第306話 廃城6
引っ張り上げられた七瀬は様子のおかしい紬と転がっている感染者の顔を確認し、そしてもう一度紬の握る拳銃を見て状況を察したのか気遣う様に紬の頭を撫でると、屋上で縮こまる生徒たちへ振り返る。
「この一ヶ月お前達はよく生き残ってくれた。だからお前達はこれらも生き残る。全員でこの十人の中の誰も犠牲にすることなく進んで欲しい、これがお前達の先生としての最後の言葉だ!そして今この時をもって俺は前たちの先生を辞める!ここからはお前達の好きに行動すれば良い!以上だ!」
多分父親としても吹っ切れているのだろう。
どうにもならない状況であるなら、後はもう振り切るしかないのは分かるが、今でなくてもいいだろうに。
これまで頼って来た七瀬の思わぬ発言に生徒は不安そうにざわめきだす。
「おい、良いのかよ先生がそんな事言って!」
一瞬呆気に取られたのも束の間、言葉の意味を理解して我に返った八城は誰にも聞こえない様に七瀬へ耳打ちするが、七瀬が散々に我慢して来たものを吐き出す口は止まらず、誰にでも聞こえる声で堰を切ったように喋りだす。
「ああ!もういいんだよ!俺は疲れたんだ!一ヶ月以上も昼も夜も残業なんてやってられるかよクソったれ!こちとら慈善事業で教師やってないんでな!金の発生しない仕事なんか宗教勧誘と同じ程度には関わりたくもないんだよ!」
やけくそ気味に叫ぶ七瀬に八城は行動が読めずにいたが、七瀬は次いで生徒へと振り返る。
「お前らももう分かってるだろ!この学校でお前達を守ってくれる大人なんてもういないんだ!死にたくないなら自分の事は自分で守れるようにならなけりゃいけない!」
今度は教師としてではなく、一人の冴えないおっさんとして子供達と相対する。
「だが俺はお前らを死なせたいなんて微塵も思ってない!誰一人欠ける事なく生き残って欲しいとすら思う!これは教師としてじゃない俺個人としての考えだ!」
助けたかった八城の希望を投影した父親の姿は眩しい程に想った通りの姿で気高く、だからこそ八城はこの父親を尊敬しているのだ。
「だから!死にたくなけりゃあ俺と俺の息子に付いて来い!ここから先は安全かどうは保証しない!だが此処にいたら間違いなく死ぬ事になるからな!残る奴はもう知らん!」
生徒たちの前に死の実感を持って転がる感染者の亡骸は、残ればこうなると伝えている様にも見える。
最初、動きを見せなかった生徒だが、しゃがみ込んでいた紬が立ち上がり八城の後ろにつくと、固まっていた生徒全員が八城の後ろへと集まってくる。
生き残りたいと思うのはこの場に居る誰もが同じだ。
八城は全員を先導する為に前を歩き、屋上の更に上にある給水塔上部の梯子から四階に続く外階段をもう一つ降り三階へ辿り着いた時、状況の変化は明らかだった。
「感染者が居なくなってる?」
紬がそう呟いたのを聞き八城もガラス向こうの校舎内を覗き見る。
十二名の大所帯だ、感染者に見つかれば守り切る事は出来ないだろうが、紬の言葉通り感染者は校舎内にほとんど居らず久方ぶりの静けさが校舎を満たしていた。
そして三階から二階への階段を一段降りようとした直後、それは居た。
校舎の隅、それは大きな図体を校舎へ凭れるようにしてそこに居た。
校舎内ではない、感染者は校舎外一階へと集結していたのだ。
クイーン周辺に感染者は寄り集まっていた。
そして異変はそれだけに留まらない。
明らかに様子がおかしい感染者がクイーンの周りに点在している。
人間の形から大きくズレた容姿や遠くから見ても分かる赤い瞳の感染者に一瞬でも目を合わせてはいけないと、フレグラの効果が弱くなった八城にも一目見れば分かる危機が目の前にはあった。
「全員!今直ぐに校舎に入れ!」
赤い瞳が此方へ振り返る直前、生徒を全員校舎内へと押し込めるが、紬は校舎に入った瞬間から前方へ意識を向ける。
「何か来る……」
三階校舎内に鉄音が響き渡り、その感染者は階段下から姿を現した。
醜く膨れ上がった右腕に、他の感染者とは違い頭上部分半分近くが潰れている。
クイーンが人とかけ離れた化け物であるなら目の前の異形の姿は人に近い姿を模している分より醜悪に映る。
「八城、逃げろ!そいつは相手にしちゃ駄目だ!」
七瀬は階段脇から現れた異様な存在を知っているのか声を荒げたが、もう遅い。
場所は閉鎖的な校舎内で後ろは行き止まりだ、後ろには十人の生徒が並び、逃げれば誰かが犠牲になるだろう。
「オヤジは生徒を守れ、こっちは俺がなんとかする!」
手に馴染む柄を握り、即座に鈍色の刀を抜き放つ。
これまでの人生で無縁だった刀にも妙な愛着が湧いて来たが八城は刃こぼれの酷い刀を見て、この刀ももう長くないのだと気付く。
「アレと戦うの?」
そう尋ねて来たのは、暗い顔をしたままの紬だ。
戦うか?などという疑問は聞くまでもなく、八城が刀を構え目の前の目標へ一挙手一投足を見逃さぬよう視線を注ぎ続けているのを見て、紬は小さく息を吞んだ。
「なんだ?また知り合いか?」
「違う、でもアレは危険」
何か知っていそうな紬の口ぶりに、話を聞きたいところだがどうやらそんな余裕はないらしい。
「そうか、危険ならお前は下がってろ」
だが八城の言葉とは逆に紬は目の周りを赤く腫らし一歩前へ八城の隣に意地を見せるかのように並び立つ。
「おい!お前は早く下がれ、折角生き残ってんのに、こんな所で死にたくはないだろ!」
反抗期の子供の駄々を聞いてやれる余裕は今の八城にはない、紬には早々に後ろへ下がって欲しいところだが、紬は八城の願いと反して頑として下がろうとはせず代わりに不機嫌な顔を八城へと向けた。
「嫌だ、私は下がらない。私も戦う。それにまだ間に合うと言ったのはアナタ、私はもう友達を撃ちたくない」
紬にとっての覚悟は引き金を引いた瞬間から決まっていたのだろう。
先の事もあり八城なりの気遣いのつもりだったのだが、紬には余計なお世話だったらしい。
そして何より自分の身を自分で守るという意味を正しく理解しているのは何よりも好感が持てる。
「わかった、俺が先に前へでる。お前は適当に合わせてくれ」
「分かった適当に合せる、それから私はお前じゃない、私の名前は『紬』間違えないで」
「分かったよ紬!間違っても俺の事を後ろから撃つなよ」
遊びの技は要らない……というか知らないという方が正しいだろう。
だからこそ八城は一刀に決める必要がある。
フレグラの効果時間も残り少なくなってきた。
長期戦に縺れ込めば状況は悪い方へしか傾かない。
だから決めきれなければ、そこまでだ。
刀を肩まで振りかぶり、腰に体重を落とし込む。
一華の見よう見まねというのも、何だか腹立たしいが今は誰よりも頼りになる技術講師には違いない。
記憶の中にある一華の面影を自身へと落とし込み、纏わり付く死の気配を置き去りにする。
ここまで来るまでに酷使した身体も刀の刃はボロボロだ。
だがそれでも、断ち切ってきた。
どんな困難な状況であろうと、信じたのはこの時の為に……
この一ヶ月で覚えている全ての技術と経験を重ねて
八城は振り切った。
線を引いたと言えば感覚としては近いかもしれない。
空間を斬った。
手に伝わる感触があまりにも微細で分からなかったのだが、それでも確かに八城は斬っていた。
太く醜く膨れ上がった頭と胴体が繋がる境目を、一刀の元に断ち切った。
八城の攻撃は完璧だった。
一部の隙もなく美しい弧を描いた鈍色の刃は醜い感染者の首を断ち切った。
十分を通り越して十二分すぎる程に……
だがそれが問題だった。
「八城!早くそいつから離れろ!」
七瀬の叫びが校内に響いたのと同時に、頭を斬った感染者は平然と動き出す。
確実にトドメを差したと思ったのも束の間、後ろにいた父は叫びその理由は八城の目の前にあった。
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