2‐2

「そういえば浅丘さんも柴田先生に気に入られていたよねぇ?」


 わざとらしい甲高い声が講義室に響く。その声に反応した何人かの学生の視線がある女子学生に向いた。

窓際の席の前から三列目に座る女子学生は顔を強張らせた。彼女が浅丘美月だ。


「気に入られていたって、そんなことはないと思いますけど……」


3年振りに見る浅丘美月はあの頃の面影を残しながらも大人の女性に近付いていた。

真紀は美月の視線の先を追う。美月の席から少し離れた席に座る女子学生が挑発的な微笑みを向けていた。あの辺りまでが2年生の座席だと聞いている。


「そうかなぁ? 私には柴田先生に気に入られているように見えたよ。浅丘さんは1年生の頃からよくチームリーダーに指名されていたじゃない?」


 美月を名指しした女子学生は茶髪のロングヘアーの毛先を弄んでいた。美月は何かを言い返そうとしたが、隣の席の学生に止められて口をつぐんだ。美月の隣にいるのは彼女の友達のようだ。

他の学生の好奇の眼差しが美月に向いている。


「皆さん、ありがとうございました。柴田先生の人となりはだいたいわかりました。あとは個別にお話を伺うことがあるかもしれません。その時はご協力お願いしますね」


 四面楚歌な状況の美月を見ていられなかった真紀はこの場を打ち切ることにした。

真紀は美月に目で合図する。美月もその視線から何かを汲み取ったらしく、講義室を出た真紀を追って美月も廊下に出てきた。


「大丈夫?」

「はい。あの、ありがとうございました。私のために……ですよね? まだ皆に聞きたいことがあったんじゃ……」

「いいの、いいの。女の子って集団になると強いのよね。ああいう雰囲気が私は嫌いなのよ。少し話せる?」

「……はい」


 二人は学部棟から中庭に出た。中庭のベンチに並んで腰掛ける。


「美月ちゃん、私のこと覚えてる?」

「えっと……すみません。どこかでお会いしましたか?」


やはり美月は3年前に真紀と会っていたことを覚えていなかった。わざわざ辛い過去を思い出させる必要はない……そうは思っても現状ではこれが彼女と打ち解ける近道だ。


「3年前の静岡の事件の時、警視庁に事情聴取に来たでしょう? その時に私はあなたと会っているのよ」


美月の目が見開き口元が震えた。彼女の様子を見て言ってしまったことを真紀は後悔した。言わない方がよかったのかもしれない。


「そうだったんですか……あの時に……。じゃあ小山さんは上野さんの……」

「上野警部は私の上司。警部から美月ちゃんの話は聞いてるよ。警部はあなたのこと自分の娘のように思ってるの。本人は独身なのにね」


視線を落としていた美月の顔にわずかに笑顔が見えた。親しい間柄の上野の話が出て、少しリラックスしたようだ。


「さっき美月ちゃんを名指しした女の子の名前わかる?」

「南さんですか?」

「ミナミ……フルネームは?」

「南明日香ちゃんです」


 真紀は名簿で南明日香の名前を探した。総合文化学部2年生の欄に明日香の名前があった。


「この子、美月ちゃんにあまり好意的ではなかったよね。どんな子なの?」

「南さんとは1年生の時から同じクラスですけど、そんなに話をしたこともないんです。だからちょっとびっくりしました。私が柴田先生に気に入られてるだなんて……」

「そっか。柴田先生は美月ちゃんから見てどんな先生だった?」

「ゼミの皆が話していた通りです。先生としてはとてもいい先生でした。講義もわかりやすくて面白くて……」


美月の含みのある言葉が引っ掛かる。膝の上で固く結ばれた美月の拳が何かを訴えかけている。


「柴田先生に何かされたことがある?」


 美月の心を傷つけないように真紀は慎重に言葉を選ぶ。荷が重い役割ではあるが、これは男の上野警部や原刑事には務まらない。

女の真紀だからこそ聞き出せる話がある。


「特に何かをされた覚えはないです。でも南さんも言っていましたけど、1年生の時から柴田先生が私を班のリーダーに指名することはありました。用もないのに先生の部屋に呼ばれてコーヒーを飲んでいけと言われることもあって。最近は学生との距離が近いと言うか……」

「距離が近いと言ってもフレンドリーとは違うのね?」

「はい。何て言うんだろ……頭を撫でたり、肩を組んできたり、たまに柴田先生の視線が気持ち悪いと思う時があったんです。そういうセクハラっぽいことをする先生でした」


 柴田は立場を利用して美月や多数の女子学生にセクハラまがいの行いをしていた。被害者の柴田に憤りを感じる。

その柴田を殺した犯人を逮捕するために、こうして美月に話を聞かなければならない刑事という職業はつくづく嫌な役回りだ。


「そうだ。これに見覚えある?」


 真紀は美月に写真を渡した。殺された柴田の研究室に落ちていたピンク色のリップクリームの写真だ。彼女は写真を見て「あっ……」と声を漏らす。


「これ……私が使っているリップクリームと同じ物です」

「そのリップクリーム持ってる?」

「失くしちゃったんです」

「失くしたのはいつ頃?」

「今週に入って……水曜日くらいに失くなっていることに気付きました。家にもなくて、バイト先にも落ちてなかったから学校で落としたのかな……」


(まさかこのリップクリームは美月ちゃんの物? 柴田の携帯には美月ちゃんとのメール履歴があった。……どういうこと?)

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