びたかったけど、あの頃は女性には道がなかっただけだ。僕は自分の為に弟の死を利用した。僕が自分に女であることを許さなかった理由はただそれだけ。時期が来て、状況が整えば……、周りを
「撤回はしない。俺は剣士としてのお前を知っている。男か女かという事実によって、お前の何も損なわれないこと、自分が一番知っていると確信している。能力も人間性もお前自身を見ている。その上で言っているんだ。魂だけで触れあえるなら良かったけど、生憎俺もお前も肉体を持つ存在だ。欲望には、どうしたって身体も含まれる。あるものを無いことにはできない。俺はお前が欲しいよ。男として、女のお前が」
啖呵を切ったら、切り返された。
逃げ場のない空間で、はっきり欲望をつきつけられて、ごまかしようもなく追い詰められている。
「よくそんなこと言うよね……」
レティシアの姿とはいえ、ルーク・シルヴァがいる空間で。
しかし、頼みの恋人はこの騒ぎを特に気にした様子もなく健やかに寝ている。もしかしたら、魔力の使い過ぎによる疲弊なのかもとクライスは思っておくことにした。恋人が目の前にいるのに一切助け船が出てこないのは、精神的に辛い。
自分は弱い人間ではないと思うし、問題は自分自身で対処できる、とは思う。
ただしこと恋愛に関しては相手のいる話なのだ。ルーク・シルヴァに助けて欲しい気持ちはどうにも隠し切れなかった。
(女なのかな……。こういうのが女なのかな。頼りたくなってる?)
抉れるように傷つきながらも、なんとか気を持ち直そうとする。
「俺はお前の本命が『ルーナ』じゃなくておっかないお兄さんの方だってのは気付いていたけどな。男が好きなんだろ」
「何それ。僕をなんだと思ってるの? 男なら誰でもいいみたいな言い方やめて欲しいんだけど」
「そんなこと全然言ってない。誰でもいいならあんなハイスペック男捕まえないだろ。正直凄いと思う。よくアプローチできたな」
さらりと言われて、クライスはカッと顔を赤らめた。
「あんな実力のある魔導士だなんて知らなかったんだ。顔だって、もう少し控えめだったらいいなって思ってる。あんなに求めていない」
これは偽りない疑いようがない本心だからね、と念を押したい気持ちで頭を抱えてしまう。
ルーク・シルヴァの美貌は図抜けている。つりあう人間がこの世にいるならぜひ会ってみたいし、それが自分だなんてものすごく認めがたい。
彼の恋人だと言い張るたびに心が荒んでいく。
「魔法も顔ももう少し控えめ? それ、俺だろ」
「変な角度から立候補するのやめてほしいんだけど」
「変も何もさっきからど真ん中真正面から口説いてるよ。俺にしとけよ。優しいぞ」
「クロノス王子がご乱心!」
誰も助けてくれないのはわかっていたが、クライスは思わず叫んでしまった。
優しいって。
誰が。
ごりごりと反対側の壁に肩を押し付けて精一杯逃げる。クロノスはクロノスで、笑いながらもう一方の壁に肘をおしつけて距離をとり、軽く握った拳でこめかみを支えつつ言った。
「試してみるか」
「何をだよ。優しさ試験がどこかにあるっていうなら、落第して思い知ってこいよ」
「試験官お前な。いいぜ、満点つけさせてやる」
「ん?」
視線を感じて顔を向けてしまう。
クロノスが見ていた。恐ろしく甘い笑みを浮かべていた。
何かある、と思った時にはクライスの膝の横に手をつき、身体ごと距離を詰めてきた。
間近で、囁かれる。
「初めての相手は、俺にしておけよ」
凝固したクライスの耳に唇を寄せて、軽く
されるに任せてしまったと気付いたクライスは素早く立ち上がった。
天井に頭をぶつけて、べしゃっとしゃがみこんだ。
痛みで涙が出そうになる。
「正気に返れよクロノス王子」
頭をおさえながらぼやくと、クロノスは艶やかに微笑んだ。
「正気だ。俺は初めてじゃないからうまくやれると思うよ」
「そういう話本当にいいから勘弁して。何言ってんの」
近衛騎士同士で、「男同士の会話」やそれに類するものに耐性はあると思っているが、こんな密室で、一応目上の男が女性部下相手に対して言っていい話ではない。
その思いから抗議をしているが、クロノスは楽しげに続けた。
「ルミナスも初めては俺だったから」
もうやめてと遮ろうとして。
何を言われたのか考えて。ものすごく考えて。ほんの一瞬なのに老け込むくらい考え込んで。
怖いものみたさに限りなく似た感情で確認してしまう。
「今何を言った……?」
クロノスは本当に優しい笑顔で答えた。
「安心しなよ。俺は全部覚えているから。ぐずぐずに泣くまで甘やかしてやる」
全然何ひとつ安心できることを言っているように聞こえないのは気のせいではないと思うのだが。
というか。
(何やってんだよ
クライスは絶句したまま、世界に顔向けできない気分で俯いた。
クロノスは笑いながら壁にもたれかかる。
絶世の美女レティシアであるところのルーク・シルヴァが片目を開けて見ているのに気付いて、答えるように素早く片目を瞑ってみせた。
白銀の女王はふっと息を吐いてから寝ているふりを再開した。
第三王子イカロスの不審死に伴う関係者を乗せて、馬車は王宮へとひた走る。
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