第241話 根城10

緊張から滴る汗を強引に拭い紬はまた一発重い銃身を携えて、戦場に一線の楔を撃ち込み続ける。

スコープ越しに見つめる狙いはクイーンではあるものの、射撃の中で繰り返す牽制は敵とも味方とも知れない八城への牽制も含めている。

絶対不利の状況の中、紬が撤退を求めないのはただ一人の人間の為だ。

桜は紬の後方に控え、化け物の戦場に取り残されている人間は『浮舟桂花』ただ一人だ。

「桜!そこで踞ってる間抜けを何処かにやって!このままじゃ弾が無駄になるばかり!」

名前を呼ぶ事すら煩わしいと口に咥えた弾倉を入れ替えながら腰だめにトリガーを引き絞る。

桜が一つ頷きを返し、量産刃を納刀し一体と一人の戦場を駆け抜け桂花の元へ辿り着く。

「さぁ!立って下さい!ここは危険です!一緒に撤退しましょう! 」

力強く差し出された桜の手に、桂花は力無く首を振った。

「もう……もういいんです……置いていって下さい。私は、もう戦えません……」

「なっ!何言ってるんですか!こんな所に置いて行ったら!」

「もう、もういい。こんな思いばかりするぐらいなら、私はここで……」

力無い桂花の言葉に、桜は焦りを滲ませるが、対する紬も薄氷を踏むようなギリギリの攻防だ。

横薙ぎの一撃を搔い潜り、それでも追撃をするのはやはり化け物故なのだろう。

ガラ空きとなっている図体に腰だめの三連射を撃ち込みながらも、クイーンはよろけることすらなく更なる追い打ちを仕掛けて来たところを、小太刀を犠牲に後方へ飛び込んで何とか回避する。

それでもなお一歩間違えば紬自身が八城とクイーンの標的となりうる距離を保ちながら、動きの止まっている桜と桂花からどうにか戦場を遠ざけようと紬は動き続けてはいたが、気力も体力も限界に近い。

「桜!早くして!もう持たない!」

「あぁあ!もう!後での文句は受けつけませんからね!」

桜は一つ心を決めた叫びを上げて、軽々と桂花を抱き抱える。

「紬さん!桂花さん確保しました!」

「遅い!」

「文句は受けつけませんってば!」

軽口を叩きながらも、桜は桂花を抱えたまま乱戦の中で振るわれた八城の一刀を受け流し、紬への退路を作り出す。

「いいエスコート。桜はいい旦那になる」

「あんまり嬉しくないですけど、褒め言葉として受け取っておきますね!」

剣戟の音が聞こえなくなるまで走り続け、三人は自然公園内の池の畔で動きを止めた。

ただ、紬に関しては呼吸を整える間もなく、厚底のブーツで桂花の背中を踏みつけた。

「ちょっと!紬さん!こんな時に何をしてるんですか!」

据え冷えた紬の視線は怒髪を通り過ぎ小さな憎しみすら垣間見える。

「私は、八城くんみたいに甘くない。答えろ。お前はここに何をしに来た」

地面に頬を付けながらも、抵抗する事もなく、桂花はただ虚ろに瞳を泳がせる。

「私は、無理矢理連れて来られただけで……こんな所、来たくて来たわけじゃありません……」

返答の意味を理解するのに数秒を要して、ようやく紬は桂花の発した言葉の意味を理解する。

「事此処に至って、まだ人のせい……」

踏む力すら抜けるとは、思いもよらなかった。

ただ、その代わりに紬の中で新たな怒りが再燃し、真正面から桂花の胸ぐらを掴み上げる。

「ふざけるな!人の男を奪っておいて!その程度の女で居るお前を!私は絶対に許さない!もし死にたいのなら一人で死ね!誰にも見つからず!誰にも悟られないように死ね!」

鳥の囀りすら憚られるほどに敵に見つかるなど構わないと、今度ばかりは珍しく紬が怒りを露わにしている。

「じゃあ……じゃあ!なんで!あの場所で死なせてくれなかったんですか!」

「お前を八城くんの前で死なせる事だけは絶対にさせない!それだけは私のプライドが許さない!」

小さな手が胸ぐらを力任せに掴み上げると共に、振り絞る切なさが灯った情感は紛れもなく紬自身が発した言葉だ。

だが、それはあまりにも不可解だ。

憎むでも、ましてや苛立つでもない、身に覚えのない羨むような切情は桂花には不釣り合いに思えてならなかった。

「なんで、なんで紬さんはそこまで……私に……私なんかに……こだわるんですか……」

紬は間違いなく『浮舟桂花』に拘っていた。

蔑むでも、見下すでもない。

羨むほどに『白百合紬』が『浮舟桂花』に拘るのは、紬にしてみれば当たり前に過ぎるのだ。

「お前は人の夢を奪っておいて、不幸せそうな顔をしている。私がたった一つ、欲しくて欲しくて堪らない形を持っていて……それでなお兄妹にも恵まれていて……お前はこれ以上何が欲しい!」

我が儘とも取れるのかもしれない。

ただ、紬にとっては望むべくもない個人の情念でしかない。

ただそれでも、紬自身がこの戦場に立つにたる理由となりうる。

だからこそ、紬は知りたいのだ。

浮舟桂花が何を望んで生きているのかを――

「私は……なにも欲しくありません……私は何も……望んでない……」

発した声はあるべき質量を伴わず、ただ意思だけを奪われたように煙の如く軽く響いた。

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