第297話 女王1

走り始めて三十分ほどだろう。

自然公園を抜けて、二つの橋を超えた辺りで感染者の影はピタリと居なくなった。

いや、追いかけて来なくなったと言った方がより的確だろう。

感染者は不可解にもある一線を引いて追いかけて来る事をやめた。

腕を斬られ、頭を切断されてもなお人間を追いかけて来る事を止めなかった感染者が、ある一定のラインに入る寸前にそこから先に入る事が出来ないとでも言う様に足を引いたのだ。

だが、それは僥倖とも言える。

走り続けていた住人は久方ぶりの激しい運動に息も絶え絶えで、文句を言う気力はないものの恐怖からの反骨か住人の避難を伝える視線は一華と八城へ突き刺さったままになっている。

だがそんな事を気にする一華ではない。

一華はまるで住人を気にする事なく一点を睨みつけたまま感染者が居ないにも関わらず刀を柄に手を添えている。

「どうした?もう感染者は追いかけて来ていないぞ」

「ん?あぁ、そうね〜……丁度いい機会だわ〜八城〜アナタにはまだ言っていなかったわね〜ちょっと付いていらっしゃいな」

住人に建物の中での休息をして貰い、八城と一華は周辺状況の偵察という体裁の元、一華が指差した周辺建物で最も高い建物を目指す。

「私が此処に居る理由よ。私が九十九里から東京に、そしてまた九十九里に逃げないと行けなかった訳〜」

一華はサラリと言ってのけたが、そこには聞き逃せないワードが含まれている。

あの一華が逃げて来た。それはある意味化け物よりも恐ろしい。

「逃げる?アンタには似つかわしくない言葉だな」

「私だって勝てないなら逃げるしかないわよ〜」

外の非常階段を上がりながら、そんな言葉を吐く一華は決して笑っていない。

笑っていないというより、笑う余裕がないのかもしれない。

それほどまでに一華の視線は張りつめている。

「服を着ていない感染者、突然追いかけて来る事をやめた感染者。……八城〜これからこの世界はもっと、も〜っと、生きている人間にとって生きづらい世界になるわ」

そして、ようやく到着した屋上で一華は西に傾き始めた日を背中に受けてある一点を指差した。

そして、それは居た。

ただそこにあった。

夕日の赤を一身に浴びて、街中の中心に存在していた。

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