情報戦の結末

意識が朦朧とし、今にも倒れそうな状態で一手一手指し続ける。

その命を燃やしながら。


六局目、かんなぎは勝利した。


情報が頭に流れ込む。

鼻から血が出る。

多すぎる情報に、人間には無茶な情報の奪い合いに、脳が悲鳴を上げる。

視界はぼやけ、色でしか駒を判別できなくなっていた。

相手の駒は、幻覚で最初から見えていないも同然。

ただ自分がどこに駒を動かしたかをすべて覚えなきゃいけなくなっただけ。

その程度なら、何の障害にもならない。

そう自分に言い聞かせる。

手で探るようにして、駒を打つ。


七局目、八局目、ともに巫の勝利。


そこでついに巫は、血反吐を吐いた。


なんだ、これ。

食道に傷でもついたかよ……ただチェス指してただけだろうが。

あぁ、クソ…熱いなぁ。

身体ん中が、燃えてるみてぇだ。


突如巫は、大量の血を吐いた。


————⁉

明らかにおかしいだろ。

チェス指してこんなことになるかよ。

こいつが何かしてる?

それはねぇ、こいつがやるなら五局目だ。

情報を相手に渡さないために負けそうになったときに殺してくるはずだ。

ならこれは、俺自身の問題か。

……そっか、ようやくわかった。

ボスやアインスが、俺ををここに行かせた理由が。

でもまぁ、この状況を覆せるような能力はなかったうえ、この能力のせいで身体もたないんだけど


九局目、巫の勝利。


もう慣れてきていた。

ズタボロの身体に、偽られた盤面を読むことに、慣れてきていた。

幹部の情報が流れ込んでくる。

その情報量は、今までで最も多かった。

そして、その情報は……あまりにもおぞましかった。


チェス盤に、巫の身体が崩れ落ちる。

巫の身体はもう自分の身体すら支えられなくなっていた。

駒は辺りに飛び散り、チェス盤は巫の血によって、ひどい有様になっていた。

それはなんであれ、巫が駒を勝手に動かしたことになる。

巫の、ルール違反による敗北だった。


相手に情報が渡っていく。

それは、何をしてでも渡したくなかった、最も大事な親友…アインスのものだった。


アインスの情報が、だれにも渡したくない、俺の思い出が……いやだ、いやだ。


身体の内側の燃えるような熱さは、もうなかった。

身体中痛いし。

脳だってもう、パンク寸前だ。

心はすり減ってる。

命は燃やし尽くした。

その上……引き分けた。


俺の仕事はなんだよ。

ギルドだろ、殺し屋ギルドだろ。

アインスに信じてると言われたにもかかわらず、無様にも引き分けた。

その上殺し屋としての仕事すらできないなんてもう……。


「動けよぉぉぉ‼」


全身全霊でチェスを指した。

最後にはもう起き上がることすらできなくなっていた。

はいつくばって、それでもと。

残りかすのような命を、すべて使って最後に動く。

ナイフをもって、相手の首を、掻き切るために。




「組長!」

「行け‼」


地獄で突如として叫び声がした。

その会話の意味を知るのは当事者二人だけ。


男はもやとなって消えた。




酒呑童子へ手を伸ばす。

つかもうとした手は、空を切る。

酒呑童子は最初から……いや、三局目にはすでに、眠りについていた。

横たわり小さく息をする酒呑童子にナイフを刺そうとする。

その時、何もない空間からソレは現れた。

最後に見た、おぞましく、恐ろしい記憶。

ソレは、一直線に巫に向かってくる。


間に合わない。

あぁ、失敗するんだ。

負けた、負けたんだ。

一度の敗北もなかった俺は、負けてみたかったんだ。

負けて初めて思ったのは、二度と負けたくないだった。

そのあとアインスに負けて、悔しかった。

だけど、楽しかったんだ。

でも、この負けは、今までで一番つらい。

友の言葉を裏切った、それが何より、つらいんだ。

今になって、死ぬ間際になって、伝えなきゃいけない言葉に、ようやく気付いたんだ。

だからまだ、死ねない。

伝えるまでは、死ねないんだよ。


ソレが切り裂いたものは、巫の創り出した幻覚だった。



幻覚!

これは俺の、いや、妖術か。

妖術なら、姿を消すだけならば、避ける場所なく斬ればいい。


ふすま、障子、掛け軸、部屋にあるものすべてがバラバラになる。

壁や畳には無数の傷がつく。

だが、その部屋には、男の死体はなかった。

部屋から逃げた。

だが、山からは逃がすまいと、屋根を透過し、すり抜け上空へと現れる。


逃がしてたまるものか。

これは報復だ、あいつに、神便鬼毒酒なんてもん飲ませやがった敵への、報復だ。

死をもって、償え。


山を霧が包み込む。


虫じゃない。

鹿や熊じゃない。

何で人間がいない。

まだこの山からは出れてないはずなのに、なぜ見つからない。

まさか、死んでるのか。

奴はこの山のどこかで、野垂れ死んでいると、そういうことなのか。

ならば奴はもう、動けない。

いやもう、動かない。

それなら地道に探すとするか。



燃え盛る炎を見た。

暗い夜空で、赤く燃える炎を見た。

その炎に目を奪われる。

炎の中に人影が見えた。


いつだ、いつからあそこにいた。

あの炎を、見逃すはずがない。


「だれだ」




森の中を足を引きずりながら逃げる。


「これくらい離れれば問題ないな」


木に体を預け電話をかける。


「巫だ、ボスに代わってくれ」

「ボス、巫からです」

「はいよ。巫、どうだった?」

「悪い、ボス、引き分けた。身体がもたなかった。今も喋れてるのが不思議なくらいだ。悪い、俺は少し休ませてもらう。じゃあな」


電話を切ろうとしたその時、声が聞こえた。


「待て、言葉くらいかけさせろ」


その声は、今聞きたくなかった。

死ぬのが怖くなるから。

離れるのが怖くなるから。

その言葉を、裏切ったから。


「ごめん」


その声を聴いて、口をついて出たのは、謝罪だった。


「俺さぁ負けたんだ」


大粒の涙を流しながら、心の内に留めておこうと思っていた言葉が次々と飛び出す。


「俺、お前に信じてるって言われたのに……その言葉を裏切った」


電話越しに聞こえる声を、アインスは無表情に、何も感じず聞いていた。


最初から知ってた、引き分けることも。

敗北と捉えることも。

俺の言葉故に、必死にもがいて引き分けることも。

俺の言葉故に、それだけ辛い思いをすることも。

全部知ってたから、電話を替わってもらった。


「ごめんアインス。この情報戦、俺のせいで、ギルドは負けた。俺のせいで」

「違う」


その声は、心に刺さる。

あまりに無感情で、人間らしさを感じないその声は、聴いていて辛いんだ。

その声を出させてしまうような結果にしてしまった自分が、どうしようもなく醜い。


「お前は引き分けた。だったら俺らの勝ちだ」

「違う、俺は帰れない。帰るだけの力はもう、残ってない。だから、負けなんだよ。ごめん、アインス」


繰り返すその言葉に、心が埋め尽くされる。


「安心しろ。勝ちなんだよ、もう。揺るがないんだ、この勝利は。だから……」


あたたかく、やさしい声がした。


「だから……少し休んでろ」

「うん。先に、休ませてもらうな。アインス……ありがとう」


そう言って、電話を切った。

暗くなった画面を額に当てる。


さよなら……アインス。


身体から力が抜け、巫はそこで息を引き取った。

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