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7月30日(Thu)
「美月、お誕生日おめでとう!」
明るい日差しが差し込む学食に響いた賑やかな声に何人かの学生が振り向いた。
テーブルには今日で20歳の誕生日を迎える美月のために友人達が用意したケーキがあり、Happy Birthdayと書かれた王冠を被る美月がいた。
「みんなありがとう!」
美月は照れ臭そうに被った王冠に手を当てて笑っている。5月末から立て続けに嫌な出来事が続いたが、無事にハタチを迎えられた。
一緒にテーブルを囲むのは、中学時代からの親友の石川比奈や大学で知り合った友人達。彼女達がいてくれたから心ない言葉を浴びせられても堪えられた。
「あー……もう、美月っ! 主役がなに泣いてるのよぉ」
これまでの出来事を思い出して不意に溢れた美月の涙を見た比奈が苦笑いして美月を抱き締める。
「うう……だってひなぁ……。私、ハタチになれたぁ……」
「よしよし。ハタチになれたね。がんばったね」
「美月ー! 比奈! こっち向いて。撮るよー」
抱き合う美月と比奈に向けて友人の絵理奈が携帯電話のカメラを向けている。美月は泣きながらも笑顔を作って比奈と共に写真に収まった。
チョコレートのプレートにHappy Birthday MITSUKIと書かれた小さなホールケーキを皆で分け合い、麻美が手作りしたカップケーキやクッキーもテーブルに並んだ。
「今日は隼人くんとデート?」
「ううん。隼人とは明後日に会うよ」
隼人の名前が出て一瞬だけ表情を強張らせた美月の変化に気付いたのは比奈のみ。他の友人達はケーキを食べるのに夢中で気付かない。
「ハタチの誕生日プレゼント、隼人くんからなに貰えるのかなぁ? 隼人くんセンス良さそうだよね」
「指輪とか?」
「まさかの婚姻届? サプライズありそう」
「いいなぁ美月ー!」
学食には大勢の学生が集まっていた。その中には松田宏文もいる。彼は美月の誕生日パーティーの様子を遠巻きに眺めていた。
比奈以外の友人達は残っている講義やバイトがあるため先に学食を去った。彼女達から貰った誕生日プレゼントの入る袋を大切に椅子の上に置き、美月と比奈は一息つく。
「こら。麻美達の前で無理することないのに、作り笑いして」
比奈のデコピンを食らった美月は額を押さえてテーブルに顔を伏せた。
「だってー。みんなにはあんまりカオスのこと言いたくないし、私と佐藤さんのことも知らないから……」
隼人が入院していたことや、例の事件の顛末を知るのも比奈だけだ。職場復帰をしたばかりの隼人が美月の誕生日の準備どころじゃないことはわかっている。
サプライズ、指輪、婚姻届、そんなものを期待してはいけない。
美月が何に悩んでいるのか、本当のことを知るのも比奈しかいなかった。
「私だって、佐藤さんのこと直接は知らないけどさー。3年前当時を知ってるってことはあるか。夏が来れば思い出すー……ってやつよね」
ケーキの余りを頬張る比奈が童謡の夏の思い出のフレーズを口ずさむ。
「ひーなぁー。歌わないでよぉ」
「あははっ。ごめん、ごめん。今年は佐藤さんのことと、隼人くんの……リオって女のこととのダブルパンチだもんね。そりゃあ落ち込むわ」
テーブルから顔を上げた美月もプラスチックのフォークを取ってケーキを口に入れた。今日は家に帰ってからも両親が用意してくれたケーキが待っている。
今日だけはダイエットは封印だ。
「なんか……もうわけわかんない。隼人がリオって人と関わったのは私が原因で、しかもその人は佐藤さんが入ってた組織の幹部だって言うし……」
「おお、ここでも佐藤さん登場かぁ。お父さんから聞いたけど、そのカオスってとこ、かなりヤバめの組織らしいね。今までに起きた色んな殺人事件を裏で操ってるとか。とにかく関わらないのが一番だって」
比奈の父親は警視庁組織犯罪対策部の石川警部だ。学食は人も少なくなってきたが、話の内容を考慮して二人とも声のトーンは低い。
「上野さんもそう言ってた。そんな組織に佐藤さんはいたんだよね。私が前に会ったキングはカオスのトップで佐藤さんの上司ってことになって……。キングは私と佐藤さんのこと全部知ってたんだと思う。あの人は知ってて、私に黙ってたの」
「キングとクイーンかぁ。美月も隼人くんも大変な人達に目を付けられちゃったね」
比奈がそこで視線を上げた。彼女は向かいに見える自販機で飲み物を買う人物と目が合った。
「比奈?」
「ね、あの人……美月の知り合い? さっきからこっち見てるの」
比奈に聞かれて視線を上げた美月はその人を見て小さな声をあげた。男が缶コーヒーを片手に歩いてくる。
「知ってる人?」
「サークルの先輩」
比奈に耳打ちしている間に男がすぐそばに現れた。松田だ。
『浅丘さん、今日誕生日なんだね。おめでとう』
「ありがとうございます」
松田とは7月後半のミステリー研究会の会合で顔を合わせている。しかし二人で話をするのはイベントの下見で水族館に行ったあの日以来だ。あの日に借りた彼のハンカチをまだ返せずにいる。
彼と話をするのは少し緊張した。隣に比奈がいてくれてよかったと思う。
『はじめまして。経済学部4年の松田宏文です』
「文学部2年の石川比奈です」
初対面の松田と比奈は互いに名前を名乗って会釈した。親友とサークルの先輩の自己紹介を眺めている美月は奇妙な心地だった。
『浅丘さん達がさっき話していたことって例の組織の話だよね?ごめん、聞くつもりはなかったんだけど聞こえてきたから』
「えっと……」
美月と比奈は顔を見合わせた。小声で話していた内容を万が一、誰かに聞かれていたとしても犯罪組織カオスの事情を知らない人間にとってはゲームや漫画の話だと思うだろう。
「先輩はカオスのこと知ってるの?」
「うん。成り行きで……話したの」
『“佐藤さん”って聞こえてきたけど、もしかして浅丘さんの元カレ?』
彼は美月の手前の椅子に腰かけた。聞かれてしまったのなら仕方ない。
「はい。私……犯罪者を愛したんです」
「えっ、ちょっと美月……」
驚いた比奈が美月を止めようとしたが、松田は驚く素振りもなく美月を見据えていた。
「3年前に私が好きになった人は人を殺したんです」
真っ直ぐ松田を見つめる美月の瞳は澄んだ海に似ている。とても綺麗な、濁りのない純粋な瞳。彼女のこの瞳が松田は好きだ。
『その人が“佐藤さん”?』
「そうです」
『彼はどうなったの?』
その質問をされた時だけ美月は彼から目をそらしてうつむいた。心配そうな比奈が美月に寄り添い、彼女の肩を抱いている。
「彼は……亡くなりました。撃たれて……海に落ちてそのまま……」
『そっか。ごめん。言いたくないことを言わせたね。じゃあ浅丘さんを悩ませているのは、今の彼氏だけじゃなくてその人のこともあるのかな?』
「……はい。でも私は彼を愛したことを後悔していません」
美月は首肯する。松田は缶コーヒーを喉に流して力なく笑った。
『はぁ……。そっか、そっか。最初からどう頑張っても俺に勝ち目はないよな』
「ごめんなさい……」
『いいよ。わかってたことだから。じゃ、また夏休みのイベントでね』
去っていく松田を見送る美月の心に寂しさが宿るのはどうして?
遠ざかる彼の後ろ姿に「行かないで」と言ってしまいそうになるのはどうして?
自分のことなのに、人は自分心が一番わからない。まったく人間は愚かで不器用で、身勝手な生き物だ。
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