第232話 根城1

作戦当日の朝

アルコール消毒液の匂いから開けっ放しにしている窓に吹き抜ける風がカーテンを悪戯に揺らし、東の空には登ったばかりの太陽が収穫間近の作物を照らし出している。

そんな清々しい筈の朝早く、八城の目の前には血色の悪い菫の姿があった。

「すまない。お前には今回色々と無理をさせる事になる」

菫は先まで露出していた腕を抑えながら捲っていた長袖を元に戻しつつ、小さく首を振る。

「いい。これは私が決めた事なの。でも疑問。こんなことをして何か意味があるなの?」

腕に付いた小さな赤点を見つめながら

「まぁ、意味が無いならやらないさ。それに俺達は出来る事を全てやってどうにもならなかったらそれまでなんだ。少しでも可能性があるなら俺はそれに賭けるしか出来ないし、大抵の人間がそこ止まりだ」

八城は使っていた器具を片しながら、菫と共に部屋を出る。

自宅からそう遠くない空き家になっていた小児科病院を後にして二人が次に向かうのはただ一カ所。

西武中央に来てからはいつも通りと言えるほどには見慣れた薄暗い通路と鉄扉、そして今日に限ってはこの鉄扉を開けば全ての幕が上がる。

苛烈と熾烈を極める、汚泥のように絡み付く戦いの合図を八城はこれからしなければいけない。

何時ものように八城は鉄扉の前で立ち止まり、中の気配を探るように一つ呼吸を整える。

「菫、準備出来てるか?」

「準備が出来てないのは八城お兄ちゃんの方なの。さっきからずっと五月蝿いぐらいに伝わってくるなの」

菫の図星を突く手痛い返しに、八城もお返しとばかりに菫の赤髪を乱暴に一撫でした後重く閉ざされていた鉄扉を開く。

一四〇名の子供たちと相対するテル、桜、紬、桂花、G.Oが居並ぶ中の末席へ菫が並び、八城は唯一の空席である壇上へと上がっていく。

総勢一四七名の小さな集まりは、始まりの合図だ。

「お前達、準備は出来ているな」

沈黙に次ぐ沈黙を破る者はなく、ただ八城の声だけが小さな建物内を反響する。

誰も準備など出来ている筈もない。誰もが準備不足のまま戦場へ赴かなければいけないのだから、きっと八城の問いは聞くまでもない言葉だ。

ただ、それでも時間は刻一刻と取り返しのつかぬ間にやって来る。

「全体、最後の時間だ。これより全ての装備を整えて1番街区第一バリケードヘと集合しろ……以上だ」

必要以上の言葉は語る必要もない。彼らに残された時間は少なく、今更無意味な口上に費やす事など誰も望まないだろう。

八城は今作戦における最後の仕込みを終え、自身も第一バリケードへと向かう為に建物の外へ出ると、そこには不信感を露わにした一番街区の住人が道の両脇を固めていた。

東京中央での長距離遠征を思い返すような、人が居るにも関わらず異様な静けさが辺りを満たし、その中央を武装を整えた子供達が歩いていく。

東京中央と違う点と言えば、西武中央の住人がこの子供達を信用していない事がありありと理解出来てしまう所だろう。

『厄介払い』という単語や『汚い孤児』民衆の中には『無駄飯食らい』なんて言葉も聞こえて来る始末だ。

この子供達の扱いは西武中央では照らし合わせたかのように気味が悪いほど統一されている。

八城でも微かな不快を受ける言動だ、こんな事を時雨辺りが聞けば、列から外れて殴り掛かるだろうが、紬や桜はなにも言わずただ黙って前を歩き続けてはいるものの、その険相は察して余りある怒りが満たしている。

「勝てばいい」

二人の表情を鑑みた八城の囁きにも似た声の意味を理解する住人はおらず、その代わり八城の言葉の意味を理解出来ない隊員も居ない。

「フフッ、そうです!勝てばいいんです!そうですよ隊長!」

「実にシンプル。勝てば良い、私の好み」

桜と紬が声を弾ませ、やる気に満ち満ちた八番隊を見て観衆は更に小さな歓声が巻き起こり、三人は顔を見合わせて密やかに笑い、気が付けば第一バリケードはもう目と鼻の先にある。

「さぁ、門出だ。通達の作戦通りに行こう」

先を行く八城が全体へ振り返り

中央団地、そこに目指すクイーンの本体が居る。

全一四〇名の子供を先頭に、出来る限り敵陣中央ギリギリまで突っ込み、乱戦へ持ち込む。

いわば作戦とも言えない削り合いとなる事は目に見えてはいる。

子供達が立たざるえを得ない最前線が最も危険な場所だと思う者も居るだろうが、この戦場において最も安全な場所こそ最前線だ。

そう、だからこそ戦闘の始まりは静かだった。

敵の中枢の直ぐ近く、隊員の目の前に巨大な何かが振り落ちて来た。

それは見覚えのある、姿。

六本足にびっしりと黒毛が生えた化け物『女郎』だ。

全員が身構える中、八城は紬へ指示を出そうと振り返ると、紬は言われるまでもなく躊躇わず引き金を引いた。

何時もの火薬音ではない空気の抜けた音が鳴り、赤い鏃と共にセットされていたシリンダーが勢いよく発射され、その先端が女郎の幾つもある瞳の一つに突き刺さる。

「……命中、これで残り39本」

そう言いながら紬は当てるのが当たり前だと言わんばかりに次のシリンダーを装填していく。

「いい調子だ、この調子で頼む」

余裕を浮べる八城と紬とは対照的にフェイズ3が直上から現れた周りの緊張は最高潮へと達しており、桜も臨戦の構えを保っていた。

「隊長!なんで悠長に的当てなんてやってるんですか!ちゃんと構えて下さいよ!」

「よく見ろ桜、どうも敵は寝不足らしい。今はぐっすり夢の中だ」

指差した先には、六本の節足をだらしなく地面に投げ打った女郎の姿があり、八城は横たわった女郎へ歩み寄る。

「お前らの戦力的余裕と時間のある内にキッチリトドメをさせ。そんでもって何処がこいつの急所で、どこなら量産刃の刃が通るのか今から教えてやる」

八城は携えた量産刃をゆったりと抜き、そのまま柔い腹の部分を縦一線に搔っ捌いた。

人の内臓を模した形の何かが休息に煙を上げて腐敗していくのと同時に、探り当てた感染体を刃の先で穿り出す。

「いいか、お前ら。目を逸らすな。ここだ。この感染体を切らない限りこいつらは再生を繰り返してその場で復活する。キッチリ殺すならこの感染体を絶対に切り取るんだ。感染体は元々人の脳だった場所にある。蜘蛛みたいなこの個体だと、丁度尻の辺りだが……感染体の場所は個体によって場所が異なる。甲殻に覆われてる場合もあるが、その場合は甲殻のつなぎ目の隙間を狙え」

一四〇人が恐怖に顔を歪ませつつも、その光景から目を逸らさなかったのはひとえに今八城がやっていた事が出来なければ自身の身が危ないと分かっているからだ。

「さて、そろそろ行こう。多分ここからはお前らにレクチャーしてる暇もなくなる、各自の命は各自で責任を持つんだ」

そう言ってそのまま行こうとする八城をG.Oは直ぐさま押しとどめた。

「おいおいなんだそりゃ!聞いてねえぞ東雲八城!今のはなんだ!なんで女郎が注射一本で大人しくなってやがんだ!」

G.Oが声を荒げる理由は目の前に突如現れた『女郎』が紬から発射されたシリンダーが突き刺さった事で倒れ臥したからだろう。

八城は、女郎の瞳に突き刺さったままの鏃を引き抜きG.Oへと手渡す。

「まぁ、あれだ。秘密兵器……というか、このシリンダーの中身は菫の血液が入ってる。細かい説明は省くが……つまりだ、クイーンはやっぱり特別だったってことだ」

戦闘が始まるこの場で菫のクイーン因子についての説明をする時間的余裕はない。

それに菫の『クイーン因子』が傍にある限り、フェイズ1〜2の感染体は近づいて来る事が出来ないが、その代わりに最上級である『フェイズ3〜4』の強敵のみがこの戦場には現れる。

そして、今しがた一体目の女郎を倒したという事は、この戦いがもう始まっているということを示している。

「悠長に話している時間は無いんだ。……そう不貞腐れるなよ、後でちゃんと説明してやる」

「ハッ!了解だ。この戦いが終わった後、待ってんぜ東雲八城!」

「あぁ、お互いに生き残れたら……」

無駄話に華を咲かせている時間もない、団地内に響く紬の射撃音は今ので一〇を過ぎた頃だ。

つまり、八城は前に出なければ行けない頃合いとなった。

「G.O……いや、元シングルNo.一浮舟衣、お前にこの場を任せる。絶対に菫と子供を守り抜け」

「ハハハッ!懐かしい名前を引っ張り出してきやがって!とっくの昔に捨てた名前だが……まあ今日ぐらいは名乗ってやらあな!それから東雲八城!テメエこそ行くからには、きっちり桂花を連れて帰ってこい」

『浮舟衣』が量産刃を豪快に抜き放ち、一四〇名の少年の前に立つ。

どれだけの汚名を受けようが、殺人者と罵られようが、在り方は変わらないのだと、自身で立つ事を選べるのだと背中で語る『浮舟衣』は、不敵な笑みを浮べていた。

「背中は預ける。だが預けるだけだ、きっちり返しに来い」

「ハッ、言われるまでもねえ」

その場に指定ポイントに一四〇名の少年たち、そしてその少年達を纏める『浮舟衣』そしてクイーン因子を持つ『菫』を残し八城は紬、桜、桂花を引き連れ戦陣を抜けていくのだった。


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