第10話 魔導士の弟子

 故国の宮廷魔導士であるアリエスは、口も態度も悪かったけど、親切だった。

 そして魔導士だった。

 仕事や能力のすべてを把握していたわけではないけど、その手の内には人に攻撃を加える魔法もあった。

 そして現に、エリスには暗殺の密命がくだっている。「それに準じることでもいい」とも言われたとはいえ、国の方針、魔導士の適性から鑑みて「暗殺」はありえる仕事ということだ。

 アリエスではなく、エリスの方が成功するという判定が出たのが謎といえば謎なのだけれども。


(だってお師匠様が出来るなら、誰もわたしにやらせようとは言わないはず……)


 それはつまり、アリエスには出来なくて、エリスには出来ることがあるということだ。


 ──何?


 * * *


 王宮に戻り、食堂に向かって歩いていると、ファリスに出くわした。

 朝、ジークハルトと一緒にいるのを見たきりであったが、今は一人らしい。

 それはファリスも同様に考えたらしく、廊下の向こうからエリスの姿をみとめると、立ち止まって待っていた。


「一人ですか。騎士団の方は?」

「食堂まで、一人で行けるか試しているところです。さっき、エンデさんにあちこち案内してもらって」

「あの人らしいですね。ついでに、いろんな人と話したでしょう? 王宮の人間に顔見せするなら、あの人が適任でしょうね。顔が広いし、性格がまめだし」


 顔見せ。

 確かに、噂話でみんながエリスの存在を知っていたようだが、国王陛下の客人であるエリスとたいていの者は接点がない。その固定観念を、エンデは真っ向から壊してしまった。


「顔が知られると、曲者だと思われる危険性は減りそうですが、どこにいても『あそこにいる』って行動が筒抜けになりますね。もしあなたが間者なら仕事はやりにくくなるかな」


 エリスに対して、ファリスはにこにことしたまま物騒なことを言う。


(今日はちょっと、食わせ者の方のファリスさんだ)


「わたしのこと、警戒しながらも受け入れようとしたり、ジークハルトに近づけようとしたりするのは、どうしてですか。いらない危険を冒していると、わたしは考えますが」


 ファリスは両目を軽く細めた。そのまま、口の端を持ち上げて笑う。


「あなたには何か妙な違和感があると思っていましたが、そういうところです。自覚があるのかわかりませんが、深窓の令嬢として考えると、だいぶ言動がズレているんです。悪い意味ではありませんよ。ただ、僕の知っている令嬢たちとはずいぶん違う。なんだろう。その目かな」


 言いながら、手を伸ばして顎に軽く触れてきた。避けようと思ったが、ファリスの動きはエリスの想定よりずっと早く、隙をつかれた。

 青みがかった黒瞳が、じっとのぞきこんでくる。ひどく真剣な表情で。目を逸らせない。身体が凍り付いたように動きを止める。呼吸をするのも忘れるほど。


(──試されている)


 魔力を叩き込まれている。何か異種の、エリスとはまったく違う魔力が全身を巡り、それがエリスを呪縛しようとしている。気持ち悪い。抗いたい。

 しかし、それをしてしまってはかえって危険では? 正体を看破されるのでは?

 正体……大魔導士の名もなき未熟な弟子。


(知られて不都合なことなんて、全然なかったです!)


 エリスはファリスの手首を掴む。

 瞬間、ニッと酷薄な笑みを浮かべるファリスを睨み上げながら、エリスは奥歯をくいしばって指に力を込め、顎から手を遠ざけた。


「みだりに女性に触れるのは、失礼ではないですか」

「魔法耐性高いみたいですね」


(魔法? いえ、今のは力づくですが)


 エリスの手の中で、ファリスの腕からふっと力が抜けた。

 それでも、安心できずにエリスは手首を握りしめたまま、間近で睨みつける。ファリスは完璧で作り物めいた笑顔のまま、口を開いた。


「おそらく、あなたは魔法の訓練を受けていると思います。初めて会ったときから、同じ匂いがしました。力の程度は、記憶の回復を待たないとなんとも言えませんが、かなり強いのではないかと思います」

「それは買いかぶりすぎです」

「いえ。もしあなたが記憶を取り戻し、脅威となったとき、僕では対抗できないかもしれない。現に今、負けましたからね、僕」


(私に強い魔力? そんなはずない。からかっているのかな?)


「宮廷魔導士に、ただの素人が勝つなんてことはないと思います」

「だから」


 目はエリスに向けたまま、空いていた手で、手首をおさえているエリスの手首を上から掴んで外させて、ひねり上げる。

 加えられた力の強さに、エリスは息を飲んだ。

 瞬間的に二人を中心に巻き起こった風がふわっとエリスの髪を持ち上げ、ファリスの長衣をはためかせた。ファリスがまぶしそうに目を細める。

 その力がどこからきたものか、エリスには理解の外だった。

 宮廷魔導士はしっかり把握したようだった。


「……痛い」


 低い声で呟くと、エリスから手を離し、そのまま手の甲で自分の頬をぐいっと拭う。頬が浅く切れて血が滲んでいた。


「怪我してます」


 エリスが戸惑いながら言うと、ファリスは目を伏せて小さく溜息をつき、血のついた拳をだらりとおろして言った。


「もし訓練を受けていないのだとしたら、その方が怖い。ってのは、今のでわかりましたか」

「その怪我、わたしの魔力抵抗ということですか!?」


 はぁーとファリスからは聞こえよがしの溜息一つ。


「久しぶりにイラッとしました。むかつきましたね。試してみようとして返り討ちにあうとは、自分が情けない」

「わたしが返り討ったんでしょうか」

「それ以上言ったら怒ります」


 ファリスの声が非常に冷たく響いた。


(確かにいま、身体の中を魔力が抜けた感じはあったけど……。今まであんな強さで発揮できたことはないし、なんだったんだろ) 


 危険を感じて、かつてない底力が出たのだろうか。

 黙して考え込んでしまったエリスに対し、ファリスは軽く咳ばらいをして言った。


「とにかく、ですね。自覚が薄いようですが、あなたには魔法の素質があります。それも、非常に強い。僕としては、なるべく早く魔導士につき、魔力の扱い方を学ぶことをお勧めします。抑制を覚えないまま暴走した場合、この程度では済まない被害を出すおそれがあります」


 それは嘘ですね。

 そう言うのは簡単だったが、エリス自身、今までにない何か大きな力の流れがあったのは自覚していたので、ファリスを否定できない。

 自分にはわからないが、魔導士にはわかる何かがあるのだとすれば、大魔導士が頑なにエリスを弟子とした理由もわかる。


(買いかぶりのような気が、しなくもないんですが)


 これまで出来なくて、出来る兆しも見えなかったことが、突然見出されるなんてにわかには信じ難い。


「聞いてる?」


 ファリスが、焦点が辛うじて定まる程度の距離から覗き込んでいて、エリスは小さく悲鳴をあげて数歩後退した。ファリスは気にした様子もなく、姿勢を正すと「そういうことだから」と言った。


「記憶が戻る、身元がわかるまで、とりあえず僕が面倒みましょう」

「ええっ」

「嫌そうな顔をしてますが。僕だって別に嬉しくはないです。魔力だけ高い素人を王宮に解き放っておくわけにはいかないだけです、宮廷魔導士として」

「説得力はあります」


 言っていることは理解できる。

 仮にエリスに魔法適性があると知れても、隣国の大魔導士の元にいる見習いの名前なんか伝わっていないだろうし、何かの折に疑われても、同一人物と照会されるおそれもないように思える。


(でもファリスさんはなんでこんなに鋭いんだろう。そしてわたしは偽名すら使ってないんだろう……) 


「話は陛下に通しておきます。今日のところは騎士団預りなわけですから、食堂へどうぞ。副団長が待ちかねているのでは?」

「そうですね……っ」


 どれだけ時間を食っただろう、と思い出してエリスはぞっとした。


「待ちかねすぎて心配だから来ちゃったんだよね~」


 ファリスの背後から、のんびりとした調子でエンデが歩いてきた。見た目はのんびりとしていても、歩幅が大きく、動作が俊敏なので瞬く間に距離を詰めて来る。


「ファリスお前、エリス嬢いじめてなかった?」

「そう見えましたか?」

「質問に質問で返す気か?」

「気分を害したのなら失礼致しました。どうぞお連れください。僕はこれで」


 ファリスは優雅に微笑んで、さっとエリスの脇を抜けて向けて歩き出す。

 かわりに横に立ったエンデが、その後ろ姿を見つつ尋ねてきた。


「何かされた?」

「されたといえばされましたが、きっちりやり返したみたいです」

「よくわからないけど、遺恨はなし?」

「大丈夫です」

「ふぅん」


 納得したのか、していないのか。エンデの声は不満げであったが、それ以上追及してくることはなく、連れ立って食堂へ向かって歩き出した。

 エリスはエリスで、朝に顔合わせしたときとは打って変わって緊張感のあった二人のやりとりが気になっていたが、どう切り出して良いかわからず、結局聞きそびれた。


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