第9話 悪魔と憂鬱


 …今まで石原さんに歯向かうような態度を取ったことがあったか。

 無かった気がする。


 気が付いたら立ち上がって、反論してしまってた。

 言いたかったことは、石原さんが勘繰るような事は何も無く、佐々木さんがこれまで俺に対して親切でしかなかった、ということだけど…まあ、まあ、あの表現しかできなかった。俺、バカだし。

 デートじゃない。

 佐々木さんは、俺の体調を気にしてくれていた。

 石原さんがニヤニヤするような、下心は全く感じなかった。

 下心を感じないから、俺は甘えて付いていったんだ。

 だから、デートじゃない。

 

 …結果的に佐々木さんを傷つけた。

 ああ、色々とキツイや。キツイな。

 石原さんが暗に示唆していたであろう『俺の佐々木さんへの態度』が、本当にバカだった。佐々木さんといるのは楽だから、完全に切り離すこともせず、かといって石原さんが俺にしていたみたいに、自分を完全に悪者にすることもできず。

 期待、させてたんだな。

 期待を持たせてしまってた。

 …持たせてしまってたんだよな。

 あの、佐々木さんの顔。


 凍り付いて、それから…。

 目から完全に表情が消えた。


 あの顔を見たときに、俺は自分がバカだったと気が付いたんだ。


 かなり憂鬱な気持ちで電車に乗る。席はそこそこ空いていたが、座らずにドアにもたれて窓の外を見た。

 俺、どうなりたいんだろう。石原さんと付き合いたい?

 だったら、やっぱり石原さん一筋で努力すべき。相手が、俺を軽くあしらっていたとしても。

 たとえこれから数年の間、国外で暮らす人であっても。

 …そこはちゃんと筋を通すべき。佐々木さんと距離を置くべき。

 佐々木さんは俺を好きだ。

 俺は佐々木さんと二人で出かけてはいけない。

 佐々木さんに心配かけちゃダメなんだ。

 甘えてた。マジで甘えすぎだった。

 なんか、胸の奥が痛い。今すぐ引き返して土下座して謝りたい。でも、そんなことをしたって、俺のミスは取り返せない。ただの自己満足だ。

 ああ…。

 苦しく、胸を押さえていたら、胸ポケットのスマホが震えた。

「…?」

 見ると、まさかの佐々木さんからのメールだった。

『石原の予定押さえた。急だけど、月末最終日。送迎会用意よろしく頼む』




 短いメールだった。

 でも、俺を決壊させるのに十分だった。

 読んだ瞬間、涙が、出てしまった。

 佐々木さんは、俺が送迎会を頼まれていることを、知っていたんだ。俺は一言も言っていないのに。

 そして、こんなタイミングだというのに俺を心配し、助けようとしてくれている。

 この期に及んで。

 ひどい話だ。

 ひどいや。

 俺、どうすりゃいいんだ。泣けばいいのか。

 ああ。

 泣いてやるとも。

 胸が痛いし、涙は止められないし。俺、まじの悪者だし。クソッ。

 窓の外を見て誤魔化す。

 誤魔化しきれなく泣ける。鞄からハンカチを取り出した。

 俺、なんであんないい人のこと、利用するような真似をしているんだ。それが最悪なことに結構無意識だった。


『…消してくれ』


 不意に思い出す、佐々木さんのあの言葉。

 消したい。

 俺も、消したいです。消してください。

 俺の記憶、佐々木さんの記憶。

 お互いが楽しいときの記憶、…告白の瞬間も。


『俺、後藤が』


『後藤が好きで』


『一緒に居たい』


 ふわっと、遠慮がちに抱きしめられたこと。


『…うそ。消さないでくれ』

 そう言って、急に俺にしがみついてきたこと。

 

 わあああああああ。


 叫ぶみたいに泣きたい。家だったら絶対叫んでた。

 叫びたい気持ちごと噛み殺した。涙は止まらないから、ハンカチで押さえたまま。

 返事、しなきゃ。メールに、何か返事。無理。お礼のメール、ありがとうございますって、佐々木さんにお礼のメールでいい。一行だけ。無理。ああ、無理。



 …無理だ。



 電車を降り、いつもの改札をそそくさと抜けた。

 歩いて五分で家に着く。でも、このまま帰ったら、泣いてるのバレるな。どうしようかな。

 そんなことを考えて躊躇していたら、聞き慣れた声がした。

「どうしたの。文昭」

 あ~。

 姉貴だ。

 マジで誤魔化しようが無いから、ハンカチで鼻の辺りを覆ったまま姉貴を見た。

「ん?」

 ペコっと頭を下げた。姉貴の不審な顔。

「なんかあったの?」

「…ん」

「仕事?」

 首を横に振る。

「振られた?」

 …違うな。

「なに?」

「…振った…かな」

 なんか、違うけど。他に表現しようがなく。

「それで泣いてんの?」

 頷く。

 あ、そうだ。

「振ったっていうか」

「ん?」

「自分がすげえ最悪だって気が付いて」

「何、今頃」

 姉貴が表情を緩めた。

「それで今、自分が過去最高に嫌い」

 姉貴が、俺の背中に手を添えた。

「帰ろ。話聞いてあげる」

「いい。遠慮しとく」

「そう?」

「うん」

「寄り道する?」

 思わず、ちょっと吹いた。田舎過ぎて寄り道できるところなど一つもない。

「どこへ」

「…わかんない。文昭の行きたいところ」

 文昭の行きたいところ、と言われた瞬間に、佐々木さんのことを思い出した。佐々木さんと、こじれていない世界へ行きたい。佐々木さんとこじれてない世界で、焼肉、行きたい。


「なぁ、あのさぁ」

 家に向かって、歩きながら訊いた。

「ん?」

「付き合うのは無理だなって思ってる奴と、でも、人として仲良くなりたいってのは、やっぱり悪魔の考えることかね」

「あ~…」

 姉貴が、ちょっと考えてる。

「悪魔かもね。自分がされたらどうよ…って話かな。相手にもよるだろうけど。相手が、それでも良いならアリのパターンもあると思うし」

 俺は、石原さんと居られるなら捨て駒でも良かった。

 並んで歩きながら、姉貴が続けた。


「でも多分、それやって傷付くのって、最終的に自分だと思う」


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