第2話阿坂城の戦い その二


 北畠氏が伊勢に居を構えた理由。いくつかあるであろうが、ひとつは東国と行き来しやすい場所であったことだ。畿内の東の玄関口が伊勢の大湊であった。穏やかな伊勢湾へ漕ぎ出せば、尾張や三河、そして東国へ――。


 


 東国にも通じ、大和、京にも近い伊勢――。




 南北朝の時代を経て、戦国の世。


 織田信長は伊勢に攻め込んだ。阿坂城攻めの先陣をまかされたのは、秀吉である。




(しめた!)




大宮父子が和睦を蹴ったという報せが入った時、秀吉は内心喜んだ。そして自ら阿坂城攻めの先陣を申し出たのだ。




秀吉はなにがなんでも武功が欲しかった。というのも、前日、阿坂城より北西一里のところにある八田城を落とすことができず恥をかいたからである。




 織田軍は北部の城を次々とおさえ、順調に南進した。北畠側にこちらの動きを正確にさとられないように山沿いを行軍。


 中村川を越えたところに丘陵があった。これが八田城である。


 八田城を落とせば、阿坂城は降伏するだろう。そこに織田軍の本陣をおき、腰を据えて国司父子がいる大河内城を攻めようという計画であった。




 しかし、秀吉は八田城を落とせなかった。




 濃霧。




 伊勢の山々をときおり覆う濃い霧。秀吉の兵たちの視界は突然白くなった。どこに敵がいるのかもわからない。


 地形を熟知し霧にも慣れている八田城の兵によって次々と斃された。




 秀吉はなす術もなく退いたのであった。






「己の名は己の手で取り返せ」




信長はそれしか言わなかった。




(取り返す……いつ取り返せと言うのか。次に俺が城攻めを任される時は来るのだろうか……)




うなだれる秀吉に吉報がとびこんできたのはその時であった。




「阿坂城主、降伏せず!」




これを聞いた信長は激怒した。情けをかけて和睦をもちかけたというのに! 民のためにも無益な戦など…! 大宮父子は人の情というのがわからないのか!




「明日、阿坂城を攻め撃つ!」




こめかみの血管がはちきれんばかりの信長に秀吉はすかさず申し出た。




それがしに!某に先陣の御下命を!」








◇◇◇






(……滝川ばかりに手柄をやってたまるか!)




伊勢攻めのさきがけを任された滝川一益は北勢部の諸家をおさえ、北畠制圧へのあしがかりをつくるという手柄をあげていた。それに比べて秀吉は……この度の伊勢攻めではたいした手柄がないどころか、霧で退散するという失態。




 今度こそ大手柄をたてて汚名返上を。なんとしても阿坂城を――。






 阿坂城の北西を中村川が流れている。中村川の水が流れ着く先は雲出川である。本流である雲出川は北畠の本拠地である多気たげと伊勢平野を結ぶ水路だ。


 雲出川以南は北畠の支配が及ぶ地域である。この川は謂わば境界線。南北朝の動乱のおり、雲出川周辺では北畠軍と足利幕府軍の戦いが幾度となく繰り広げられた。


 川の両岸に北畠の城が点在するのはそのためだ。南北統一後もそれぞれの城には北畠一族、あるいは重要な家臣が入っていて守り固めていた。




 なかでも、北岸にある木造こづくり城は前国司・北畠具教きたばたけとものりの実弟が入っている城であった。


 この木造城はすで織田に降っている。もちろん、滝川の調略のおかげだ。木造城の降伏により、織田は雲出川より南に進出することができたのである。




 川を越えた地にある城を一番初めに落とす。南北朝以来の快挙だ。それは北畠制圧に王手をかけるということ。これを成し遂げたならば大手柄となる。




(俺が落とす!)




めったにない幸運である。八田城など目じゃないほどの大きな城。こちらは圧倒的な軍勢。八田城からの援軍もたかが知れているだろう。


 雲出川の関所も織田がおさえ、周辺民家は焼きつくしてある。敵の補給路は絶っているのだ。勝ちは見えている。敵が音をあげるのを待つだけだ。




(……だが、それでは、少々ものたりない)




秀吉は華のある武功が欲しいと思った。汚名返上のためにはもっと派手な……わかりやすい手柄が必要だ。




(どうせなら、敵に損害をあたえ、我が軍が勇ましく城内に乗り込んで勝利したいものだ)




 しかも、迅速に勝つことができたならば、「木下藤吉郎秀吉ここにあり」と織田家中に示すことになる。




 さて、どう攻めようか。




 伊勢平野にそびえたつ山城。桝形山の頂に阿坂城はある。


あの八田城の裏手に桝形山の西側の麓があり、つまり、八田城から東側に山を迂回していけば阿坂にたどりつく。




 伊勢湾から西を――すなわち京や大和の方を見ればそこに立ちはだかる堅牢な要塞。晴れた日には頂から海の向こうの尾張も眺めることができると聞く。その要塞の背後には奥伊勢、そして大和へと西に続く山々。




 霧がかかった城――。


二つの城郭を尾根が南北につなげている。




 北郭と南郭。




 北郭の主郭は尾根上に作られており、南北に細長い。急な切岸あり。西側にはいくつかの曲輪くるわ。北側には小さいながらも畝状の竪堀群。北西に向かって長さ六十間ほどの大きな竪堀が走っている。




 南郭はどうか。こちらも険しい切岸あり。主郭の周囲はすべて削られて切岸になっている。切岸の下にも曲輪がいくつかあり主郭を守っていた。主郭から北東、北西、南西の方に尾根が伸びていて、その上に小さい堀切も作られている。加えて北東と南西の尾根斜面には竪堀。




 それだけではない。南郭の北東方向に高城たかんじょうという出城。南東にはもうひとつ、からたち城という出城がある。




 どこから攻めようか。大宮父子がいるのはどこだ?北郭か?


 守りは意外とかたいぞ。縄張り図を見ながら秀吉は思案に暮れた。



参考文献


福井健二・竹田憲治・中井均『三重の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版


外川淳『戦国時代用語辞典』学研


岡野友彦「北畠親房」皇學館大大學講演叢書第八十二輯


福井健二『三重の城』三重県良書出版会

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『一志町史』

『一志郡史』

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