第27話 最終話



「帰るよ」

 佐々木さんが背を向ける。

 その言葉を合図に、石原さんも、やっと立ち上がった。立ち上がって、

「お前は本当に後藤が好きだな」

去っていく背中にそう言った。

「…うん」

 佐々木さんが小さく返事をする。小さいけど、聞こえた。多分石原さんにも。

 当たり前みたいな会話に震える。



「じゃあ、俺も帰るわ」

 石原さんが、そう言って佐々木さんとは別の方向へ歩き始めた。

「石原さん」

 呼び止める。

「今日は何の用事で」

 尋ねる俺に、石原さんが振り返った。

「佐々木と話、してないみたいだったから、どうなってんのかな~って」

 石原さんはニヤリと笑った。

「だから言いたかったことは、さっき言った」

 ああ。

 うん。

 はい。

「俺の用事は終わり。探りを入れるのも完了。あとは、願わくは、これからお前が佐々木の後を追いかけて、後ろから抱きしめたりしてくれたら、完成」

 石原さんがこちらを見てニヤリとする。好きだった顔。

「なんですか、それ」

「俺にだって、思うところはあるんだよ。じゃあ」

 ひらひらと、開いた手の指を揺らして石原さんが去る。

 佐々木さんと石原さん、別々の方向へ歩いていく。

 中心に俺を残して。

 俺、部外者じゃなかった。


 でも、俺が部外者じゃなかった理由は、最後の最後まで佐々木さんの気持ちが一切揺らがなかったからだ。

 佐々木さんが、俺を好きになって、その気持ちがずっと変わらなかったからだ。


 ……。


 追いかけた。


 石原さんの願いを叶えるつもりは無い。


 佐々木さんの片思いを成就させるつもりも無い。

 

 正直、自分でも自分が何をしたいのか分からない。



 でも、追いかけた。追いかけないといけないと思ったから。



「佐々木さん」

 あと2メートルくらいのところまで近づいたところで、声をかけた。息切れしてしまって、たくさんの「さ」が言いにくかった。

 佐々木さんが立ち止まり、振り返る。

「後藤?」

「話、途中です」

 俺は言った。

「え?話?」

 佐々木さんが訊き返す。

「…佐々木さん、喫茶店で、また俺に、話しかけたりするって、言って、でも石原さんが来たら、さっきの話は忘れろって、言って」

 息切れが治まらない。

「だから、これから、どうなりますか?」

「どうって…」

 佐々木さんが、少し困った顔をした。

「明日から俺たち、どうなりますか?」

 息を整えながら、佐々木さんをじっと見つめた。佐々木さんは少し驚いたような顔をして、それから視線を逸らした。

「どうって、…どうにもならないだろう」

 地面をじっと見ている。

 佐々木さんは、もうどうにもならないと思っている。

「じゃあ、俺の意見を言っていいですか?」

「いいよ」

「めちゃくちゃなこと言いますけど、いいですか?」

「…いいよ」

「できるだけ、正直に言います」

「うん」

「今の俺は、本当に頭がグチャグチャで、本当は一回帰って頭の中整理したいけど」

「うん」

「佐々木さんが言うように、今の俺たちは多分どうにもならないけど」

 そう言った時、佐々木さんが苦笑いしたように見えた。

「…うん」

 傷付ける。何度もこの人を傷付ける。でも俺はいつも正直でいたい。自分の気持ちは分からない。好きじゃない。でも、嫌いじゃない。嫌いじゃないを超えた、この気持ちのモヤモヤの部分は、本当にただのわがままでしかない。

 でも、そのわがままを、俺はこの人に言おう。

「佐々木さんが他の人と付き合うのは、いやです」

「え…?」




 佐々木さんの周りの空気が止まった気がした。



 言うのはすごく勇気が必要だった。

 自分でもめちゃくちゃだと分かっていた。



「佐々木さんが俺に気があると知ってて、本当に酷い事を言いますけど、佐々木さんは、しばらく他の誰とも付き合ったり、良い感じになったりせずに、俺ばっかり見て、俺の世話だけしてればいい」

 佐々木さんが、顔を上げる。信じられないという表情でまじまじと俺を見た。

「俺に献身的に尽くして尽くして尽くしまくったらいい。佐々木さんが居ないと俺が困るくらいに尽くしまくって、それからもう一回告白すればいい」


 俺のこのわがままを聞いて、嫌いになるならそれでいい。


「それでも俺は断るかも知れないけど、でも俺が好きなら、そこまでやってみたらいい」

 

 しかし、このめちゃくちゃな俺の提案に、佐々木さんは菩薩でも見るような、不幸の最中に希望の光を見出した人のような、そんな表情を見せて、言った。


「いいのか?」


 笑ってしまった。


「いいよ」

 笑いながら答えた。相手はとても真剣で、失礼だと分かっていながら。

「傍にいていいのか」

「いいよ」

「お前の世話をしていいのか」

「いいよ」



 いいよ。

 俺の世話をしろ。



「でもまじで他の誰かと妙な空気出さないで欲しい。俺、さっきの佐々木さんと石原さんのキスは不快だった。何やってんだよって。脇が甘すぎる。俺が好きなんだろ、俺の前で他の奴とキスするとか無いから」


 言い過ぎた?

 いや、これくらいでちょうど良い。

 嫌え、嫌え。俺を嫌え。


 もちろん嫌われるためにわざと酷い事を言っているわけじゃない。

 これが、俺だ。

 佐々木さんが目を閉じる。

 深いため息をついた。

 いや、深呼吸か。



「…ありがとう」



 馬鹿だ、この人。



 俺なんか好きになっちゃって、馬鹿だ。

『ありがとう』って、何に対してお礼言ってるんだ。



 佐々木さんが俺の手を取って、もう一度言った。

「ありがとう」

 俺は素早くその手を振り払った。

 繋いだ手を、離したくなくなるのが恋だ。

 俺はまだそれを、知りたくない。

 石原さんが暴いたこの気持ちの正体を、まだ知りたくない。

「仕事、お疲れ様。今日はもう帰ればいいよ」

「イヤだ、後藤と一緒に居たい」

「俺は居たくないから今日は帰れ」

「…分かった」


 帰れと言うとこの人は帰る。

 しばらくの間、恥ずかしげも無く俺をじっと見つめて、それから小さく頷いた。

「じゃあ」

「うん」

「今、網膜に焼き付けた」

 またそういうことを言う。

「いつか網膜、剥がしてやる」

 そう言って睨みつけたら「それは困る」と言い返してきた。

「網膜は俺のだ。何が映っていようと俺の自由だ」

 ああ。なんかこの変態との議論に勝てる気がしない。

 一生勝てる気がしない。

「もういいよ、帰れよ!」

 肩を掴んで向こうを向かせ、背中を押した。

「はいはい」



 帰っていく背中。

 さっきと景色が違う。

 明日からどうなっていくか分からない。

 多分、あの変態は俺の周りをウロウロするんだろう。

 あの人なりに。



 節度を保って。









 

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困っている人 石井 至 @rk5

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