第227話 後顧9
それから緊張が解けた二人は、ゆっくりと並んで歩き出す。
少し昔の話題で盛り上がり、小さな笑い声が絶え間なく続く道のりの途中、八城は一人立ち止まる。
「今日はお前と話せて良かった」
八城がそう切り出したのは、自宅にはまだ程遠い道の途中だった。
「?これから何処かへ行かれるのですか?」
未だ話し足りないと、微かな余韻を漂わせる桂花の寂しげな表情に、八城も僅かばかりの名残惜しさを感じていたが、八城には火急の用がある。
「悪いな、これから少し会わないといけない人間が出来た」
「こんな夜分遅くにですか? 」
「あぁ、今日は何かと会わないといけない人間が多くてな、お前は先に家に戻ってくれ」
そう言って踵を返そうとした時、八城の裾がキュッと摘まれた。
視線の先の桂花の赤みの差した頬は僅かに膨れ、抗議を感じる拗ねたような視線は微かに八城の鼓動を早くさせる。
「……もしかしてこれから会う方って、女性ですか?一応私これでも八城さんの奥さんなんですよ?」
コロリと表情を変えて悪戯っぽく笑ってみせる桂花だったが、深く詮索をするつもりはないのだろう。
「早く帰って来て下さいね、アナタ」
憑き物が落ちたというか、半ばやけくそというか、大胆というか……
きっとどれも当てはまるのだろう。
桂花は八城をその場に残しゆっくりと帰路へ歩き始め、八城はその背中を見届けた後、昼に寄った高台に向けて歩き出す。
向かう場所は高所へ迫り出したとあるベンチ。
草木の生い茂った道を抜け、昼間と変わらぬその場所には相も変わらず一人の不健康そうな少女がラジオを片手に星空を見上げていた。
「今日は星がよく見えるのか?テル?」
「おお!びっくりしたっすよ!なんっすか……八番っすか……昼間ぶりっすね?どうしたんすか?こんな夜中に?」
呼ばれた名前に肩をビクリと振るわせたものの、呼んだ主が八城だと分かるや否やニヘラと作り笑いを浮べ、傍らにあるラジオのスイッチを何かを隠すように切り替える。
「いや、お前に頼みがあってな」
「頼みっすか?出来れば叶えてあげたいっすけど、死人を蘇らせるとかなら出来ないっすよ」
いつも通りの下手な冗談は、きっと挨拶代わりだろう。
「いやいや、お前には簡単な事な筈だ」
「簡単っすか?でもこうして頼みに来たって事は八番には出来ないってことすよね?」
確かに八城には出来ない芸当だ、だがテルと呼ばれるこの少女であるなら簡単な芸当になる。
「あぁ、柏木のお墨付きを貰ってるお前にしか出来ないんだろうな」
何故『柏木』という重鎮が手ずからこの『テル』だけにシングルNo.と同じ三枚羽を与えたのか。
番街区を自由に行き来する事が出来る、特別なネックレス。
その理由はきっと、彼女の名前の由来にある
「テルって名前は良く言ったもんだよな。情報屋だからテル、何かを『告げる』からテルなのか?」
「さぁ、知らないっすね。テルって名前を作ったのは自分じゃないっすから」
それはそうだろう。
どれだけ手練の情報屋であろうと、柏木は三枚羽を与える事はしない。
それは即ち、東京中央の情報を好きに調べていいと言っているようなものだからだ。
では何故このテルだけは別なのか。
「お前のテルはテレフォンのテルなんだろ?」
瞬間テルの薄ら笑いの表情が凍り付いた。
そうだ、何時も思って来た、彼女の情報網は大き過ぎると。
インフラストラクチャーの消滅した現代において、それは顕著なまでの違和感だった。
それは、『大食の姉』が96番隊を襲った時
それは、7777番街区から西武中央の動きを八城へ報告した時
この世界の誰も、その情報を察知する術など持ち合わせていない。
たった一人、彼女を除いては
「お前はずっと優秀過ぎだ」
そしてだからこそ、彼女はこの世界で優秀過ぎる。
自身の欲しい情報を尋ね、聞き出す。
ラジオを聞くような一方からの受信ではない。
彼女の行っているのは紛れもない送受信だ。
「俺からお前への願いは一つだ。66番街区に居る丸子に連絡してくれ」
その言葉を皮切りに、夜風の冷たい沈黙が二人の間に訪れた。
「まぁ、何時かはバレると思ったっすけど、いやはや、自分としたことがやっちゃったっすね……」
「いや、俺も今確かめるまでは半信半疑だったが、まさか通話が可能だとはな。確かに、今にして思えばお前は情報屋のお前はあまりに『今』の情報を持ち過ぎてる。それで、俺のお願いは叶えて貰えるってことでいいのか?」
尋ねる八城へ、テルは二つ返事の頷きで返す。
「いいっすよ。ただ!条件としてこの事は黙ってて欲しいっすね〜」
「了解だ、おまえがいいって言うまで誰にも喋らないと約束する」
「信じるっすよ。これはマジもマジっすからね、これでもし次の日命を狙われたりしたら八番を恨むっすから」
「いや、それはないだろ。監禁ぐらいはされるかもしれないけど、お前のその技術はどの中央も喉から手が出るほど欲しい筈だからな、お前が殺されるようなことはない筈だ……多分」
「多分ってなんすか!多分って!ああもう……これで自分がどっかの組織に囚われたら八番が助けにくるんっすからね!」
「分かった、分かったから。はいはい、そんな事になった日には絶対に助けてやるから早く丸子に繋いでくれない?」
テルは何やらぶつくさと文句を言いつつ、小さなマイクを手渡して来た。
「会話は、相互通信の中継点の都合上、十秒程度のラグがあるっすから、その点だけ理解して欲しいっす」
「上乗だ。通話が出来るだけで有り難いさ」
「一応確認なんすけど、何を話すのか聞いててもいいんすよね?」
「あぁ、構わない。繋げてくれ」
手渡されたマイクを片耳に、もう片方のマイクをテルが、まるで恋人が同じ曲を楽しむような構図が出来上がったが、八城は別の心配が頭を過る。
「……あっ、ちょっと待った!今の時間は不味い!やっぱり明日に……」
そう八城が言った矢先、無慈悲にも通話相手の怒号が耳元に響き渡る。
「うるせぇぇぇえええ!何時だと思ってやがるんだクソやろうガァアア!」
八城が止める間もなく電話越しの『北丸子』は電話口で叫び散らかした。
そう『北丸子』とはこういう女だった事を八城は失念していた。
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