第6話 嘘つき

 すれ違った誰も、顔色を変えたわけではない。

 落ち着き払っていたし、変な目で見られた覚えもない。

 まさか、背中を向けた途端に衛兵も女官も走り出して、王宮中に噂話を轟かせていたなんて、考えもしない。


 * * *


 山積みになったドレスを前に、エリスは呆気にとられるのみ。


「あ~あ……やっぱり。こんな感じかなって思ってた」


 ファリスが苦笑いをしながら言う。

 先程よりは節度があるなと思ったのも束の間、堪えきれなくなったらしくお腹を抱えて笑い出した。


「一通り揃えましたが!?」


 ずらりと十人もの女官が揃って、ジークハルトに詰め寄る。

 さっきの今でなんでこんなに人が集まってるのか。よほど手の空いている人がいたのか、ジークハルトのお願いの優先順位が高いのか。

 ひとまず余計なことは言わずに、ジークハルトの反応をうかがうエリスであったが、当人は気にした様子もなく、ちらりと山を一瞥しただけだ。


「なんでも似合うんじゃないか」


 あ、これは全然興味なしだな、とエリスは了解したが、女官たちの反応は真逆だった。


「そう……! おっしゃるかと思いまして……!! いろいろ揃えましたが……!!」


(いちいち言葉に力が込められているような。どういうこと?)


「好きなの選んで着てくれ。俺にはよくわからない」

「じゃ、じゃあ、一番動きやすいのにします」


 よくわからないのはエリスも同じだったので、素直に希望を伝えてみた。

 だが、ジークハルトに怪訝そうな顔で見返されて、(え、何?)と見返す。


「……それじゃ一応、俺が選ぶか。なるべく動きにくそうなやつ」

「どうしてですか!?」


 ジークハルトはドレスの山に手をかけつつ、何気ない調子で返してきた。


「調査が終わる前に逃げ出されても面白くないからな。嫌疑が晴れるまではせいぜい外に出たら目立つ程度の恰好をしておいてもらおう」


(嫌疑って言った。絶対言った)


 その一言に食いつきたいエリスであったが、女官たちの食いつきの方が激しくてかき消された。


「逃げ出されないようにですって……!! ジークハルト様が!!」


(ああ、その驚きの意味に全然ついていけないのが、すごくもどかしいです)


 当のジークハルトはどこを吹く風だし、ファリスは笑い転げているし、エリスは事情がわからないままだ。


(大体、「逃げ出さないように」って、完全にわたしのこと疑っているし……良い意味合いは全然無いですよね)


 たしかに、裾の長い派手なドレスなど着ようものなら動作が鈍るし、いざというときに王宮から逃げ出しても、市井に紛れこむのは難しいだろう。失敗した。山積みのドレスに目がチカチカしても、自分で選ぶべきだった。

 ジークハルトは、上から何枚かばさばさと適当に見てから、青いドレスを手にした。


「この辺かな。顔がはっきりしている場合、はっきりした色が似合うってどこかで聞いた」


 思った以上に、真面目に選んでくれたような気がする。

 しかしエリスが何を言う間もなく、女官たちから押し殺した悲鳴が上がり、お礼は言いそびれてしまった。


「少し、海水をかぶってる。湯を使わせてくれ。あ、いや、俺じゃなくて、こっちが先だ」


 生乾きのシャツを指摘される前に、ジークハルトは女官たちにきっぱりと言った。 


(これは、逆らっても仕方ない展開ですよね)


 意地を張る場面でもない。濡れた服も着替えたい。脱いだそばからジークハルトに回収されるのかと思うと、不安は尽きないのであるが。


「それでは、失礼して身体を清めてきます」


 エリスがそう告げると、ジークハルトは「待ってる」と請け合った。愛想もない、実直一辺倒な返事であったが、妙にほっとした。

 気を許したつもりはないが、この国には今のところ他に知り合いがいない。


 気になるのは「きゃあああ……!」という女官たちの反応である。どういうノリなのだろう。

 ファリスは笑っているし、絶対に何かある。

 エリスの視線を感じたのか、なんとか笑いを押し殺したファリスは、息を整え、軽く咳払いをしてから女官たちに言った。


「えーと……エリス嬢は、名前以外は記憶のない行き倒れの方で……、陛下がたまたま助けただけだから、とりあえずまだあんまり期待しない方がいいよ」


 記憶がない……! 行き倒れ……!

 と、いちいちさざめく声が聞こえてきたが。

 何か、想定しなかった文言が含まれていた気がしたエリスはその場で凝固した。


「陛下?」


 他人事のような顔をしていたジークハルトに確認すると、とぼけた様子で腕を組み、首を傾げた。


「言ってなかったっけ?」

「聞いてない……! 兵士って聞いたら、否定しなかった……!」

「遊んでいても仕方ないから、一兵卒として鍛錬もするし、見張りもするからな」

「陛下が?」

「悪いか?」


 悪くはない。


「暇なんですか?」

「失礼だな」


 ジークハルトに言われてしまった。


「状況に頭が追いつかないんですが」

「記憶喪失のせいじゃないか?」


 挑むような調子で言われて、エリスはつい掌で額をおさえた。


(落ち着こう落ち着こう落ち着こう。悪くない。陛下がなんだ。好都合だ。騎士団長まであと少し)


「陛下が兵に交じって過ごされているなんて、他の兵たちは萎縮しませんか……?」


 騎士団長とか……! という言葉、喉元まできていたのを堪えて言えば、ジークハルトからはまったく手ごたえのない反応。


「気にしてないんじゃないか。子どもの頃からだから」


 どういう国なのだろう。

 王族が子どもの頃から士官学校などで学ぶというのはありそうだが、陛下と呼ばれる身分になってまで一兵卒に混ざって見張り? 絶対、どこかから嘘が混ざってる。騙されている。


(嘘なら、わたしも)


 魔法で声を呪われるほどの秘密を抱えて、見知らぬ誰かを害そうとしている。

 互いに無言になった一瞬、視線は確かに相手の深淵を探り合うかのように密に絡んだ。


「熱ーい空気のところ申し訳ないんだけど……。エリス嬢はさっさと着替えるべきだし、陛下は仕事に戻るべきだ。女官の皆さんも、そんなに人手はいらないから。通常業務に戻りましょう」


 エリスとジークハルトの間に、ファリスが身体を割り込ませる。


「それはそうだな。……暇なのはファリスだけか。なら、後は任せる」


 あっさりと、ジークハルトは踵を返す。

 肩幅が広く、背筋の通った、綺麗な後ろ姿。


(陛下?)


 お隣の国の王は、こんな若さだったろうか。嘘の記憶喪失の影響があるとは思えないが、妙に頭の働きが悪く、肝心なことが思い出せない。

 思わず険しい目をしたエリスの顔を、ファリスが横からのぞきこむ。


「陛下、なかなか良い男でしょ?」

「はい……?」

「あれ、ぽーっとしてましたよね。だからてっきり……」


 ファリスはそこで笑いをもらす。いけない。


「てっきり、なんですか! 笑わないで! 言ってからにしてください!」


 また中断されてはたまらないと言い募ると、青みがかかった瞳に愉快そうな光を湛えて、ファリスは悪戯っぽく言った。


「お似合いだなって思っていたんです。陛下、今まで全然女性に興味を示さなかったから。もう、今頃王宮が上から下からひっくり返ってますよ」

「何を言ってるんですか……?」


 すれ違った誰も、顔色を変えたわけではない。

 落ち着き払っていたし、変な目で見られた覚えもない。

 まさか、背中を向けた途端に衛兵も女官も走り出して、王宮中に噂話を轟かせていたなんて、考えもしない。


「おめでとうございます、快挙ですよ。陛下がまさか。ついに。生きていればいいことってあるんですね。感激しました」


 何を言っているのか。問いただす前にエリスは女官たちに両脇をつかまれて、引きずられる。


「綺麗にしてさしあげますね! 次に陛下にお会いしたときにとどめをさしましょう!」

「おかしい! 絶対何かおかしい話になってる……!!」


 エリスの抵抗は歴戦の女官たちにものともされず。

 湯を使って洗い清められ、香りの強い石鹸で磨かれ、身体中に何かを塗られドレスを着つけられ。

 エリス自身はあまりのめまぐるしさに息も絶え絶えになり疲労困憊の極みであったが。

 仕上がりに満足した女官たちに、夕食の席に送り出されることになった。

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