第191話 城傀2
おびただしく撒き散らされた血液は未だに乾いておらず、生温い空気を蓄えながら、八城の足下を彩っていた。
ビタビタと何かが零れる音は、命の零れ落ちる音だろう。
桜の背から禍々しい何かが生えている……
いや、腹部から背にかけて、貫いている……
そして、大食の姉の腹部からも紅色と黒の美しい刀身が奇妙に膨らんだ大食の姉の腹部を貫いていた。
瞬間、八城の呼吸が楽になり、鉛の様に重かった足取りも嘘の様に感覚を取り戻す。
『感染体』はクイーンの消失と共に、その役割を終える。
つまり、桜の一刀は捕食されたクイーンの感染体を見事に貫いたという事だろう。
瞬間、天竺の横から八城の姿が霞みの様に消え。
大食の姉の凶刃の生えていた腕が斬り飛ばされる。
支えを失った桜が倒れる前に、八城は力の限り桜を抱きとめると、桜の焦点の合わない瞳がゆらゆらと揺れていた。
「おい!しっかりしろ!おい!」
「……隊長ですか……?私、隊長との約束、守りましたよ……」
ググッと桜は手をポケットに突っ込み、何やら取り出して来る。
握っている拳がゆっくりと開き、中の物をよくよく見ればそれは最初と数の変わらない鬼神薬だ。
「お前……なんで?使わなかったのか?」
「私……使いませんでしたよ……どうですか?私やってやりましたよ……凄いでしょう……褒めて下さい……隊長」
桜が喋る度に刺し貫かれた脇腹の部分からは溢れ出る鮮血が滴り落ち、抱きとめている八城の隊服を濡らして行く。
「分かった……分かったから、もう喋るな……」
桜の受けた傷は、内臓を刺し貫き、骨まで達する程の明らかな致命傷だ。
そして何より、あの凶刃には感染能力が備わっている。
つまり奇跡でも起きない限り、なにがどう転んだとしても……
……桜はもう助からない。
「俺に任せろ……天竺、桜を頼む……」
八城は控えている天竺に、ぐったりとした桜を手渡すと桜は、掠れる声で何かを訴えていた。
「隊長……無食の妹に…………校舎の何処かに……居ます……」
うわごとの様な言葉だが、意味のない言葉では無いのだろう。
「分かった、お前はゆっくり休め……天竺、桜を頼む」
八城は後ろを振り返る事無く、目の前の敵『大食の姉』に振り返る。
「また、ウチの隊員を二度も可愛がってくれたみたいだな……」
許容量を超えた怒りに、自身への憤り、もっと上手い手があったのではないかという後悔、それぞれの感情が渦を巻き八城の中で振り切れていた。
「お前には俺のとっておきをプレゼントしてやる。キッチリ受け取ってくれ」
八城は一錠、紫色をした錠剤を噛み砕く。
それは隣に寝ていた雛からくすねた鬼神薬の下位互換。
だが、全ての感覚を鋭敏化させるフレグラは、鬼神薬を使った後であればこれ以上無いカンフル剤となった。
「ハハッ!久しぶりだからなぁ!もう一錠いっとくか!」
二錠三錠と噛み砕砕けば、その分痛みも鋭敏化し、身体にある傷の痛みが悲鳴を上げるがその痛みすら心地よいと、舌の上まで紫に染め上げた八城は不気味に笑ってみせた。
それは八城が八城ののまま戦闘をする為にとり得る最終手段であり、フレグラはいわば鬼神薬に対するストッパー的役割も担っている。
「お前は……お前だけは俺が殺してやる」
身体中の血管の隅々までフレグラが行き届くのに数分、その数分までの間は効果が薄いが、もう全てがどうでもいい。
大食の姉に向け『雪』を暴力的に振り抜きながら、地面に転がっていた『花』を回収すれば『花』は未だに半分程美しい紅色の刀身を残していた。
「そうか、お前は俺にも出来なかった事をやってのけたんだな……」
僅かに柄に残る桜の体温を感じ取り、刀身に映る八城自身の顔を映し出す。
「必ずだ、今日此処で……たとえ刺し違えたとしても、必ず……殺してやる」
紬以外の八番隊を失い、そして今あの89作戦と変わらず、目の前で隊員が刺されるのを見ている事しか出来なかった。
なら八城に出来る事はもう限られた一本道だ。
それを誰も望まなかったとしても……
「俺が死ぬかお前が死ぬか今日でハッキリさせよう」
大食の姉は八城の声に反応してか、まるで人間が首を傾げる様に、至極色に変化した頭を僅かに傾げて見せた。
「おい、その人間みたいな動きやめてくれよ。思わず殺したくなるだろ」
紅白の刃を携え、八城はゆったりと歩み寄り、ゆったりと刃を振るう。
誰でも止められる程、ともすればそれは攻撃ともとれない一振りだったが、大食の姉は期せずしてその刃を身体に受けた。
「おいおい、ちゃんと避けてくれよ。楽しめないだろ?」
八城は悠々と戦場を歩きながら『花』の刃をコンクリートの上をカラカラと引きずり後退した大食の姉にゆったりと近づいて行く。
二メートル、それは大食の姉の凶刃の間合い。
一・五メートル、これは八城が『花』を握った時の間合い。
二メートルに八城が足を踏み入れれば、大食の姉は刃を振るう。
大食の姉から振るわれる一刀は、受ければ間違いなく致命傷となる威力の刃だが、八城は羽虫を払い落とすかの様に花の刀身に凶刃を滑らせ、いとも容易く死の五十センチを踏み越えて、八城は花の刃を大食の姉に届かせてみせる。
「あぁ……そうだな……最初からこうすれば良かったんだ……」
自身を削り、その為に自身の何を犠牲にしようと、勝利を摑み取る。
思考を巡る迷いと共に刀身に付いた体液を振り落とし、後ろから迫る攻撃を半身になって避ければ、八城の居た場所を見知らぬ肉の触手が通り過ぎていく。
絶対の不意を突いたタイミングだった……
だが、八城は後ろから攻撃が来る事が分かっていた。
「来たな……妹の方か?」
ブヨブヨの体躯に、背中から無数の触手を生やしているのは、紛れもない『無食の妹』だ。
大食の姉が手傷を負えば何処からともなく現れ、妹自身の触手を姉に捕食させ、大食の姉の失われた体組織すら復元してみせる存在だが、八城は大食の姉に触手が絡み付く前に、迫る触手をバラバラに切断してみせる。
「おいおい!飯なんか食わせるかよ!」
無食の妹はカメレオンの擬態の様に、背景に隠れようとブヨブヨの皮を波打たせ変色を試みる無食の妹に対し八城は腰にある拳銃を抜き放ち、無食の妹へ全弾浴びせ掛けると波打つのを辞め無食の妹の全貌が明らかになる。
「俺が下手でも的がデカけりゃ当たるもんだな!」
だが次は、大食の姉の咆哮が周囲に響き渡り、甲殻に覆われた肉が脈動し、隙間という隙間が赤く染まっていく。
大食の姉がアスファルトを削り、その巨体を跳躍させ八城へその凶刃を振りかぶるが、八城は数歩身を引くだけで、その攻撃を躱して見せる。
「ハッハハハッ!そう怒るなよ!殺し合いはお互い様だろ!」
妹を傷つけられ怒りに撃ち震えて居るのか、大食の姉はその双眸に赤い光を宿し『ケタケタ』とした笑い声を一層大学内に響かせる。
「そうか!お前も楽しいか!あぁ!俺もだ!最高だな!お前を殺す瞬間が待ち遠しくて仕方ない!」
回避はしない。
後ろに迫る触手を躱し際、大きく回した花の刀身を握り込み、余力を頼りに振り抜けば、触手の切断と同時に大食の姉の頭部の甲殻を斬り割いた。
だが、大食の姉も切り裂かれた触手の残影を頼りに、凶刃を振るい八城の手から『花』を弾き飛ばす。
「ありがとなぁ!丁度使えなくなった所だ!」
宙を舞う『花』は刀身の全てを墨色に変え八城は最後に残していた、とっておきの一本『雪』を腰だめに握り込み最速の一撃を抜き放つ。
「後悔して、死んで行け」
八城が抜いた『雪』の白糸を張った様な一線の刃は、大食の姉の首元を捉えて吸込まれていく。
届く……
最悪の因縁に終止符を打つ一刀が……
情念だけを頼りに振るった刃が……
カン――
という虚しい音が鳴り響く
次に手応えが止まり、八城は手元を確認する。
それは余りにも残酷で、全ての努力を嘲笑うかの様な現実だった。
『雪』の使用限界……
確信を得た八城の一刀は虚しくも切断まで届かず、墨色に染まりきり弾き飛ばされた雪の刃が、虚しい音を立てアスファルトを滑って転がっていく。
その現象は大食の姉が起こしたわけでも、ましてや無食の妹が起こした訳でもない。
限界から来る呆気のない終幕。
刃を振り抜いた為に八城のガラ空きとなった胴に、大食の姉の豪腕が飛び、瞬間八城の身体は鈍い音と共に、『雪』とは別方向へと飛ばされていく。
だが、感染体を雪の刃で途中までとはいえ切られた大食の姉は、大きく戦慄き巨体に纏った甲殻が剥がれ落ち、みるみる内にその巨体を萎ませていく中で、無食の妹はその全ての触手を大食の姉に絡み付かせていくが、いつもなら触手を食らう大食の姉だが、自身の存在を保つのに全ての機能を使っているのか、その触手を食らう気配を見せない。
この場に残されたのは八城と二対の異形。
桜を連れ安全圏まで避難した天竺は、今頃桜の事後処理をしている頃だろうか……
「クソったれ……後少しなんだ……」
手に持つ武装は一つもない。
拳銃の弾は使い果たし、量産刃はツインズ相手に使いどころが無い為に置いて来た。
そもそも武器があったとしても、血みどろの八城では指一本動かす事も間々ならない。
「こりゃあ、詰んでるな……」
「何が詰んでいる?」
僅かに白む視界の中で耳元で囁かれた声に、八城は流血から失いかけていた意識を引き戻される。
「お前、紬……か?どうやって、此処まで来た?」
八城の耳元には、何時もの仏頂面とも取れる無表情を張り付かせた紬が屈み込んでいた。
「私が紬以外に見えるなら、失礼極まりない」
それは笑ってしまうぐらいいつも通りの紬で、思わず八城の相好が僅かに緩む。
「謝罪は言う気はないが、一つだけ言わせてくれ。俺はとにかく、お前を愛してる。この戦いが終わったら結婚しよう」
何よりも誰よりも、今の紬の存在は八城にとって幸運だったと言える。
「……今日はよく求婚される日。でも全然嬉しくないから不思議。それで……これはどういう状況?」
紬の見つめる先に広がるのは、繭状になった大食の姉の脇に無食の妹だった何かかが絡み付き、全く微動だにしないという不気味な光景だった。
「……紬、とりあえずあの繭を撃ってみてくれ」
「ん、了解」
八城からの言葉に紬は躊躇う事なくホルスターから拳銃を引き抜き、繭の中央に当てて見せたが、繭は想像以上に硬く、繭に沿った円を描き弾が弾かれていった。
効き目が薄いと判断した紬は拳銃から貫通力に優れたライフルに切り替え、二度三度と撃ち込んでみたものの、その全てが繭の前に弾かれる。
「駄目、驚く程無意味」
「……だなぁ、じゃああの横にベタッとへばり付いてる妹の方、撃ってみてくれ」
「ん、了解」
もう一度ライフルを構え直し『無食の妹』に対し数発の銃弾を撃ち込むと、今度は厚い肉壁を弾が貫通していく。
「こっちは有効。弾は無駄撃ちしたくない。あれなら量産刃で切った方が効率的」
「だな、頼めるか?」
「……了解した」
動けない八城が代わりに頼むと、紬は心底嫌そうに近づきつつ更に数発の弾丸を撃ち込み、無食の妹だった物体に何の変化も起きない事を確認し腰に差していた量産刃を抜き、繭にへばり付いている肉ごと無食の妹を削ぎ落とす。
頑強な繭と比べ、いとも簡単に削ぎ落とされた肉の塊は、削ぎ落とされた瞬間から腐敗を始め、肉塊の内容物が露わになっていく……
「八城くん……これは……」
紬が思わず驚きの声を上げる。
ただ、座り込んでいる八城からは何も見えない。
紬は仕方なく無食の妹から出て来た内容物を引きずりながら八城の元まで運んで来る。そして、それが視界に入った瞬間、八城も呼吸が止まる程の驚きを覚えていた。
「八城くん……これは、間違いなく人……しかも、まだ息をしている……」
燃える様な赤の長髪をアスファルトに広げ、規則正しい寝息を立てている幼気な少女は、紬の腕で安らかに眠っていた。
無食の妹、その中から出て来たのは紛れもない……
生きている人間だった。
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