一ノ瀬家
朝起きると、電話に複数の通知が入っていた。
電話帳に登録していものではなかったが、その番号には覚えがあった。
眺めていると、また電話がかかってきた。
嫌な顔をしながらも、電話を取る。
「今更何の用?」
「そう言うなよ。昨日街を歩いてたら、てめぇが女連れてんの見たんでな。女にしちゃ随分と強そうだったんで、お前そいつ家に連れてこい」
「断る。これ以上関わるな」
「てめぇに拒否権なんざねぇよ。連れてこい、命令だ」
「断る。関わるようなら、死ぬと思え」
「……はぁ?てめぇが俺を殺すって?バカ言ってんじゃねぇ。てめぇが家出するまでの間に行われた実戦稽古、一度も勝ててねぇくせによく言えたなぁ。いいぜ、掛かってこいよ雑魚が」
怒りのこもった声と共に電話が切れた。
……どうしたものか。
今までならもっと冷静に対処できただろうに。
イトについて触れた瞬間、殺してやろうかと思ってしまった。
なんとも、感情というのは厄介なものだ。
さて、冷静に考えれば殺すというのはやりすぎな気がする。
まぁ、殺さない程度に傷めつけはするが、一ノ瀬家を敵に回す可能性が。
最悪、武家をすべて敵に回す可能性があるか。
さて、勝てるかどうか……まぁ、人数だけなら問題はない。
どこまで通用するか、試してみるか。
考えをまとめ、シナーにメールを送った。
付き合い、結婚するということ。
彼女を危険にさらさないために、一ノ瀬家と戦うこと。
これを最後の殺しとすること。
自分が死ぬかもしれないということ。
そして最後に、出来れば殺したくないと添えた。
「さて、行くかな」
テーブルに置手紙を残して、家を出た。
「お、ホントに来た。アイツのことだから、嘘でも言ったのかと思ってた。久しぶりだね、
大きな屋敷、その門の前で爽やかな青年が待っていた。
それを無視して、非は中に入ろうとする。
「おいおい、実の兄を無視するなよ」
そう言って肩に手を延ばす。
その腕を右腕で掴み、引っ張って首に指を突き刺した。
勢いよく抜き、腕を離す。
首を押さえよろめき、壁に寄りかかる。
「早く病院にでも行ったら?」
非はそう言って、興味を無くしたように中に入っていった。
中に入ると、薙刀を持った男が二人稽古をしていた。
こちらに気付いたようで、近づいてくる。
指についた血を見ると、薙刀を構えた。
一人目が振り下ろした薙刀を奪い、そのまま両の太ももに刺す。
流れるように二人目の薙刀も奪い、足と手を地面ごと刺し、動けなくする。
言葉も交わさないまま、屋敷の中に入る。
懐かしい、家を出たころと何も変わっていない内装に、安堵する。
記憶を頼りに、道場へ向かう。
道場の扉を、蹴破った。
中には、右と左に十人ずつ並んで座っている。
その後ろに、付き人が二人ずつ、計二十人立っている。
そして正面、部屋の奥には、白髪の老人が座っていた。
そしてその隣に、少年が座っている。
老人は、非を見ると、口を開いた。
「久しいな、非。何故帰ってきた」
「一ノ瀬家を、終わらせるために」
「今更、何故終わらせようとする」
「私が、この家を嫌う理由にすら、気付けないからだ」
会話の終わりを感じ取り、立っている付き人達が、襲い掛かってきた。
武器による攻撃を受け流し、他の者へと向ける。
敵の刃を、敵へと当てる。
人数が少なくなれば、こちらから攻撃をする。
急所に一撃入れ、立ち上がることすら出来なくする。
あっという間に、二十人いた付き人は、一人残らず床に倒れていた。
その光景を見た一人が、笑いながら立ち上がった。
「随分とやるじゃないか小僧。試しに俺と戦わないか?」
「やめよ」
背後から放たれた言葉で、空気が変わった。
「たとえ十人、束となって戦ったところで勝てぬよ」
立っていた男は、元居た場所に座る。
横並びの男たちの中で、最も奥に座っていた者が、体の向きを変え、話す。
「御老体、それはさすがに言い過ぎでは。我々は武家の当主、武を誇りとする身、研鑽を続ける我々が、年端も行かぬ青年に、武において負けることなど、ありはしない」
「実力差すら測れぬ者では、勝てぬよ」
その言葉に、座している者達は言葉を無くした。
「話は終わったか、それで、戦うの?戦わないの?」
会話が終わるのを待っていた非は、たいして興味もないように問うた。
「よしてやれ。儂の言葉で、既に負けを悟っておる故、追い打ちを掛けるでない」
老人は、少し楽しそうに見えた。
それは、もしかすると、ただ威圧感が薄れただけ、というものであったかもしれないが、楽しそうだと、そう感じた。
「安心せよ、儂自ら戦ってやる。して非、一ノ瀬家を終わらせるとのことだが、儂に勝つつもりなのだろう。どうだ、わしに勝てそうか?」
ゆっくりと立ち上がった老人は、今度は、少しだが、本当に笑みを浮かべていた。
「……久しぶりに会って、よくわかった。残念ながら、勝てそうにない」
勝てないと口にした非は、そう言いながら笑っていた。
「では、逃げるか?今ならば、一ノ瀬はお主を追わぬ。まぁ、他の家はわからぬがな。それでも、今ならば、儂は追わぬぞ」
鋭い眼光で、老人は非を見つめる。
果たして、どのような選択をするのかと。
「勝てないとわかったから逃げる?ありえない。だからこそ戦うんだ。自分より、強き者に勝利してこそ、成長できる。挑戦無くして、極限へは至れない」
その威圧を、その殺気を、気にも留めずに、非は答えた。
それが、自分の中での、当然であったから。
その答えに、老人は声を出して笑った。
「それを、敗けを悟り勝負から降りた者の……いや、敗けを悟らせ勝負から降りるよう促した、儂の前で言うか。相も変わらず、お主は面白いままだ」
「……私は決して面白い考え方などしていない。ただ、私を面白いと感じているのなら、それは貴方達が、狂っているからだ」
「ふむ、そうか……。長話がすぎたな、そろそろ、殺し合おうか」
何かを思い出すように、目を瞑った老人は、眼を開くと、深呼吸を一つして構えをとった。
殺し合いという割に、護りの構えなのか。
非もまた、構えをとり、そのまま床を蹴った。
音もたてずに、一瞬で距離を詰め、足払いをする。
しかし、倒れさせるどころか、よろめかせることすら不可能だと察し、相手の足を軸に、自分の身体を回転させた。
そして、背中側、死角から攻撃をした。
老人は、見事な体捌きで、流れるように体を一回転させる。
その最中、左手で腕を掴み、攻撃の勢いを殺さぬままに、破壊された扉の向こう、外へと投げた。
勢いよく投げられ、非は背中を木に強く打ち付ける。
間髪入れずに、追撃を仕掛ける。
何とか避けるも、背後に生えていた木は、音を立て倒れた。
分かってはいたが、本当に強いな。
後手には回れないな。
息を吐き、地を蹴る。
近づくと、突如その身が宙を舞った。
一瞬何が起こったのか理解できなかったほどの、速度と自然さを伴った投げ。
そして体が浮き隙だらけとなった非に、回し蹴りを繰り出す。
自分の背丈以上の高さに届くその蹴りは、全く老いを感じさせなかった。
次に蹴りが来ると気付いた非は、空中で身体を捻り、少し触れる程度で済んだ。
しかし触れただけにも拘らず、その肩からは、大量の血が流れ出していた。
そして、着地しようとするも、避けたはずの蹴りが、かえってきた。
まだ地面に足がついてない、これじゃ動けない。
だったら受けるか?
無理だな。
もろ喰らえばそのまま死ぬ、防いだところで腕二本が折れてしまう。
真面目に考えるだけ損だ。
力を抜いてしまえ。
あと少しで着地のところだったが、諦め、身体から力を抜き、背中から落下する。
さすがにその行動を読んでいなかったからか、蹴りは当たらなかったが、非の真上で、蹴りがピタリと止まった。
死を予感し、地面を転がるようにして移動する。
さっきまで自分がいた場所は、振り下ろされた足により、亀裂が入った。
非が立ち上がり見たものは、拳を突き出し構えをとる老人の姿だった。
まずい。
咄嗟に近づき、左手でその拳を逸らす。
そして、老人に右手の拳を向けた。
その拳を、老人は左手で逸らす。
同時に、二人の背後で、衝撃が起きた。
その先にある全てを破壊するが如き衝撃。
喰らうことの出来ぬ矛、故に、ミスは許されない。
しかし、経験の差は、歴然だった。
たった一度も、本気で戦わなかった、齢二十五の青年が。
全てを出し尽くしても勝てぬ相手と、来る日も来る日も戦い続け、たった一度も勝つことの出来なかった天才の背中を追いかけ、六十年もの研鑽を重ねた、齢七十を超える老人に、経験で勝てるはずがなかった。
腕を掴まれ投げられる、地面に叩きつけられ、胸に拳を当てられる。
力任せに動かし、その拳の位置を腹に変える。
先程以上の衝撃が、腹へと打ち込まれる。
外傷は全くと言っていいほどないが、中身はぐちゃぐちゃであった。
血溜まりが作れる程の血を吐き、地面へと滲み込ませる。
「ほぉ、心臓と肺の破壊を免れたか」
そう言って、もう一度拳を、握り直そうとしたとき、身の危険を感じた。
咄嗟に非を放り投げた。
空中で、拳を握り、腰骨に左手を添える。
狙いに気付き、老人は左手を突き出す。
二つの衝撃がぶつかり合い、辺りを吹き飛ばすが如き、暴風が起きた。
けむり舞い、相手の姿を隠す。
それでも、構うことはなく、煙の中に飛び込んだ。
見えずとも、達人は相手を捉えた。
互いの蹴りがぶつかる。
互角と言ったところだった、だが、勝てぬ相手に勝つために、研鑽を重ねた男は、その先を読んでいた。
横薙ぎの拳が、非の腹に叩き込まれた。
非は、道場の中へと吹き飛ばされる。
壁を破り、その奥部屋まで。
老人も道場の中まで入る。
気絶しているかの確認をしようと、近づいて行こうとしたとき、中から人が出てきた。
スーツから道着に着替え、頭から木くずをかぶり、髪の表面が白くなり、血が入ったのか、赤い眼をした非が立っていた。
それを見た老人は、追いかけ続けた天才と非の姿を重ねた。
あぁ、これはだめだな。
一ノ
儂はこの男を、そう認識してしまった。
勝てぬかもしれぬ。
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