第33話 血と骨と灰

 閃光が地上を焼き払う──


 その高潔さゆえに戦乱に身を投じることなく、悪名を馳せ損ねた、世に冠絶する攻撃系の魔導士。

 彼の放つ、命中すれば死を免れないその一撃は。


「ダメだよ、アリエス」


 広い背中にしがみついた小柄な魔導士のせいで狙いの精度を欠き、対象を焼き殺す威力を発揮できなかった。

 あろうことか、それはその魔導士の作意によって捻じ曲げられ、本来襲うべきではない相手に牙をむいた。


「…………っ!!」


 「閃光」の魔導士アリエスは刮目し、声にならぬ叫び声を迸らせた。

 捻じ曲げられた白光は彼の背にしがみついたままの彼女に容赦なく襲い掛かった。


 何度も眠り、目覚め、出会い、そのたびに好きだと伝えているのに、繋ぎ止めることもできずに、眠りに奪われてしまう永遠の少女。

 気が遠くなるほど恋焦がれて、諦めようとして、絶望して。

 それなのに、いつか手に入れたいと望んでしまう。違う、もっとあさましい欲が自分の中には確かにある。

 受け容れて欲しい。その華奢な身体を穿って、内に滾る熱のすべてを叩き付けて破壊してしまいたい。壊れてしまった身体を優しく抱きしめて口づけて、無限の時を際限なく身体を重ねたままやり過ごしたい。


 永遠のような長い日々と、彼女への、破壊衝動。


 直前に彼女による魔力の干渉があったと頭ではわかりながらも、彼女を全力で打ち据えてしまったのは、自分の中の昏い欲望の発露ではなかったかと。疑念は深く。

 振り返ることもできずにいたら、彼女が前に回り込んできて、顔を見上げてきた。


「アリエス、大丈夫? ごめんね。せっかくの大技だったけど、アリエスの力は人を傷つけるためのものじゃない。すごく綺麗なんだ。アリエスはいつだって綺麗なわたしの『光』だ。だからそういうのはダメだよ」

「何が。俺はお前の為ならどれほどの罪を犯しても構わない」


 「時」の魔導士の身体から、幾筋もの白煙が立ち上っている。

 彼女の魔法耐性でも相当辛かったはずだ。一歩間違えれば死んでた。殺していた。

 今更ながらに震えが来て、アリエスはがくがくと手を差し伸べた。指で頬に触れた。指先は先程剣で切った血で汚れていて、目を伏せながら頬を寄せた彼女が気付いた。


「血が出てるよ。どうしたの、この怪我」


 小さな唇に触れそうになり、無言のまま手を下ろした。

 綺麗な「光」。そんな羨望はいらない。


(「光」ではなく、生身の俺を)


「ごめん、今は手当てできない。後できちんと……。今は『血と鋼』と話したいんだ」


 心配そうな目で見て来るくせに、そばにはいてくれない。いつだって、駆け抜けてしまう。

 「時」は、踵を返して、「血と鋼」と向き合う。


「助けてなんて言ってないよ、ちび。何余計なことしてくれてんの。それとも、二人はそういうのが好きなの? かなり痛かったでしょ?」

「何言ってるかわからないんだけど。わたしが助けたのはアリエスで、『血と鋼』じゃない。わたしの為にアリエスが罪を犯す必要なんてない。あなたを殺すのはわたしだ。アリエスじゃない、このわたしだ」


 指が細く長く、それゆえに身体に対して少し大きな掌を自分自身の胸にあて、「時」は宣言する。

 「血と鋼」が笑った。


「殺せるの」

「不老長寿の魔導士には実感が薄いだろうけれど。この世のあらゆる生き物を殺すことが出来るのは『時』だよ。すべてを確実に過去のものとして、世界から切り離していく。例外はない。それが『時』だ。そのわたしに、あなたは何か望みがあると言ったな」

「あるよ。生き返らせて欲しい。もう切り離されて過去となった生を、巻き戻して今に再現して欲しい。止まってしまった私の妻の時間を……」


 話しながら、『血と鋼』は首筋から胸に手をいれて、紐で下げていた小さななめし皮の袋を取り出した。


「彼女の指が入っている。血の流れを保持しているから綺麗なものだ。見てみる?」

「指だけか」


 答えて、「時」は「血と鋼」に歩み寄る。「血と鋼」は目を細めて、場違いなほど明るい笑みを浮かべた。

 抜けるような白い肌の清らかな美貌が、凄惨な様相を帯びて際立った。


「毎日少しずつ齧っていたら、これだけしか残らなかった。彼女は死に顔すら愛らしかった。最高だよ。自分が最低最悪の生き物になっていく感覚。でも嫌じゃなかった。羨ましい?」


 歌うように紡がれた、澄んだ声。

 最後の一言は、瞳から色を失い立ち尽くしているアリエスへと向けられた。ぼうっとした顔で「血と鋼」を見返したアリエスは力なく首を振った。「全然」


「なるほど。だからか。あなたの妻はそこに……、どうしようもなくあなたと不可分に溶け合って、そこにいる。そんな状態で、わたしにどうしろと」


 ゆっくりと近づいた「時」は掌を「血と鋼」の胸にあて、至近距離から顔を見上げた。


「離れ難く、分け難く、あなたのここで、ぐずぐずに溶け合っている」

「血も骨も髪の一筋まですべて私のものにしてしまったからね。まるで抱き合って愛し合うかのように、時間をかけて」


 互いの目を間近で覗き込み合いながら、「時」が尋ねた。


「あなたの愛しいひとは、美味しかった?」


 ただの単純そのものの問いかけに、「血と鋼」は唇の端を持ち上げて笑みを深めた。

「食べ辛かった」

「そうだろうな。抱き合うよりずっと、苦行のはずだ。まるで死を防げなかった自分への長い長い罰のような時間だっただろう。蝕まれるはずだ」


 頷きつつ考察を述べる少女に、麗しい見目の青年はふっと吐息する。


「君が嫌いだ、ドちび。抱き合うということのなんたるかを知らないくせに、簡単に否定するなよ」

「知らないかもしれないけれど。想像したことはあるよ。わたしはどんな風に抱かれるのだろうと」


 少女の顔を見下ろす「血と鋼」の顔が、なぜか悲しげに歪んだ。


「相手は誰? 誰の手や腕や唇や胸が君を抱くの? 君の心にいるのは誰?」


 答えずに、少女は「血と鋼」の胸に掌をあてる。


「あなたの妻はあなたと溶け合ってしまっているから、どうあっても蘇生の魔法は使えないようだ。わたしに残された魔法は『死』しかない。使うぞ」

「どうする? って聞かないのが君だよね。もう、使うのは決まってる。私の意志なんか無視だ」

「この世でただ一人の『時』の魔導士だから。誰もわたしの仕事を代われない。すると決めたことは速やかに自分でしなければならない。『時』のくせに、わたし自身にはいつも理不尽なまでに時間がない」


 ぼやいた少女の手に手を重ねて、「血と鋼」が穏やかに言った。


「攻撃系の魔法は持っていないはずなのに。どうやって殺すの?」


 二人の視線が絡んだ。絡み合ってもそこにあるのは決して情愛ではなく。

 ただ遠い昔に培った友情は微かに息づいていて。

 唇を震わせて、少女は宣言をした。


「何もしなくていい。目を瞑っていればすべて終わる。あなたの不老長寿を解くよ」


 青年は赤く染まった瞳でにこりと笑って、最後の憎まれ口を叩いた。


「まるで処女を口説く男のようだ。生憎私には少々経験がある。怖がらないよ」


 少女の手から溢れたのは、膨大な光。

 眩しいはずのそれは決して目を焼かず、ほのかな温もりを帯びて辺りを包み込んだ。


 * * *


「間に合いませんでしたか」


 言葉も交わさずに立ち尽くす三人を目にして、到着早々ファリスが口火を切った。


「遅くなりました。申し訳ありません」


 遅くなる原因を作ったエンデが、それをおくびにも出さずに主君に謝罪する。


「ご苦労だったな。そちらも」

「問題ありません」

「わかった」


 ジークハルトとエンデは短い言葉で確認を終えた。


「『血と鋼』は」


 尋ねたファリスの視線の先で、弱い風が吹き、背を向けて立つ「時」の魔導士の前にあった微量の灰をごくわずかに散らした。


「律儀に確認しようとするな。知らなかったとはいえ、悪いことをした」


 長い眠りから覚めた後のように全身を伸ばしつつ、アリエスが弱った声で言った。表情には陰りがあって、落ち込んで見えた。


「今回の件で無傷で済んだ者はいません。僕の母の死は偶発的なもので、避けられたものとも思わないのですが。僕の力が及ばないばかりに多大なごめい」

「迷惑とか言うな。そういう言葉で片づけられたくない。若造に全部背負われたくもない。親だ子だと言おうと、所詮は違う人間だ。親の不始末を子が取るべきなんて考え、俺にはない。ないものは無い!」

 落ち込んだところから、全開の怒りを噴き出させて、アリエスは若き『炎』の魔導士に歩み寄り、ぐしゃぐしゃと頭を撫ぜた。髪をかき乱しただけの乱暴な仕草だった。

 ジークハルトとエンデは伺い合うような視線を交わしたが、先に動いたのはエンデだった。


「エリス。ぼーっとしているけど、大丈夫?」


 歩み寄って、正面に立つ。

 声につられたように顔を上げた少女は、焦点の定まらぬ瞳でエンデを見上げた。


「眠い……」

「今!? もう少し頑張れる?」

「無理」


 そのままでは倒れてしまいそうな細い身体は、駆け寄ったアリエスの腕によって回収された。エンデに目を向けながら、大魔導士は声量はおさえながらも、強い口調で言う。


「これは俺のだから」

「それはまず、起きている状態の本人に確認が必要ですね」


 一歩も譲らぬ意志をのぞかせて、エンデが答える。

 睨み合ったのは一瞬で、「アリエス……」と小さな声が二人を一時休戦に追い込んだ。


「今は寝てしまうけど……近いうちに気合で起きるから、少し待ってて。色々とやり残したことが。引き継ぎとか──」


 心情を推し量るには微妙なことを言い残したまま、目を閉ざしてすうっと寝息を立てた。


「引き継ぎって……何を?」


 仕事? と誰にともなく呟いたエンデに対し、アリエスは疲れ切った表情で「知らん」と吐き捨てる。

 その横顔があまりにも打ちひしがれていて、エンデは考えもせずに手を伸ばしてしまい、嫌そうに打ち払われた。


「泣きそうだなと」

「お前こそ顔。涙の跡がついてるからな」


 お互いにえぐり合うようなことを言い、痛み分けとした。



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