第40話 この空の下に君がいる(中)

 宿に帰る。

 そう言って、なんとなく連れ立って歩き出し、結局同じ場所に帰り着きました。


「お、同じ宿……」


 何かとルーク・シルヴァを避けてロイドにしがみついていたクライスが、呻いた。


「そうだったんだ。部屋どのへん? 二階? あ、そう。こっちも。そうそう一部屋で。そっちもなんだ?」とロイドがルーク・シルヴァと話しはじめる。

 酔いと疲れのせいかクロノスは口数が少なかった。

 クライスは不用意に発言して会話に巻き込まれないよう、口をつぐんで話が終わるのを待っていた。

 すぐに切り上げたロイドが、所在投げに待っているクロノスとクライスに目を向ける。


「部屋割りどうする?」


 ぽかんとしたのはクライスだけで、クロノスは速やかにクライスの肩に腕を回して言った。


「それって、こういう組み合わせもありなの?」

「んん!? 無しに決まってる!!」


 慌てて腕を振り払い、ロイドの元へと走る。その背後にかばってもらうべく、回り込もうとしたところで、ルーク・シルヴァの腕が腰に巻き付いて捕まった。


「どうするつもりだ?」


 フードで隠した頭の上から声をかけられて、クライスが「うわー」と遠慮なく悲鳴を上げた。


「どうもしません!! 僕とあなたが同室だと、ロイドさんとクロノス王子が一緒になります!!」

「あ、そっか。まあ一人部屋って枠がなかったから、オレの方もベッドは二つあるぞ」


 なんの動揺もなく言うロイドに、捕らえられたままのクライスが喚きたてる。


「だめです!! いまのロイドさんは女性ですよ!? 何かされたらどうするんですか!!」


 そんなに美人なのに!! 

 と、言い募るクライスの前に歩いて来て、跪いて下からフードの中を見上げつつ、クロノスがぼそりと言った。


「お前も男だよな? 『ルーナのお兄さん』が見ている前で女の人と二人で宿に泊まるんだ。へぇ」


 しん、と沈黙がおりた。

 クライスとロイドにおいては(そこは二人が同一人物だとわかって言っているのか、いないのか)クロノスの心中を測りかねて余計なことが言えなくなったせいである。

 一方、黙る必要は特にないルーク・シルヴァは、嘆息して低い声で言った。


「『ルーナのお兄さん』はべつにそこは構わないが……。クライスはどうしてそこまで俺を避ける?」


 避けてなんかいないからね!? という啖呵を切るのを見越して煽りめに言ったのに、クライスは巻き付いた腕から逃れようとばたばた暴れつつ言い返した。


「刺激が強すぎるんです!! しゅ、修行中なのに……。あなたの顔とか声とか、もう、全部」

「なるほど」


 納得はした。

 その短い返事はただそれだけの意味で、言い分を受け入れるとは決して言っていない。

 ルーク・シルヴァは暴れるクライスを両腕で抑え込んで、花嫁のように抱え上げるとロイドに目を向けた。


「五分借りるぞ。後でそっちの部屋に帰す」

「了解。ま、帰せなくなったら、その時はその時で」


 ひらりと手を振るロイドに、クライスが涙声で「ロイドさああああぁぁぁん」と主張していたが、ロイドは請け合わなかった。

 二人が騒ぎながら宿に入って行くのを見届けて、残ったクロノスに声をかける。


「さて。五分じゃ終わらないと思うけど、どうする? こっちの部屋で待つか? それともどこかで飲み直す?」


 * * *


 喚くと他の客の迷惑だぞ、とルーク・シルヴァにどやしつけられて、一応は静かになったものの、クライスはなんとかその腕から逃れようともがき続けていた。

 無駄だった。

 鍛えているはずのクライスより、ルーク・シルヴァは腕も胸もすべてが力強く、どんな抵抗にもびくりともしなかった。


 部屋に運び込まれて、二人だけの空間となる。

 ルーク・シルヴァは魔法で灯りを燈しつつ、クライスの足が床につくようにおろした。ドアに背を向けて立っているので、逃げるならルーク・シルヴァを突破しないといけない形だった。


「な、な……な、何か用?」


 フードをかぶり直して、うつむき、後退りながら聞いたというのに、大股に歩み寄ったルーク・シルヴァは容赦なくフードをはがした。あろうことかそのままの勢いで、ローブまですぽっと身体から抜き取った。あまりの鮮やかな手際に、クライスは胸元をかばうように腕を交差させつつ、頬を赤らめてキッとルーク・シルヴァを睨みつけた。


「どんだけ脱がせるのがうまいんだよ!」

「それはもう一枚はぎ取った後に言ってもらおうか」


 うえ、と変な声をもらして、クライスは再び一歩、二歩と詰められるたびに後退する。


「後ろはもうベッドだな」


 淡々と言われて、唇をかみしめて俯いた。


「あんまり僕を追い詰めないでよ……」

「逃げるからだ。キスもだめなのか」

「だめ。修行中だし……あっ」


 短い悲鳴を上げたときにはクライスは寝台の上に押し倒されていて、ルーク・シルヴァが上をとっていた。


「この『可愛い服』のわけを聞いてもいいのか? ずいぶんひらひらしたのを着ているなとは思っていたが。戦闘中、見えるんじゃないかと。中が」

「や、あの、えーと……。これって、話をする体勢じゃないよね……?」


 視線から逃れるように横を向きつつ、クライスがちらりとだけルーク・シルヴァに目を向けた。水色の瞳は困り切った様子で、ほんのりと濡れていた。

 ルーク・シルヴァは大きな大きなため息をつくと、クライスの横に身を投げ出し、クライスの背を胸に抱きしめた。


「なんで俺までお前の禁欲生活に付き合わされてるんだろうな」


 恨み言というよりは、独り言の様子で、それでも耳元で言われたその迫力に知らず怯えつつ、クライスはなんとか声を絞り出した。


「そ、その件につきましては、大変申し訳なく……」

「わかってるなら善処しろよ。初めての魔物との実戦でもひけをとらない程度に、強くはなっているんだし。あとどこまで腕を上げれば終わるんだ」

「師匠をとっつかまえて血祭に上げたら、です」


 照れ照れしながらも言葉選びは限りなく物騒に用件を伝え、ついで思い出したようにとらわれの腕の中で身じろぎをした。


「ルーク・シルヴァはどうしてクロノス王子と二人で旅行して、同じ部屋に泊まろうとしていたの? 今、リュートの方じゃないんだよね?」


 む、とルーク・シルヴァが一瞬押し黙った。

 実は俺じゃなくてそもそもがルーナとクロノス王子の二人旅なんだ、という事実を隠蔽しようとした沈黙である。

 クライスはさらに追撃をした。


「ルーナのお兄さん、て言ってたけど、ロイドさんの女性型は見破ったよね。ルーナは無事なの?」


 返事がないので、ぐいぐいと動いて、身体ごと振り返る。

 ルーク・シルヴァの顔をいまだに少し潤んだ目で見上げて「ねえ」と声をかけた。ルーク・シルヴァはといえばいろんな思いが去来して心中忙しく、目を閉ざして呟いた。


「これでキスも駄目だなんて、視覚の暴力だ。今度覚えてろよ」

「ごまかした!? クロノス王子とのこと聞いてるんだけど!! あ、あと酒場でアンジェラにも絡んでたよね!? あれは何!? そうだ、アンジェラもここに泊まってるんだけど。何これ偶然!? ちょ、ルーク・シルヴァ寝てる? 聞いてる!?」


 元気に追及してくる恋人に対し、ルーク・シルヴァは寝たふりを続行した。

 少なくとも自分の覚えている範囲ではやましいことはない。そう結論付けて。

 クライスは収まりがつかず、なんとか話を続けようと手を伸ばしてルーク・シルヴァの肩や胸を小さく叩く。


「起きてよ。僕結構気にしてるんだから」

「何が気になるんだ。お前に応えてもらえない俺の性欲の行方か」

「ちょ!? 何言ってんの……!? 別にそんな……え、何それ放置すると相手がクロノス王子になっちゃう感じ……!? そういうことなの!?」


 動揺しきって騒ぎ出すクライスを放り出して、ルーク・シルヴァは反対側に寝返り打った。


「俺は寝る。それ以上お前の可愛い恰好を見ていたくない」


 不機嫌そうに言われて、クライスは気勢を一気に削がれて、しゅんとうなだれる。


「この服装ね。うん。ロイドさんは可愛い可愛いって言ってくれたけど……やっぱ似合わないよね」


 はああああああ、とルーク・シルヴァは盛大なため息をついて起き上がった。

 つられたように、クライスも身体からだを起こした。

 ルーク・シルヴァは掌で顔をおさえ、指の間からぎろりとクライスを睨みつけた。


「可愛すぎだって言ってんだよ。どこからどう見ても女だよ。お前、そんなんで王宮に戻ってきてみろ。近衛の隊舎になんか絶対帰らせねーし、誰にも見られないように昼も夜も監禁するぞ」


 うーん。えーと。えーと……

 クライスは薄笑いを浮かべたまま凝固した。

 どこから話そうかなと思案しているのもあり、ルーク・シルヴァの眼光に完敗したのもあり。


「この格好で王宮に戻ることはないし……。実は近衛の隊舎ももう出ることになっていて。アレクス王子が、王宮に部屋を用意してくれることになっていて。近衛とは違う任務につくことになっている。でもそこは機密だからまだ言えないんだ。ごめんね」

「近衛騎士隊を出るのか」

「結果的にそういう扱いになるかもしれないけど、納得はしているから。そのときは……」


 クライスは小さく笑って、ルーク・シルヴァの顔を覆った手を捕まえて、はがして、顔を覗きこんだ。


「こういう格好をすることもあるかもしれない。その話はまた今度、ね。待っててもらえるかな」


 ルーク・シルヴァは目を閉ざし、眉間に皺を寄せて難しい顔はしたものの、振り切るように顔を振って立ち上がった。

 落ちていたローブを拾い上げて、クライスに渡す。


「とりあえず、まだ隠さなきゃいけないんだろ、それ」

「そうだね」


 頭からがふっとかぶって、服装を覆い隠す。

 その様をじっとみっていたルーク・シルヴァであるが、立ち上がったクライスに手を差し出した。

 なんだろ、握手かな? というようにクライスは小首を傾げつつ、手を掴む。強い力をこめて握り返すと、はなさずにルーク・シルヴァは歩き出した。


「五分経った。部屋まで送る」

「えっと。手……?」


 なんで離さないんだろう、と不思議がるクライスに対して、ルーク・シルヴァは振り返らずに言った。 


「手をつなぐくらいいいだろ。恋人同士なんだし」


 ああ、なるほど。ロイドの部屋までの短い距離、手を繋いで……

 頭で理解した途端に、繋いだ手から身体中を羞恥心その他諸々の感情が突き抜けて、吹き荒れて、クライスはよろめいた。 


「なんでそんなに積極的なの……? 僕じゃなくてルーク・シルヴァが?」


 思わずもらした呟きを耳にして、ルーク・シルヴァが振り向いた。

 凄絶な美貌に、完璧な無表情でクライスを見つめてから恐ろしく低い声で言った。


「俺お前に言ったよな。別に惜しくないから何回言ってもいいけど」


 繋いだ手をひいて、クライスを引き寄せて胸におさめて耳元に唇を寄せて。


「忘れているみたいだからもう一回言っておくぞ」


 不意に声を甘く和らげて、告げた。

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