第21話 特訓
「よし、到着だな!」
ステラの明るい声が、鐘の音のように青空へと吸い込まれていく。
三人がやってきたのは、森の中にあるこじんまりとした小屋の前だった。
人の気配こそないものの、小屋の脇には大小様々な材木がサイズごとに積み上げられており、奥の方には干し草が山積みになっているのが確認できる。
小屋自体の造りは大分古いが、荒廃している様子もなく、寝泊まりをするには支障のない物件といえそうだ。
それに小屋の周りは、資材の搬出のためだろう、ある程度の広さを持ったスペースが確保されている。
これなら、ここに来た目的も十分に果たせそうだ。
仮に問題点を挙げるとするなら、全方面を森で取り囲まれているため、勝手に出歩いて迷ってしまったら最後、戻って来られる保障はないということくらいだろう。
現状、問題はなさそうだ。
これも事前に小屋の場所をウッドアンクルの木こりに教えてもらったおかげだろう。
さて、いつまでも外に突っ立って眺めているわけにもいかない。
最初にやることは、もう決まっているのだ。
ダイスケは小さく咳ばらいをすると、同伴する二人の少女へ呼びかける。
「よし、それじゃあ小屋の掃除だ。それが終わったら荷物を置いて特訓だ、いいな?」
「はーい」
「わかった」
ダイスケの言葉に、ベルは手を挙げ、ステラは腕を組みながら元気よく返事をすると、お互い目を合わせた後、二人同時に小屋へと駆け出す。
ところが、扉を開けたタイミングで二人が身体を無理やり押し込んだものだから、つっかえて中々入れない。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「ぎににににに……」
互いに引かず、我先にと体に力を込めるベルとステラ。
そこに譲り合いという言葉は見つけることはできなかった。
「ちょっと、どきなさいよ!」
「そっちこそ、年上を敬ってだな……うわっ!」
口論もそこそこに、勢い余って小屋に転がり込む二人。
痛々しい物音と共に埃が舞い上がる。
その様子に、ダイスケの口からは溜息が漏れた。
「まったく……何やってるんだか」
旅の最中にも関わらず、この地での特訓を提言したダイスケだが、その理由は数時間前に遭遇した戦闘にあった。
深い森の中に見つけた小さな水場。
そこでダイスケたちの行く手を阻むように立ち塞がっていたのは、濃い橙色をした星形の花弁を揺らしながら、長い触手で獲物を物色する巨大な植物の魔物――デビルフラワーと、人間の赤子くらいの大きさはあろうかという2体の巨大な蜂だった。
「てやぁぁっ!」
颯爽と引き抜いた剣を手に、ベルは思い切り駆け出して、デビルフラワーへと斬りかかる。
ところが、デビルフラワーは太い触手を俊敏に動かしてベルの剣へと巻き付け、剣による一切の動きを封じ込めてしまった。
「えっ?」
驚きから、ベルの身体の動きが止まる。
ベルは、なんとかして触手から剣を引き離そうと試みるが、力の差は歴然でピクリとも動く気配はない。
「ちょっと、なんで、動かない、のっ!?」
焦りと苛立ちからか、ベルの意識は目の前の剣と触手に釘付けになっていた。
そこに生じた大きな隙を、デビルフラワーは見逃さなかった。
剣を押さえている方とは別の触手を持ち上げ、ベルに照準を定めるように宙で動きを止める。
まるで狩りを始めるハンターのような、静かで、しかし冷淡な殺気がデビルフラワーから放たれる。
その気配をいち早く察知したのは、近くで巨大蜂の相手をしていたダイスケだった。
「ベル、引け!」
目の前でやかましく羽音を立てている蜂たちを、横薙ぎに2体まとめて切り捨て、ダイスケはベルの元へ駆け寄る。
同時に、デビルフラワーの触手がベルへと一直線に向かう。
「――ダイスケ?」
ダイスケの声にベルは我に返るが、触手の槍撃は止まらない。
顔を持ち上げたベルの瞳には、鋭利に変形した触手が迫りくる様子が映し出される。
叫び声を上げる余裕も、目を閉じる暇も許さない、死へのカウントダウンが始まろうとしていた時だった。
「でやぁぁぁっ!」
渾身の叫びと共にダイスケはベルと植物の間に飛び込み、力の限り剣を振り上げる。
それは紙一重の勝負を生き抜いてきた英雄だからこそできる、奇跡の所業だった。
ダイスケの剣は高速で近づく触手の下部を的確に捉える。
剣を通して感じる重い衝撃。
ダイスケはそれを受け流すことなく、最後まで力の限り押し上げる。
「こ、の、野郎がぁっ!」
結果、デビルフラワーの攻撃は上方へと大きく外れ、対象を失った触手は寂しげに宙を泳いだ。
「ったく、この触手、重すぎだっての」
金属の槍で攻撃を受けたかのような重い一撃に、ダイスケは顔をしかめ、悪態をつく。
一方、相手のデビルフラワーは大してダメージはないらしく、次の攻撃を放つべく、先程と同様に触手を持ち上げ狙いを定めていた。
このまま戦うこともできなくはないが、ベルがすぐ近くに居るこの状況では分が悪い。
「ベル、一旦引くぞ」
それだけ告げると、ダイスケは返事を待たずに左腕でベルを小脇に抱え込み、地面を蹴った。
「ステラ、頼む!」
「任せておけ!」
ダイスケの指示に合わせて、一人後方で距離をとっていたステラは両手を突き出し、意識を集中させる。
モミジのように小さな手の間に生まれた光の玉は、徐々にその力を強め、膨張していく。
「食らうがいい、
カボチャのサイズまで膨れ上がった光の玉は瞬時に紅の衣をまとい、デビルフラワー目掛けて射出された。
燃え上がる火球は周囲の空気を巻き込みながら巨大化し、デビルフラワーの根元へと直撃し、背後にそびえる巨木すらも呑みこみそうなほどの火柱が上がる。
瞬時に周囲の明度と体感温度が上昇し、放り出されたベルの剣に燃えさかる炎の姿が映し出される。
そして炎は潤沢な燃料をむさぼりながら空気を揺さぶり、更に勢力を拡大させようと燃え広がっていく。
その光景にダイスケもベルも、息をするのも忘れて愕然と立ち尽くしていた。
「まぁ、私にかかればこんなものだな」
身動きを取れずにいる二人に対し、腰に手を当てて満足そうにうなずくステラ。
その声を聞き、ダイスケは我に返ると、声を荒げてステラへと詰め寄った。
「こんなものじゃない! それより今はとにかく消火だ。このままじゃ大火事じゃ済まないぞ! そもそも、どうして森の中で炎の魔法なんだよ!」
「ん、ダメなのか? いやぁ、うっかりしてた。次は気を付けるさ」
「やるならせめて飛び火しない規模でやってくれ。これはさすがに規模も威力も高すぎだ!」
「わかったから落ち着くんだ、英雄様。ほら、まずは火を消さないと――」
「……あぁ。ベルも手伝ってくれ。そこの水でも土でもいい。なんとしてでも火の回りを食い止めるぞ」
「う、うん……わかった」
呆けていたベルも引き入れ、三人による決死の消火活動を行った結果、なんとか火災は鎮火させることができたが、その時のダイスケの顔は疲労でぐったりとしていた。
「とにかく、実戦てのは練習とは違って一歩間違えば命を落とす。いざという時に間違って仲間を傷つけたりしたら壊滅の危険すらある」
ダイスケはそこで一旦言葉を区切り、目の前に並ぶ二人の少女を見据えた。
心当たりがあるのだろう、少女たちの表情は神妙というよりも伏し目がちで、不機嫌を内包しているのが態度から丸わかりだ。
旅をするために王都を出たのにいきなりこんな場所に滞在することになったのだから、それも当然だろう。
だが、だからといってこのまま旅を続けるのはそれ以上に危険だ。
せめて、最低限生き延びれるだけの技量は身に着けてもらわなくては、命がいくらあっても足りない。
ダイスケはコホンと小さく咳払いをした後、ベルへと向き直った。
「まず、ベル。あの木の枝に吊るした人形がわかるか?」
ダイスケはそう言って最寄りの大木を指差す。
そこにあったのは、成人男性の太腿くらいはありそうな太い枝から吊り下げられた、干し草を束ねて作られた簡素な人形だった。
人形といってもかろうじて人の形をしているように見えるだけで、実際は干し草の塊と大差はない。
ベルは干し草の人形を目にした後、こくりとうなずく。
「あの人形をひたすら斬るんだ。真剣でだ。ダメになったら小屋の裏手に干し草があるから人形を作って繰り返すこと。いいか?」
「うん、わかった」
ベルはハッキリと返事を述べると、そのまま干し草人形の方へと駆けていく。
その背中を見送ると、ダイスケは今度はステラに言及する。
「ステラにやってもらうのは、魔法の制御だ」
「あぁ、任せてくれ」
その無尽蔵の自信は一体どこからわいてくるのだろうか。
ステラの言葉に対する、不安と疑問を飲み下して、ダイスケは特訓内容を告げる。
「あそこに石で囲いを作った。その中に置いた木の枝に着火させるんだ、いいな?」
ベルの時同様に、ダイスケは小屋から少し離れた位置に作られた、石の囲いを指差す。
円を描くように置かれた石の中央では数本の木の枝が互いに寄り添うように立てられていた。
「随分とこまごまとしたことをするのだな」
「火事を起こされても困るからな」
ダイスケは苦笑を漏らしながら答える。
そんなダイスケの真意を知ってか知らずか、ステラは悠然と特訓の場へと歩き始める。
「心配ない、近々マスターしてみせるさ」
「……頼んだぞ」
ステラの背中を眺めながら、ダイスケはポツリとつぶやく。
程なくして、ベルの掛け声と足音、そして重い風切り音が耳に入ってくる。
そこへステラの詠唱と小さな爆発音が加わり、賑やかな二重奏が始まった。
ダイスケはその様子をしばらく眺めた後、小屋を背にゆっくりと歩き始めた。
今のダイスケにできることは、この場にはもうない。
あるとすれば、頑張る彼女たちのために、買い出しに向かうことくらいだ。
小さくなっていく少女たちの声。
どこからともなく生まれてくる小鳥たちの歌声。
束の間の自然の営みを目と耳、それと肌で堪能しながら、ダイスケの足は来た道をまっすぐに戻っていくのだった。
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