4-2

 午後5時を過ぎた空はまだ明るいものの昼間に比べれば日差しは弱まっている。四谷に探偵事務所を構えて2年目になるが、この付近の祭りに行くのは初めてだった。


『最近カウンセリングの方はどうだ?』


 有紗は精神科医の父親の下、昨年の事件の時に負ったPTSD(心的外傷後ストレス障害)のカウンセリングを受けている。


「無理なくやれてるよ。新しい先生がお父さんのチームに入ったんだ。神明しんめい先生って言うんだけど、イケメンで超優しいの! でも私は早河さん一筋だからねっ。乗り換えたりしないから安心してね」

『はいはい』


どうせならイケメンカウンセラーに乗り換えてくれた方が気が楽なのにとは口には出せない。


 昼間歩いていた時は暑さでそれどころではなく気が付かなかったが、街のいたるところに赤提灯がぶら下がっている。メイン会場となる神社の周辺には屋台が並んでいた。

早河に寄り添って歩く有紗は並ぶ屋台に目を輝かせた。その顔を見ていると早河も自然と口元が綻ぶ。


 初対面の有紗は茶髪に濃い化粧の非常識で生意気な家出少女だった。今の有紗は麦わら帽子からなびくロングヘアーの黒髪、化粧も前ほど派手ではない。ファッションは相変わらずの派手さだが、それも彼女に似合っている。


 女という生き物は恐ろしい。半年見ない間に有紗は随分と大人びて綺麗になった。早河を焦らせるくらいに。


昨年12月のあの事件以降、半年間の留学を終えた有紗が早河の前に現れた時、有紗は少女と女性の境目に立っていた。完全に少女だった半年前よりも今の有紗は大人に近付いている。


 男は馬鹿な生き物だ。まだ子供と思っていた有紗が大人になりつつあることを悟った途端に、早河は有紗を遠ざけるようになった。

子供だからよかったことが大人になるとそうはいかなくなる。

有紗をいつまで子供扱いしていられるだろう。いつまで子供でいてくれる?


有紗が早河を困らせるのは思春期の成長だけではない。有紗は早河に恋をしている。


(俺が有紗に手を出すことはまずないだろうが……有紗は俺に手を出されることを望んでいるんだよな)


 早河の懸念を知らない有紗は早河に買ってもらったりんご飴を呑気に食べている。


(せめてまだ子供のままでいてくれよ)


 それが大人の勝手なワガママなのは百も承知。有紗のことは大切に想っている。

大事な存在だ。しかしそれは親戚のおじさんが姪を見守る感覚に近いものがある。

男と女として愛してやれないとわかっているのに期待を持たせるのは酷だ。


 神社の境内の出店も回り、いよいよ花火の時間が迫っている。花火を見るための場所取り合戦があちらこちらで始まっていた。


 早河と有紗は境内に続く長い階段の段差に腰を降ろす。早河達がいるのは階段のちょうど中腹辺りだ。

周囲の人々を見ると家族連れやカップル、友達同士で肩を並べて花火が始まるのを今か今かと待っている。


花火の前のそわそわと高揚感の高まる雰囲気は嫌いじゃない。イベント事は何でもそうだが始まる前が一番楽しい。


『お前さぁ、花火や祭りに連れて行ってくれる彼氏見つけろよ』

「いるじゃん、ここに」


 たこ焼きを頬張る有紗が口をモゴモゴ動かしてピンク色の爪で早河を指差した。


『だから俺じゃなくてちゃんとした彼氏作れって言ってんだよ』

「私は早河さんがいればそれでいいの。タコ焼きいる?」


有紗が差し出したタコ焼きを早河は口に入れた。必然的に有紗に食べさせてもらう形になってしまった。


(俺がいればいいってものでもないだろ……)


 タコ焼きを咀嚼しつつ横目で有紗を見る。有紗には普通の男と一般的な恋愛をしてもらいたい。

自分が有紗の相手になるには年齢差を差し引いても色々と厄介事を抱え過ぎている。


有紗の抱える心の傷を受け止めてくれる男が現れたら、早河は安心して親戚のおじさんポジションに収まることができるが、有紗は早河を親戚のおじさんポジションに居させる気はないらしい。


 一発目、二発目と花火が打ち上がる。頭上には火の花が咲き乱れ、耳には花火が弾ける音と人々の歓声、肩には有紗の頭の重み、握った手から伝わる有紗の体温。

密着した有紗の身体から溢れる女の匂いが早河をさらに困惑させた。


(ああ……早く花火終わってくれ。このままの状態はキツイ。そろそろ子供扱いも限界ってことなのか?)


 どうしたものか、花火よりも触れてくる有紗の成熟してきた身体の方に意識が向いてしまうのは男のさがか。


「こうしてると私達も恋人同士に見えるかな?」

『見えねぇだろ。せいぜい親戚のおじさんと姪っ子だ』


 恋人に見られても困る。だが親戚のおじさんと姪が手を繋いで花火を見る状況もよく考えれば大問題だ。姪が小学生ではなく高校生なら尚更、あらぬ疑惑を持たれてしまう。


(援交に見られるよりは、訳ありの親戚のおじさんと姪の方がまだマシか……)


早河の右手は有紗の左手と指を絡ませて繋がれている。これではどこからどう見ても、恋人だ。


「つれないなぁ。私だってもうすぐ18歳になるんですよー。少しずつ大人になってるんだから」


 拗ねた口調で言うと、有紗は身体を前に倒して早河の胸元に顔を埋めた。早河は左手で有紗の髪を撫でてやる。

有紗が大人に近付いていることはわかっている。だからわざと突き放すんだ。


『花火見なくていいのか? 終わっちまうぞ』

「今はこうしていたい」


有紗は早河の胸元に顔を寄せて目を閉じた。


(有紗もミレイも……まぁ、なぎさもそうか。面倒見てきた女に何故かなつかれてるよなぁ)


 有紗の他にも、銀座のクラブでホステスをしているミレイは彼女が高校生の時にまだ刑事だった早河が補導した。ミレイにも好きだと告白されている。


なぎさの気持ちはどうか知らないが、出版社を辞めて事務所に押しかけて来た当時のなぎさの様子を見ると嫌われてはいないようだ。第一、嫌いな人間と一緒に仕事させてくれなんて言う物好きはいない。


(野良猫を拾うと拾った相手を主人と思ってなつくのか?)


 有紗がふふっと笑い声を漏らした。


「私ね、早河さんの匂い嗅ぐと落ち着くの。煙草と、爽やかなのにちょっと甘い香水とコーヒーの混ざった匂い」

『オジサンの匂いじゃないのか?』

「違うよぉ。オジサンじゃないよ。この匂い大好き」


顔を上げた有紗の暗闇に浮かぶ微笑が早河の目には妖艶に映る。今の有紗は少女ではなく完全にの顔をしていた。


 子供みたいに拗ねたかと思えば女の香りを振り撒いて男を惑わす、厄介な野良猫だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る