第11話 あなたのいないこの世界

 ──王宮の裏手で魔物が出た。警備兵が対応に出ている。


 伝令によってもたらされた情報に、即座に反応をしたのはアレクス、クロノスの両王子。


「俺が行く。騒ぎを大きくしたくない、ここの近衛兵は動かさない方がいい」


 クロノスがアレクスに進言し、足を組み直したアレクスは鷹揚に頷いた。


「任せる」


 颯爽と立ち上がって場を離れようというクロノスに、同じく立ち上がったルーナが早足で並んだ。いぶかしげな視線をものともせずに、追い越した。


「危険だよ」


 追いついて肩を並べたクロノスが声をかけるが、ルーナの足は止まらない。


(王宮の裏手って、いつも俺が寝てる辺りか……? どうして、誰が来た……!)


 魔王は廃業しているし、若い魔族には顔も名も売れていないはずだが、魔族同士ならば存在を感知することはある。強い魔力の残滓に惹かれて、出てきてしまったのだろうか。

 愚かしいことだった。

 騒がれて命を奪われるだけなのに。

 まかり間違えて人間を傷つけたりしたら、それこそ洒落にならない。いらぬ緊張、すなわち憎しみを生む。

 そのとき、聖剣はまた魔族殲滅のために降臨するかもしれない。それを握るのは、平和に生まれて生きて死んでいくはずのクライスかもしれない……!


 王宮の人間に先を越されたくないが、魔法を使って移動したりすればルーナの正体に勘付かれる恐れはある。そのギリギリの思いから走っているのだが、鬱陶しいくらいぴたりとクロノスがついてくる。


「愛しいクライスの最終試合観戦を放棄してまで、どうした白雪の姫。何が気になっている?」

 

 足音も高く廊下を走り抜ける二人に、通りすがりの者が驚いたような目を向けていた。

 クロノスが茶々を入れて来る。


「健脚だなぁ」


(そういうお前は余裕あるよな)


 息も切らせていないし、無駄口は叩くし、きっと本当はもっと速く走れるだろうに、張り付いてくるのはルーナへの興味ゆえか。調べても正体のわからないルーナが、このどさくさでどこに向かうか気にしているのか。

 或いは、なぜ魔物に関心があるのか見極めようとしているのか。

 いずれにせよ、邪魔だ。しかし、目的地が同じなので、まくにまけない。

 結果的に、二人でその場へと急行する形になった。


 * * *


 裏庭の木立の間に見え隠れする何かに対し、ずらりと七人の兵が遠巻きにして剣を構えていた。


「よし。俺が来るまで手を出すなっていうのが、きちんと伝わっていたな」


 クロノスがそう言って、前に進み出る。

 一瞬、魔族との戦闘経験のない兵士たちがしり込みしているのかと思ったが、違った。表情を見ればわかる。兵士たちは瞳をぎらつかせて魔物の影を追っていた。


(人間ではなく、完全なる『悪』。殺しても咎められることなどなき存在。力試しに飢えた兵士たちには格好の獲物かよ……!)


 今まさに舌なめずりして狩りの開始を待つ男たちを、ルーナは蔑んだ目で見る。

 ちらりと見えただけで、魔物の種類はわかった。小さくか弱き者。爪や牙は鋭利だが、それとて人間の脅威になるほどではない。森の小動物とたいして変わらない。七振りの剣もあれば、いとも簡単に血祭にあげられるだろう。


「この場は俺が引き受ける。お前たちはここに誰も近づけるな」


 武器のひとつも持たぬクロノスが前に進み出る。


「王子。危険です。相手は理性なき魔物ですぞ!」


 こざかしい進言をした男に、ルーナはごくさめた視線を投げた。

 王子と並び立つ少女の存在にようやく気付いた男たちが、その圧倒的で冷然とした美貌を前に息を呑む。


「俺は大丈夫だから。その辺を見張ってて」


 笑みを浮かべたクロノスが、兵たちに声をかける。そのやりとりを完全に無視してルーナは背を向け、木立の間を進んだ。


「あちらの姫君は……!?」


 背後で兵士たちがクロノスに何か言っているが、構うものか。

 だというのに、どんな隙も与えるつもりはないらしいクロノスが追いついてきた。


「関係者以外立ち入り禁止にしているんだ。好奇心は猫をも殺すよ、ルーナ。下がっていなさい」

「誰に向かって口きいてんだよ。俺はお前の命令をきく筋合いにない。好きにする」

「そう言うと思った。何が目的? 魔物に興味があるの? 腕に覚えは?」

「ごっちゃごちゃうるせーな」


 言い返したそのとき、腕を掴まれた。察知する間もないほど、鮮やかな所業だった。


「腕に覚えは? ないなら俺に守られることになるよ、気の強いお姫様。せめて先に立つのはよせ」

「はなせよ。お前こそ、武器も持たないで、たいした自信だ」


 腕を強くひくと、クロノスはわずかに目を細めつつ、離した。そのまま、唇に不敵な笑みを浮かべた。


「前世の話をしたよね。実はあの話は今まで誰にもしたことがないんだけど。前世では俺は勇者を支える旅の仲間だったと。……魔物なんて飽きるほど戦っている。それにね、魔導士だ。魔法、使えるんだよ」


 色濃く記憶を保持しているらしいクロノスの言い分に、ルーナは目を細めた。


「つまり……、修行も何もしていないにも関わらず、今生でも魔法が使えると。そういうことか」

「うん。さすがに、なぜ魔法を使えるのか人につっこまれた場合、とても分が悪いから伏せているけど」

「そんな秘密を打ち明けられたところで、こっちには明かせる秘密はねーぞ」


 お近づきの印に交換条件にされても迷惑とばかりに言ったのに、クロノスは笑みを深めただけだった。

 どことなく、優し気に。


「べつにそんなことは望んでいない。ただ君には初対面で口がすべったから、ついでだ。秘密というのは抱えていると疲れるからね」


(俺に悪用されたらどうするつもりだ)


 ちらりと思ったが、その時はその時でどうにかすると腹をくくっているのだろう。どのみち、勇者が前世で信頼していた仲間の一人なのだ。さほど性格が悪いわけではないのかもしれない。

 重いだけで。


 向き合っていた二人であったが、草ずれの音に同時に振り返った。

 まさにそのとき、兎によく似た角のある魔物が草むらから飛び出してきた。クロノスが咄嗟にルーナの前に出ようとしたが、させまいとルーナが踏み出す。

 なぜか異常に興奮した魔物はルーナにとびかかると、その剥き出しの白い足に歯を立て、爪でひっかき傷を作った。痛みにわずかに顔をしかめつつ、ルーナは厳然とした声で命じる。


「ここはお前たちの住む世界じゃない。さっさと消えろ。勇者が築いた平和は、人間だけのものではない。領分を定められたお前たちも、互いに侵し合わない限りは平和なのだ。帰れ!」


 鋭い言葉に、強い意志を込めて。

 足に食いついていた魔物は、急速に力を失ったように、耳を伏せて地面に落ちた。そして、一目散に木立の間に消えていった。数匹、その動きに合わせてついて行く気配があり、すぐに消えた。

 それを見送って、ルーナは小さく吐息する。


「魔物を一喝、か。面白い特技だな」


 そう言いながら、クロノスはルーナの足元に跪くと、血を流している足をひょいっと掴んだ。いきなりのことでバランスを崩したルーナは、クロノスの頭に手をのせて髪を引っ張る形になる。


「何すんだよ!」

「怪我を見てる」


 言うなり、クロノスが足の怪我に唇を寄せて──止める間もなく血を啜った。


「やめろばか!!」


 ルーナが抗議の声を張り上げたときには、怪我は跡形もなく消え去っていた。しかし。

 じろりとルーナはクロノスを睨みつけると、その場に膝をついて、クロノスのズボンの裾をまくり上げた。

 消えたはずの怪我と同じ怪我が、そこで血を流して在った。


「何してんだよ、ばかかお前」

「回復魔法は得意じゃない。引き受けることならできるんだけど。さすがに君のその見目麗しい足に傷をつけて帰したら、クライスが騒ぎそうだ」


(結構痛かったぞあれ)


 平然としているクロノスが、同じだけの痛みを受けているのかと思うと、ルーナはげんなりした気分になってくる。しかも。


「それが前世の死因か」


 苦い苦い思いを、耐え切れずに口にしてしまった。


「どうしてそう思った?」

「勇者が死んだのは、物理攻撃だからな。死なせまいと、そばにいた誰かがその怪我を引き受けようとしても不思議はない……」


 仄暗い眼差しで呟くルーナとは対照的に、クロノスは明るく言った。


「鋭いけど、ちょっと惜しい、かな。俺が手を伸ばしたときには、もう絶命しているのはわかっていたんだ。それでも、あの首に怪我を残しておきたくなて……。無駄死にするのはわかっていたけど、どうしても、せめて綺麗な死体で帰らせてあげたいと思ってしまった」


 言い終えると立ち上がり、しゃがみこんだままのルーナに手を差し伸べる。その手をとらずにルーナもまた立ち上がった。

 木漏れ日を浴びて、クロノスは淡く笑った。


「追いかけないから、今日のところはこのまま帰りなよ。今修練場に戻っても、カインにキスすることになる。クライスが泣くよ」

「やっぱり負けたと思うか」

「うん。それと、君がいやいやでもクライス以外の男とキスをした場合、アレクス兄上は喜ぶだろう。それは面白くないんじゃない?」


 冗談めかして言われた内容を検討して、たしかに、とルーナは結論付けた。そして、話にのることにした。


「わかった。お前もさっさとその怪我の手当てしろよ。化膿すると面倒だからな」

「そうだな」


 気安い調子で言うクロノスはどこか信用ならなかったが、負い目に感じても仕方ないと自分に言い聞かせ、ルーナは木立の間に進んだ。




 ほっそりとした後ろ姿を見送ってから、クロノスはそばの木の幹に背を預けて、腕を組み、ひとり静かに呟いた。


「俺、あいつの死体を綺麗にして王都に帰したつもりなんだけど。どうして迷いもなく死因を物理攻撃と言ったんだ、白雪の姫」


 何を見るともなしに草むらの一点に目を向けて、しばらくの沈黙の後、顔を上げて少女の消えた木立の方へと視線を投げる。

 さやさやと葉擦れのざわめき以外何も聞こえない。彼女はもういない。

 ただ、最後に見た後ろ姿の幻に向かって、問うように胸のうちで呟く。


(『ルーナ』……?)

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