第267話 終戦4
間合いに立ち入った影の主である浮舟桂花は、今まさにトドメをさそうとしていた、八城が握った量産刃へ縋り付いた。
「駄目です!お願いです!姉さんを!もう殺さないで!」
八城と茨の間に桂花が飛び込んだ瞬間、もう一つの影が即座に桂花の眉間へ照準を定めるのが八城は見ずとも分かる。
「紬!今すぐ銃を下ろせ!」
だが、八城の叫びなど聞きつけていないと、紬は鋭い視線を桂花へと向け続けている。
「私は言った、次クイーンを庇う事があれば迷わず撃つと!」
桂花の頭へ狙いをつける紬は、間違いなく本気だ。
一瞬の隙すら見逃さない、瞬きすら惜しむ様に紬の視線は揺るぎなく狙い澄ました桂花へと注がれ続けている。
「この女はタンカーの爆発でクイーンを私に撃たせなかった。あそこでクイーンを仕留められたらこんな被害は出さずに済んだかもしれない!同じ轍は踏まない。誰もやらないのなら私がここで確実にこの女もろともクイーンを仕留める」
まるで冬のバケツに張った氷の様に冷淡々とした真っ直ぐに首元を掠める冷たい言葉はいつも通りの紬であり、そして間違いなく判断を誤らない紬でもある。
「おい!桂花!今更言うまでもないが、本当にいいんだな!」
「はい……私も死ぬ覚悟は出来ています」
問う八城に桂花は小さく頷いて見せたが、それは八城が望む答えではない。
だからこそ暗く濁った瞳を見た瞬間、八城は怒りを露わに声を荒げていた。
「違う……違うだろうが!お前の死ぬ覚悟なんてコッチは最初っから嫌って程知ってるんだよ!俺が言いたいのはお前の姉を、此処でもう一度化け物にしていいかって聞いてんだ!ここでお前の姉をきっちり殺してやれなけりゃな、お前の姉は!お前の姉のままずっと殺したくもない人間を殺し回り続ける事になるんだぞ!それは、お前の姉が一番望まないことなんじゃないのかよ!」
弾かれた様に桂花が見た先に居た姉の姿は、桂花を気遣っているのが痛い程伝わって来る悲しいぐらいの微笑みだ。
労るのではない。
親類だから、自身よりも何よりも大切だから口に出せない望みもある。
「姉……さん、お願い。私もう……」
精神も性格も、きっと産まれて持った才能も、よく似た姉妹だからこそ茨は桂花によく似ていた。
だから言葉にせずとも、その表情だけで分かってしまう。
「そう……分かるわ。桂花は私とよく似ているから、きっともう生きていたくないのでしょう?」
理解というには、二人の間はあまりにも深過ぎる繋がりなのかもしれない。
二人の……いや、浮舟茨の浮舟桂花への理解は同心と言っても過言ではない。
それだけ同じ時を見て来た、時間を共にして来た重みが確かにある。
「私もね、アナタの姉として取り返しのつかない事をしたわ。償っても償いきれない大きな過ちを……」
この戦場を惨状というには生温い、彼女が浮舟茨ではなくクイーンとして行った行動は、多くの子供の命を奪う結果をもたらした。
「私に、何が変えられるかなんて分からないけど、私はね桂花……生きてそれを償いたいと思うのよ……」
『生きていたい』と、そう願う姉の言葉と姿にクシャリと桂花の表情は歪みを見せる。
「姉さん……なにを言って……」
「本当は桂花も私と一緒に死んでしまった方がずっと楽なのかもしれないわ、でもね桂花……私はもう、この世界で生きていられない。もっと、生きたくても桂花みたいには生きられない……だからね。桂花、私からのたった一つの最後のお願い……」
自分が何を言われているのか、浮舟桂花はようやく理解できた。
今まで姉から頼み事などされた事はない。
兄弟の誰に頼む事もなく、姉であるが故に全てを一人でそつなくこなす事が出来た浮舟茨が今際の際に浮舟桂花に頼む、最後の願い事だ。
「……私に……それをしろっていうんですか……姉さん」
「……私にはもう時間が無い……もう二度と私は誰も食べたくないの。だからお願い桂花……私の代わりに……」
姉は、あまりにも残酷な方法で彼女が生きる意味を提示してみせた。
互いが非才である故に似ているからこそ理解している。
桂花が断れない願いを知っている茨だからこそ……
自身の言葉それ自体を束縛にも鎖にもなる、重過ぎる重圧を妹の生きる糧にする為に……
「桂花、私の最後の願い……引き受けてくれるかしら?」
断れる筈がない……
浮舟桂花に断れる道理がある筈がない。
姉に助けられ、多くの無力な子供を姉に殺させてしまった。
なら……
姉が求める最後の願いが、贖罪であるなら……
「……姉さん大好きです……これからも、ずっと……ずっと、私は姉さんが大好きです」
これ以上ない受諾を示した桂花に茨は小さく涙を零す。
「フフッ、私も桂花が大好きよ」
姉妹は最後の別れの言葉と共に抱擁を交わし、ゆっくりとその距離を離して行く。
「お願いします……姉さんを……楽にさせてあげて下さい……」
「……本当にいいんだな?」
八城の言葉に、呼吸を整え二人は快諾の頷きを返した。
最後の頬を撫でる木枯らしと共に呼吸を整える
斬られた者すら……その意識すら置き去りにする戦いの中で磨かれた、死ぬには最も高価な技術で彼女を送り出す為に。
「今……楽にしてやる」
八城の言葉の後に――
八城は感染体に付き刺さったままの量産刃を――
兄弟の再開
何より彼女の生命を絶つ刃はそのまま上へ
一瞬の風の戦慄きと共に舞い散る赤色の木の葉の隙間を抜けて
溢れんばかりの笑顔が張り付いたままに
痛みなど感じる暇もなく
描く流線は、労る様にゆったりと優しく撫でる
たった一人でクイーンと戦い続け、
人としての矜持を守り抜き
最後に家族の元へ帰って来た
たった一人の人間である『浮舟茨』の首は………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………今
落とされた。
鈴音のような納刀が鳴り、全てが終わった事を告げれば、桂花の地鳴りの様な慟哭が弓なりに風が代わって鳴り響く。
「全員撤退だ……全作戦行程は終了した……」
次の一歩を踏み出した瞬間、隣にいた桜と菫は糸が切れた様に倒れ臥す。
そして八城も地面が歪み……
「なっ……なんだ、これ……」
深い深い眠りへ誘われるように、瞼の裏にある闇の中へと落ちて行ったのだった。
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