第8話 阿坂城の戦い その八

 


 弓をひけ。一人でも多く射抜け。皺とシミ、節くれだった手で戦う。敵の士気は高くしかも数が多い。矢をいくら放っても、斃した兵と入れ代わるように城に群がり襲い来る。




 含忍斎は櫓の上からその恐ろしい光景を見ていた。今まで生きてきたなかで、どれほどの戦場を見てきたかはさだかではないが、ここまでの数の敵は初めてであった。




 ――下段の曲輪くるわの鉄砲組の様子がおかしい。




 西の方を見ると、敵はもう弾が届く距離にいるというのに銃をかまえようとしていなかった。




 どうした。撃て。火薬はまだ残っているはずだ。


 鉄砲組は撃たなかった。銃を置き、代わりのように弓矢、あるいは槍を手にする者もあった。




「入道様! 申し上げます!」




 櫓の下に駆けてきた一人の老兵があった。骨と皮だけの喉。むき出しになったような喉仏を激しく上下させ、精一杯の声でその老兵は報告した。






「備えの火薬に水が! 何者かが、火薬に水を入れたと思われます!」




 ――内通者か。誰かが、敵と内通して火薬を使い物にならないように工作したのだ。




「あいわかった!」




 迷っている暇はない。含忍斎はこれ以上の防戦は無理だと判断した。




(時は充分に稼いだであろう)




「撤退じゃ! 兵たちよ! すぐに逃げよ!」




 指示を出すと、自分はすぐさま文をしたためた。敵将にあてた文である。命乞いをするために――。






 ◇◇◇




「藤吉郎殿の勝ちにございます! まこと、めでたい!」




 滝川一益のまぶしいほどの笑顔に秀吉は微笑で返す。




(勝ったのは俺じゃない。お前だ)




 はらの中で舌打ちし、そして己の情けなさをかみしめた。 




「微力ながら、お役にたてたようで何より!」




 滝川は謙遜する言葉を口にしつつも豪快に笑った。この男は快男児なのだ。友を手助けできたことを本気で喜んでいるのだ。




(微力どころじゃない。ほとんど、滝川の力で阿坂城は落ちたようなものだ)




 ――藤吉郎殿。某が城内に仕込みを入れておるゆえ、御安心なされ。




 織田に寝返るようにと、前々から滝川は大宮の家臣と接触を図っていたらしい。それが成功したのだ。滝川の甘言にのったその内応者は城内の火薬に水を入れたと。秀吉には安心して思う存分攻めよと――。




(本当の勝者は、滝川だ)




 秀吉は阿坂城主から放たれたという矢文を握りしめながら、心とは裏腹の笑顔を作っていた。




「大宮含忍斎は命乞いをしております。よほど怯えていたのか、筆が震えた字じゃ……」




 滝川と二人で大笑いした。なんのことはない。乾いた笑い。秀吉にとってはこれくらいの芝居、日常茶飯事だ。




  止血の処置をした左腿の傷が、ズキンと疼いた。




 ◇◇◇




 破られた城戸。


 秀吉は勝ち大将として堂々たる姿で城に入った。無惨な阿坂兵の死体が目に入る。年老いた兵が多いのは気のせいか。




「阿坂城主、大宮殿か?」




 櫓の下にいた坊主頭の老人に声をかける。秀吉の兵が老人を囲んでいた。


 よくもまぁ、大将首を我慢したな、こいつら。生け捕りにしろとの秀吉の命令は間に合った。


 矢文を読んだ秀吉は、含忍斎を死なせるのは「もったいない」と考えたのだ。命を助けてやったら、引き換えに何かいい情報を引き出せるのではないかと期待した。




 それにしても――。


 白く伸びた眉、肌のシミ。細い体。若い頃に誂えたのであろう、今の老体には不釣り合いな鎧。そのひとつひとつが痛々しい。




「我は阿坂城主、大宮含忍斎おおみやがんにんさい。そちらは、木下殿か?」




 含忍斎は深々と頭を下げた。




「なぜ、お逃げにならなかったのでございますか?」




 齢八十をすぎているであろう城主に対し、秀吉は礼を欠いてはならないと思った。表面上だけでも。




「城主として、城の最期を見届けたく。また、残った兵の命を助けて頂きたく、お目にかかりたかったのでございます」




「それは天晴れ。阿坂城の兵に我らは随分と苦しめられましたぞ。さすがは国司の侍と、我が兵は皆褒め称えております」




 懐柔しよう。こんな老人、褒めておだてて利用してやる。




「それに――」




 秀吉は左腿をさする。止血のために繃帯してある。




「それに――、城から放たれた矢に某それがしは参りました。城の中にはとんでもない大力無双の弓上手がいるのかと、慄きました。聞けば、含忍斎殿の令息だとか」




 あの矢を放ったのは、含忍斎の息子、大之丞だいのすけであるという。部下が阿坂の敗残兵から聞いた話だ。


 その大之丞は見当たらない。上手いこと落ちのびたのであろう。今頃は大河内城に入っているのかもしれない。




「……愚息は弓しか取り柄のない者にございます。此度も城を守ることができず、情けない」




 謙遜か。


 左腿が少しだけ、熱くなる。


 その「愚息」に追い詰められた証の傷。




「木下殿の兵はまことにお強い。――総大将の弾正忠殿(信長)は、なおさらお強いのでしょう。いずれは天下を手に入れる御仁かと思われます。ぜひ一度、お会いしたいものです」




 含忍斎の目が一瞬、殺気をおびたのを秀吉は見逃さなかった。




(……このじじい、食えねぇ奴だな)




 信長に会いたいと言う。含忍斎は何が目的で信長に会いたいのか。


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