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 上野恭一郎はやれやれと肩をすくめて警視庁の廊下を歩いていた。部下の小山真紀が兵庫県警が自殺と判断した事件の被疑者を東京で逮捕してしまい、先ほど上司から嫌味を含んだ小言を言われた。


 小言を言われるのは慣れている。真紀は友人からの頼み事を引き受けて捜査したまでのこと。真紀と元部下の早河仁が動かなければ第二、第三の被害者が出ていたはずだ。


警察を辞めた早河が事件解決に関わっていることも上層部は気に入らないらしいが、彼らから言われる嫌味を上野はすべて聞き流していた。


 向かい側から歩いてきたスーツを着た女性警察官とすれ違う。見慣れたショートヘアーの彼女が立ち止まった。


「あなたの部下が兵庫県警の管轄の事件に勝手に手を出したそうね」

『被疑者を逮捕しただけだ。何も文句を言われる筋合いはない』

「警察の組織図を無視するところは昔からね。責任をとるのは上なのよ。3年前の静岡の事件の時もそうだった。たまたま自分が遭遇しただけなのに、あなたはあの事件にこだわって捜査から手を引こうとしなかった」


 彼女の名前は篠山しのやま恵子けいこ。上野より10歳下のキャリア組の警察官だ。


『あの事件は俺の事件だ。最後まで捜査して何が悪い?』

「そういうところも変わらないのね。無駄に暑苦しいと言うか、出世には不要な正義感と言うか。だからあなたはキャリアなのに出世コースから脱落したのよ」


上野と恵子は背中合わせに言葉を交わす。二人の視線が交わることは一度もない。


「福岡で高瀬組組長の死体が発見されたと連絡があったわ。頭を銃で撃たれていたそうよ」

『組長殺害の命令を下したのはおそらく貴嶋だ。高瀬組解体の裏にはカオスが関係している』

「そうでしょうね。そちらの事件のアゲハも。……でもあなたが可愛がっている浅丘美月はつくづくカオスに縁があるのね。貴嶋に気に入られているのかしら」


 背中を向けている上野には恵子がどんな表情をしているのかわからない。

昔は同じ方向を見て同じ道を歩んでいると思っていた、3年前に別れたかつての恋人。


『そう言えば見合いしたんだってな』

「どこからの情報?」

『どこからでも情報が入るのが警察だ』


同じ組織にいる限り、顔を合わせることも名前を聞くこともある元恋人は背中越しに笑っていた。


「私は結婚する気はない。人生の伴侶なんて必要ないもの。あなたこそ、いつまでも若い女の子の世話焼いてないで老後に面倒見てくれる奥さんでもこしらえたらどうなの?」

『俺の老後の心配は余計なお世話だ』

「……そうね。私が心配することでもないわね」


 恵子が歩き出した。上野も彼女とは反対方向に歩き出す。

お互いに別々の道を、別々の方向を見て。


 いつから二人はすれ違ってしまったのか、今となってはもう、わからない。

男と女の別れの理由なんて、結局は迷宮入りのミステリーみたいなものだから。

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