4-3
花火が終わると哀しいような切ない気持ちになる。花火の余韻を名残惜しく楽しみながら賑わう神社の通りを抜けた。
混雑する人混みではぐれないよう二人は手を繋いでいる。
大通りに出ようとした時に周囲が祭りの喧騒以外のざわつきを見せた。
「泥棒よ! そいつ捕まえて!」
女性の叫び声に反応した早河が後ろを振り向いた。キャップを被った男が全速力で走ってくる。その後ろからは叫び声の主と思われる中年女性と中年男性が男を追いかけていた。
『有紗、俺から離れてどこかに隠れてろ』
有紗の手を振りほどいた早河は突進してくる男の前に立ちはだかる。
『退けっ!』
窃盗を働いた男は折り畳みナイフをちらつかせて早河を威嚇する。そんなものは刑事だった早河には通用しない。
『俺が道を譲るのは子供と妊婦とお年寄りだけだ』
ナイフを持つ男の腕を掴み、刃先をうまく避けてナイフを払い除ける。それから男の腹部に拳を一発。
男はうめき声をあげて地面に崩れた。男が抱えていた女物のバッグと屋台の売上金の入る巾着袋を拾い上げて追いかけてきた中年女性と中年男性に渡した。
「ありがとうございます。お兄さん、格好良かったわぁ」
小太りな中年女性は丸い顔を赤く染めて早河に頭を下げた。中年男性も窃盗犯を撃退した早河を褒め称えている。
『あっ、早河さーん』
窃盗が起きたと通報を受けた派出所の
『こいつ、窃盗と銃刀法違反の現行犯な』
『早河さんが捕まえたんですね! さっすが元刑事』
守山巡査が男に手錠をかけた。被害者の確認を終えた朝田巡査が早河に向き直る。
『早河さんも祭りにいらしていたんですか? おひとりで祭りのパトロールに?』
『ひとりって言うか……』
「早河さん!」
どこかに隠れて様子を窺っていた有紗が物凄い勢いで早河に抱き付いた。
「あの泥棒、ナイフ持ってたでしょ? どこも怪我してない? 大丈夫?」
早口でまくしたてる有紗の登場に、朝田巡査も守山巡査も、窃盗の被害者の男性も女性も窃盗犯でさえも、唖然としている。
『俺は元刑事だぞ。泥棒ごときに俺が負けると思うか?』
「ううん。早河さんは強いもん。だから大丈夫って思ってたけどぉ……でもやっぱり早河さんがナイフ向けられてるの見るのは怖かったよぉ……」
早河は泣き出してしまった有紗の背中を撫でてあやした。守山巡査が恐る恐る二人に近付く。
『あの、早河さん。その子は?』
『ああ、姪っ子みたいなもので……』
「早河さんみたいなおじさんいらないっ! 姪じゃなくて彼女にしてよ! 私はこんなに早河さんが好きなのにぃ!」
早河の答えが不服だった有紗は涙を流していても元気に反論して、どさくさ紛れに告白までしている。早河は溜息をついて肩を落とした。
『ははぁ。なるほど。若い彼女さんができましたねぇ』
『早河さんもやりますねぇ。こんな若い女の子をいつの間に口説いていたんですか?』
ニヤニヤと笑う朝田と守山、野次馬根性丸出しの周りの視線が痛い。
『だから誤解。この子とは別に変な関係じゃねぇから……』
『いえいえ、ご心配なく。助手さんには黙っておきますよ』
『は? 助手って……』
『早河さんも浮気するんですねぇ。いや、わかります。わかりますよぉ。早河さんも普通の男だったんですね。なんか安心しました』
小声で囁く朝田巡査と守山巡査に早河は舌打ちしてみせた。
窃盗犯を朝田達に引き渡した早河は有紗を連れて探偵事務所に戻る道を歩く。
朝田巡査も守山巡査も大きな勘違いをしている。まずひとつは、有紗とは如何わしい関係ではない。周りからはどう見られていたのかは考えないことにしよう。
ふたつめはこれは浮気ではない。朝田と守山の最大の勘違いは助手の香道なぎさを早河の恋人だと思い込んでいるところだ。
なぎさとは恋人ではない。有紗と二人で夏祭りに出掛けたとしても、なぎさに対してやましいことは何もない。
(有紗と祭りに行ったことをなぎさに知られても別に……)
別に知られても構わない、とは素直に思えなかった。なぎさには知られたくないような、彼女に聞かれなければ今日のことは話したくないような、そんな気持ちになっているのは何故?
(考えるのも面倒だな……)
有紗がなぎさに話さない限りは、今日のことがなぎさに知られることはない。なぎさが夏祭りに行きたがっている様子はなかったし、誰か他に一緒に行く相手がいてすでに祭りに行ったかもしれない。
今は深く考えないことにした。
「ねぇ早河さーん」
早河の腕に腕を絡ませて歩く有紗が立ち止まる。
『なんだ?』
「お父さん今日は出張で帰って来ないの」
上目遣いに早河を見る有紗の瞳は何かを訴えている。
『寝る時は戸締まりしっかりしろよ』
「そうじゃなくてぇ!」
彼女はじれったそうに早河の腰に両手を回した。有紗の言いたいことは早河にも予想がつく。
「早河さんの家に泊まっちゃダメ?」
ませた野良猫のワガママは予想通りだった。
『ダメ。送るからちゃんと家に帰りなさい』
「えー。一緒に寝ようよぉ」
『お泊まり会ならなぎさとやれ』
「早河さんとお泊まり会したーい」
30代独身男性の家に泊まりたいと言い出す有紗は一体どういうつもりなのか。無論、早河に手を出されることを前提の話なのだろう。
口を尖らせて抗議する有紗はまだまだ子供に見えて早河は少しだけ安堵する。少女と女の境目の不安定な色気に酔わされるよりは、ワガママで困らされる方がまだいい。
帰りたくないと駄々をこねる有紗を車に乗せて彼女の自宅に向かう。
「なぎささんとはどうなってるの?」
『どうって……なぎさとは何もないぞ?』
有紗の口調には棘があり顔も不機嫌そうだ。やはり無理やり家に帰されることを怒っているらしい。
(どうして皆、俺となぎさに何かあると思ってるんだ? 端からはそう見えるのか……)
「そっか。何もないんだ。よかったぁ」
有紗の不機嫌だった顔がパッと明るくなった。早河の一言で不機嫌になったり機嫌を良くしたり、ここまでダイレクトに好意を示されると清々しい。
『着いたぞ』
有紗の自宅の前で車が停まった。有紗はシートベルトを外しただけで車から降りない。
彼女は助手席から身を乗り出した。有紗の顔が近付いてきたと認識していても、顔をそらさなかったのは早河の理性が本能に負けたからなのか、有紗への優しさなのか。
有紗の唇が早河の唇に押し当てられ、数秒密着して離れた。
「……おやすみなさい」
照れたようにうつむき加減で別れの挨拶を述べた有紗は早河と目を合わせずに車を降り、一目散に家に入って行った。
『……ハァ』
溜息と疲労が同時に襲ってきて早河はシートにぐったりともたれた。有紗にキスをされた唇に触れる。
(一人前におやすみのキスなんかしやがって)
少女と女の境目にいる有紗が完全に女となってしまった時、早河に逃げ道はない。
いつまで子供扱いさせてくれる? いつまで逃げていられる?
いつかは有紗を大人の女として扱わなければいけない。その時にきちんと向き合ってやるのが大人の優しさだ。
女子高生ほど扱いにくい存在はない。
(俺、女子高生がこの世で一番苦手かも……)
早河仁の苦手なもの。
夏と、早起きと、女子高生。
探偵と野良猫の駆け引きはもうしばらく続きそうだ。
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