第10話 毒入り林檎

「どーもー、また会ったな。今日はまた、白雪の姫のように可憐で。眼福だよルーナ」


 椅子の背に腕をまわしながら、顔を覗き込みつつにっこりと微笑んでクロノスが言った。


「べつにお前に会いに来たわけじゃない。無駄口叩いてんじゃねーよ」


 顔を向けるでもなく、鋭い視線だけ流しつつ、ルーナが切りつけるような口調で答えた。

 声の届く範囲にいた者たちが「ひっ」と息を呑む。本人も言われたクロノスもまったく気にした様子もない。

 反対側に座っていたアレクスも、もの言いたげな視線を流してはいたが、無言。


「さすがだな。ここまで堂々と衆人環視の中、姿を現すとは思ってなかった。あれから調べてみたんだけど、君がどこのだれか全然わからなかった。今日会わなかったら、あの日の出会いは俺の記憶違いで、君は幻だったのかと疑いはじめるところだった」

「生憎、俺は実在してるよ。調べたとはまた、ご苦労だったな。大したリサーチ力でもないみたいだけど」


 いちいちきっちり煽る気の強さに、クロノスはさすがににやにや笑いを一度ひっこめた。そして、黒縁眼鏡の奥の金色がかった瞳をきらりと光らせて、ルーナを見つめた。


「ルーナ。ルーナ、か。この名を口にするたびに胸がざわめいて仕方ない」


 そこでようやく、ルーナはクロノスに顔を向けた。


「どんな名で呼ばれようと俺は俺だ。落ち着かないならお前の好きな名で呼べばいい。返事をするかどうかは知らないが」


 クロノスは居住まいを正して、黒縁眼鏡をはずした。

 決して目を逸らさせないとばかりに、真正面からルーナを見据える。


「その不思議な気遣いは優しさなの? ありがとう。でも平気だよ。たとえ俺の知る人と同じ名でも、二人が別人なのは知っている。ルーナ。うん。そうだな、むしろまたその名を呼べる喜びが、いまは大きい。たとえ別人でも、いつもその名を口にしていれば、あの人のことも忘れないでいられるから」

「相変わらず、重い男だ」

「自覚はあるよ。見た目は軽いってよく言われるけどね」


 向き合って、視線を交わらせて。甘やかな空気とは無縁ながらも、同じ一人のことを互いに思うがゆえに、奇妙な連帯が漂う。

 そのとき、わっと歓声が上がった。

 茶色髪の長身の青年が、軽く対戦相手をいなして勝ちを決めたところだった。


「あいつ、さっきの」

「気になる? カインだ。次の隊長と目されている、優秀な男だよ。クライスとも仲が良い」

「仲が良いって……。さっきから見てれば、べたべたべたべた、気安く触り過ぎだろ。クライスもなんだ、なんであんな男に身を任せているんだ」


 ルーナの眉間にぐっと皺が寄った。試合よりも、近衛騎士隊の面々を見ていたのだが、クライスとカインはずっと肩が触れ合うほどに寄り添っていて、親し気に話している。

 さらに、ルーナことリュートが気に入らないのは。


(あの男……、クライスが「女顔」になるとすかさず周りの目から隠して、フォロー入れてるよな……。気のせいか? でも、的確だ。何言ってるのか知らねーけど、あいつと話すとクライスも持ち直すし。なんだよそれ。なんでお前、職場で女の顔して、他の奴にかばわれているんだ。肩抱かれたり頭撫ぜられたり。男同士でふつうそこまでするか? 鈍感すぎだろ。気付けよその男絶対なんかあるぞ)


 いつの間にか、小さな拳を血の気がひくほど強く握りしめていた。

 クロノスはそれに気づいて、唇の端に笑みを浮かべる。


「ふーん。彼女殿も、あいつのことになると実はそんなに余裕ないのかな」

「は? なんだよそれ」

「カインは、強いよ。さっきから瞬殺決めてるからよくわからないけど、クライスと打ち合ってもそんなに手こずらないはずだ。カインが勝つよ」


 毒を注ぎ込むように。

 くすくすと笑いながら、はっきりと不快を示しているルーナに片目を瞑ってみせ、黒縁眼鏡をかけなおす。そして、身体ごと前に向き直り、試合を見始めた。

 その横顔に、ルーナは射殺すほどの視線を向けたが、何も言わずに自分もまた試合を見るふりをした。

 一連のやりとりを、アレクスは無言のまま見ていたが、二人とも気付きつつ完璧に黙殺した。


 そうして、にやにや笑うクロノス、無表情に見せかけて不機嫌そのもののルーナ、無言で何か思案する様子のアレクスと三者三様で試合を見ていたそのとき。

 ばたばたと一人の兵士が王子二人めがけて走りこんできて跪き、急を告げた。


 * * *


 トーナメントを勝ち上がった結果、最終カードはカインvsクライスとなった。

 二人、短期決戦で進んできたので、特に体力の損耗もなく、気力に満ちた様子で向き合う。


「俺に勝てば彼女のキスだー、みたいな顔してるけど。手は抜かないぞ?」


 クライスの血気にはやった顔をみて、カインが笑った。


「いいよ、本気で。僕も本気だ。絶対に勝つ!」

「よく言う。クライス、これまで俺に勝ったことが何回あるんだよ」


 あくまで余裕に満ちた様子のカイン。クライスはむっとしつつも剣を構え──

 二人同時に、踏み込んで剣を打ち合わせる。澄んだ金属のぶつかり合う音が響いた。

 剣をはさんで、視線を交わす。

 カインが、場違いなほど柔らかく笑った。


「俺も彼女のキスは欲しいな。お前、彼女とはしたことあるんだよな?」

「なっ、そりゃ、もちろん!」


 切り結びつつ、クライスが答える。

 その動きを目でとらえながら、カインは笑って言った。


「ということは、彼女とキスするとお前とも間接チュウなわけだ。おいしいな」

「はあああああああ!? なんだそれ!!」


 瞬間的に苛立ちを解き放ちつつも、クライスとて手元も足運びも的確で乱れはない。カインはさらに余裕を見せつつ、笑みを深めながら言った。


「どうせなら大人の深い口付けをお願いしよう」

「……っ。お前、ふざけんなよっ!! そんな汚い目で僕のルーナを見てんじゃねーよ!!」

「汚いかな? お前もしたんだろ?」

「僕は恋人だからいいの!! ていうか……、そんなことまでしてないしっ」


 頭に血が上っていたせいか、いつも以上に素直にクライスは打ち明けた。自分でも、何を言っているのかは気付いていない様子。ひたすら挑発に乗ってくやしがっている。

 カインは打ち合いながらも、ふっと息を吐いた。


「……だと思った。何がお泊りだよ、粋がって。ほんとお前そういうとこ」

「なんだよ!? さっきからなんだよ、集中してんのかよ!!」

 

 かみつくクライスに、カインはわずかに目を細める。

 そして、大柄な体躯の印象を鮮やかに裏切る俊敏な動きで不意に踏み込んで、力任せにクライスの剣を弾き飛ばした。

 軋んだ金属音を響かせながら、剣は空を飛んで、落ちた。

 すぐに拳を握りしめて肉弾戦で応戦しようとしたクライスに、カインもまた剣を捨てると素手で応じる。鋭く突き出された手首を軽くおさえつけて、動きを封じると、その場に押し倒して上から馬乗りになった。「反応は良かったけど、まだまだだな。ま、相手が悪かったと思え。俺以外だったら勝てたさ」 

 ほとんど息も乱さず、穏やかに言ってクライスの身体の上から立ち上がる。


「……俺以外だったら、って……」


 認めざるを得ない負けにおおいに落ち込みながら、クライスは上半身を起こしつつ呟いた。カインがぽん、と頭に手を置く。


「頭打たなかったか? 悪かったな。手加減は本当にできなかった」

「大丈夫」


 はああとクライスは大きく溜息をつく。


(だけど、カインで良かった。そんなえげつないことはしないはず。さっきのも、いつもみたいに僕をからかっていたんだろうし。交渉次第でルーナのキスは諦めてくれるんじゃ)


 甘いことを考えながら、観覧席に目を向ける。

 だが、そこにはいるべき人の姿がなかった。


「ルーナ……?」


 呆然として呟くと、先に確認をしていたカインが戻ってきて言う。


「ルーナ殿は、クロノス王子とどこかに出て行ったということだ。……おい、クライス落ち着け! どこに行ったかはわからないし、今はまだ仕事中だからな!」


 飛び出しかけたクライスの腕を掴んで鋭く叱責する。

 クライスは、青ざめた顔でカインを見上げて、呻いた。


「なんでクロノス王子と、なんだよ……!」

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