第3話阿坂城の戦い その三

 


 霧がうっすらとまとわりつく早朝――。


 秀吉の軍は阿坂城のすぐ北側の谷中を進んでいた。大木がいくつも立ち竹藪が不気味な暗闇を抱えている。今にもその藪の中から阿坂の兵が飛び出してくるのではないか。いや、木と木の間から矢が飛んでくるのではないか。なんせ、この白いモヤがかかった視野である。場数を踏んできた兵であっても恐怖心がぬぐえない。足元には強かな木の根が這い、油断したら転びそうである。皆、肌寒い早朝だというのに脂汗をかいていた。




「よいか、お前たち! ひるむな!」




 先頭を行く秀吉が鼓舞する。




「我ら木下の名誉がかかった戦いぞ! 霧が晴れると同時に攻めよ!」




 兵たちの左手には急峻な岸壁があった。ここを這い登り攻めよと言うのか。




「一番乗りは誰か? お前たち、その栄誉が欲しくないのか?誰もいらぬなら、大将の儂がいただく!」




 大将にそう言わせてしまってはたまらない。「我こそが一番乗りを果たす!」と士気が高まったのである。




 霧が晴れるまで、あと少し――。鬱蒼とした谷中にも日の光が射しはじめていた。






 ◇◇◇




 阿坂城、北郭――。




 含忍斎、大之丞、元服前の息子、多気丸。国司より阿坂に付けられた澤さわ大炊助おおいのすけ、そして民百姓たちは 土塁で囲まれた郭の中、敵を待ち構えていた。奴らが来る。村を焼いた奴らが――。


 普段は城下や谷合で田畑を耕す民たちも、元をたどれば南朝を守るために戦った者たちの末裔である。どの家にも祖先の武勇は伝わっているのだ。何か事有れば一撃でも相手に食らわす。そうしなければ彼らの誇りがゆるさないであろう。




「織田の奴らを撃ち返す!」




 老人、子ども、女にいたるまで復讐を心に決めていた。生まれて初めて戦というものを経験する多気丸もその熱気に浮かされていた。




「霧が晴れるまで待て」




 多気丸の父・大之丞は皆を制止していた。


 秀吉たちが東の谷を移動している情報は掴んでいた。しかも別部隊も西側に廻らせているという。南郭の方の麓にも秀吉の兵たちは集結している。しかし、逸ってはいけない。




 奴らをおびきよせろ。そう易々と攻め上れる城ではない。谷底へ叩き返す自信があった。




「霧が晴れたら敵は我先にと登ってくるだろう。まずはそいつらを一気に討つ」




 西側の曲輪くるわは家老結城源五左衛門尉、條助父子に任せた。彼等には鉄砲組も付けてある。


 そしてここから五十八間ほど離れた南郭には大之丞の弟・九兵衛、澤と同じく国司より付けられた野呂左近将監が詰めている。


 二つの出城には、高城に城代旗頭沼田伊予守、枳城に澤衆の河合三郎兵衛がいる。




 来るなら来い。かつて応永の頃、幕府軍を撃ち返したこの城だ。織田など、恐るるに足りず。

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