第181話 感染者4

多摩丘陵に、二度目の爆発音が鳴り響いた頃合いを見計らい、紬はポイント移動を開始する。

紬の部隊へ選抜された十名の内、五名に負傷した十七番隊の居るモノレールの守備を任せ、紬は残り五名を引き連れ橋手前の高台に陣形を取る。

麗のかく乱作戦が有効なのは精々十数分といった予想である。

それまでに紬は陣形を整えつつ、差し迫る感染者の大群をクイーンの元へ行かせない様出来る限り食い止めなければならない。

橋の向へ行かせる事はあっても、多山大のある紬の後ろへ行かせる訳にはいかないのだ。

紬が任されているのは、最終防衛ライン。

つまり紬を突破されてしまえば、後ろに控える六名しかいないクイーン討伐本隊の元へ、数限りない感染者が押し寄せてしまう。

そうなれば、この作戦は失敗し、誰も救う事事は出来ないだろう。

紬がここで時間を稼げば、それは即ちクイーンを倒す為の時間を稼ぐということだ。

状況を分析し、紬は最適を目指し、その準備に取りかかっている最中、インカムに微かな人の声が入り込む。

「紬……聞こえている……かしら……」

麗作戦開始から、一〇分と経たぬ内に突然の着信。

紬は消え入りそうな声に、インカムを耳に押し付ければ、それは紬の聞き慣れた声の筈なのに何時も気高に喋る彼女からは到底聞き慣れない声でもあった。

「……聞こえている麗。そちらの作戦状況は、どうなっている?」

着信主は風間麗、九十六番隊を仕切る隊長である。

「麗、随分と早い……そちらは大丈夫?」

そして、九十六番隊は今まさに橋向こうで、かく乱作戦の真っただ中に居る筈の部隊であるのだが、紬へ連絡を寄越すには些か作戦段階を踏むには早過ぎるだろう。

「……こっちは、散々よ……あるべき全てのトラップを使った……でも、想定より数も勢いも多過ぎる……今はもうこちらの全部隊が撤退を始めているわ……」

麗率いる混成部隊が撤退を始めているという事は、即ち作戦は最終局面へ移行したという事に他ならない。

だが、紬とて部隊人員が足りていない。

それに加え、この作戦時間の前倒しでは、クイーン討伐本隊に支障をきたしかねない。

「了解した。作戦上そちらで手が余っている者が居れば借り受けたい。そっちは何人……」

その言葉を続けようとした直前、紬はスコープの向こうの地獄を見つけてしまった。

多くの人間が寄せ集まり、その中に息も絶え絶えの見知った顔が、インカムに伝わらぬ様、荒くなる吐息を殺している。

「麗……噛まれた……の?」

遠目から見ただけでも分かる青白い肌に、隊服が歪に赤く染まっている。

それは紛れもない、風間麗で今までに見た事のない顔色が、彼女の身体の変調を訴えていた。

「あら?覗き見?同性でも趣味が悪いわよ……」

「でも……その傷……」

「まぁ、ほんの少しよ……傷自体は大した物じゃないわ……さっきの話だけど、こっちの部隊からそっちに送れるのは二人だけ……。後は全員感染してる……」

混成チームは少なくとも四十名以上居た筈だ。それが物の数分で全滅している。

そこからなけなしの残り二名を貰い受けた所で向こう岸からこちらに渡るまでに二人とも感染者になるのが目に見えている。

「了解した、麗は全体の指揮が混乱しないようにして。此処は私達だけで食い止める」

「足止め出来なくて、悪いわね……そうそう、一つだけあの馬鹿に、紬から伝言をしてもらっていいかしら?」

「……なに?」

麗はインカムを耳に押し付けながら、薄汚れた布地を裂き、噛まれた患部を全力で縛り上げる。

「助けなさい。私も誰も……彼も全員。アンタを待ってるって」

麗に出来る事は全て遣り切った。

隊員を使い、自分を使い、十全に用意された盤面を使ってもなお、これ以上の結果は引き出せなかっただろう。

「……りょうかい……した……必ず八城くんに……伝える……」

紬はスコーブ越しに麗を見る目が霞み、口に出す言葉が震えていた。

「何泣いてんのよ、まったく……本当に紬は泣き虫なんだから……さぁ、行きなさい。アンタにはまだ仕事が残ってるでしょう?紬。泣いている場合じゃないわよ」

その言葉を最後に麗からの通信が途切れる。

紬は即座に通信のチャンネルを八城のインカムへと繋ぐ。

激しい息づかいと、アスファルトを削る靴底の音が交互に聞こえて来る。

「八城くん、返事はしなくていい。こっちの作戦は最終段階に入る。持って一〇分。それまでにケリをつけて。それから伝言。私を助けてと、麗が言っていた……。これは私からのお願いでもある」

「……………」

返事を待った訳ではない。ただ何となく、紬は唯一八城との繋がりである、この通信を切れなかった。

そして、ザリザリとした耳障りの悪い音と聞き慣れた息づかいの合間にその声は響く……

「了解した」

僅かな間に、短い返事を紬は聞き届ける。

もっと言葉を交わしたいと思う。

この不安を払拭出来る程の勇気を、この声の主から貰いたいと思ってしまう紬だが、これ以上言葉を交わせる状態にあればきっと弱音を吐き出してしまう。

紬は、そんな思考を振り切る様に自らインカムのチャンネルを適当に切り替える。

聞こえて来るのは聞き覚えのある歌姫の歌声と、遠くから聞こえる奴らの呻き声。

「私には、私の役割がある。これは誰にも出来ない事だから、私も八城くんの後ろを守る」

口に出してその言葉が指先の先端に熱を灯す。

一発の弾丸を銃口が吐き出したと同時に、戦いの火蓋が切って落とされる。

紬の一発を合図に、放射状に散らばっていた隊員も射撃を開始する。

全隊員が弾を打ち尽くすまでにどれぐらいの時間がかかるだろうか?

数十分か?

数分か?

紬の持つ弾倉は残り三〇を切った。

殺到する奴らの動きを止めることは出来ないだろう。

撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。

頭蓋を穿ち、空を飛ぶ羽の付け根を狙い撃ち、両脇に置かれているガソリンタンクを撃ち抜いても、奴らの進攻は止まらない。

二十五……二十二……そして弾倉が二〇を切りかけた時、変化が起こる。

それは一つの遠吠えの様な声から始まった。

そして次に感染者全体の進攻がピタリと止まる。

進攻が止まるという事は即ち、時間が稼げるという事に他ならないが、この光景を紬は知っていた。

一斉に動きが止まった直後、その光景は始まった。

フェイズ1の一体が踠き苦しみ出したかと思えば、部位の局所が醜く膨れ上がる。アスファルトに転がり、他の感染者も悶え苦しみ出す。

それがドミノ式に伝播して行けば、全ての機能を失った様にも思えるがそれは違う。

「始まった……という事は、八城くんたちが夜顔を倒したということ?」

状況整理の為に言葉に出してみるが、それを出したとて、目の前の状況は最悪の方向へ舵を切る。

フェイズ1の醜く膨れ上がったその身体は見紛う事はない。それはフェイズ2の容姿と相違がない。

そして数多く残っていたフェイズ3はその身体を大きく変化させ、昆虫の形へと変化していく。

だがもっと最悪なのは、フェイズ3だ。

「夜顔が二体、昼顔が一体……ピクシーが七体……これは後で八城くんに抗議が必要!」

目の前にいる圧倒的な存在に、紬はあまりの絶望から笑いが零れそうになるが笑っている場合ではないと思考を切り替えライフルを力一杯に構える。

フェイズ4を倒すという事はそういう事だと知っていた。

知っていてなお、この場を守ると決めたのだ。

だから迷いなく紬は引き金を引いた。

一発、二発、それだけはピクシーは紬へと反応する。

人の下半身から肉という肉が内側から裂け、骨花開く様に開花したその姿を『妖精』というには余りにも烏滸がましい名前だと思う。

そんな、ピクシーは夜顔にも、昼顔にもなれなかったフェイズ4のなり損ないではあるものの、対人に対しては最も有利なアドバンテージを持っていると言っても過言ではない。

サボテンの様な棘付きの卵管を尻尾の様に撓らせ、空を飛ぶ姿はある意味で妖精なのかもしれない。だがあの針に一ミリでも刺されば感染は免れない。

紬は接近してくる一体のピクシーを迎撃するが、なり損ないとは言えピクシーは分類上フェイズ4である。

ライフルの通常弾頭で動きを封じられる相手ではない。

例え感染体部位を撃ち抜いたとしても、致命傷となる前に回復されてしまうフェイズ4では現在所持する武装では留めを刺す事など不可能だろう。

なら……

「全隊員、撃つのを即座に中止。今直ぐ散開して。外に居る者は建物の中に非難して」

インカムに喋り掛ける間も紬の指先は動き続け、銃口は赤熱化した弾を吐き出し続ける。

そうして、破裂音を響かせ一人撃ち続ければ、紬の元へ感染者が殺到するのは必然だった。

だがそれでも紬は弾倉を乱暴に入れ替えては精密射撃を繰り返す。

他隊員が紬の命令によって撃つのを辞めても、紬は構わずライフルの規則正しい射撃音を町中に響き渡らせる。

「一、二、三、四、五……ピクシーをこれだけ引きつけられたなら、私にしては上出来」

屋上の紬の元へ飛来するピクシーの数を数え終わると腹這いから起き上がり、立射へと切り替える。

もう隠れる必要はない。

コソコソと隠れながら、敵を撃つのはもうやめだ。

「化け物ども」

一発、二発、

確実に前方ピクシーの羽を捉えるが、即座にそれらは回復してしまう。

だが撃った分だけ、弾を当てた分だけ、自身の生存権を守る事が許される。

「弾はまだまだあるぞ!ばけもの!」

また一体、ライフルを四発まで撃った所で、ライフルを肩に回し移動用アンカーを射出し雁字搦めになった所へ拳銃の掃射を浴びせ掛けるが再生力の前には焼け石に水にもならない。

二体目に気を取られていれば、三体目が直上から卵管を撓らせ垂直落下して来るのを紬は、ギリギリで躱し地面を転がりながら肩に回していたライフルを片腕で構え直し二発を立て続けに撃ち込んでいく。

四体目の卵管が真後ろに迫ったのをライフルでクイックショットの後かなぐり捨て、腰から抜いた小太刀を滑り込ませ、どうにか凌ぎ切った。

だが、即座に五体目のピクシーが屋上に舞い降りて来る。

『妖精』と呼ばれるのは、なにも見た目だけではない。

群れるのが好きで、遊びが好き。

フェイズ4の行動的特徴から名付けられたのが『妖精』ピクシーである。

上空に揺ら揺らと四体が舞い、残りの一体が屋上の紬を付けねらう。

手に持つのは小太刀のみ。

拳銃の弾倉はあるが、装填までの時間を許してくれる相手ではないだろう。

屋上にへばりつく、一体の突進を躱し、遅れて撓る卵管を間一髪で往なし上空からの四本が紬をしつこく付けねらう。

息が切れ、体力が削れ、気力が底を付けばそこまでだ。

僅かでも回避の動きが鈍れば、攻防は呆気なく終わってしまうだろう。

転がり、小太刀を振り、隊服すらも使って防御に専念し続ければ、背中に金網の感触が伝わった。

躱す事だけに気を取られてしまった紬は、気付けばフェンス際へと追い込まれてしまっていたのだ。

目の前には、殺しても死なない化け物が五体。

フェンスの向こうは落下防止柵があるが、そこから足を踏み外せば高さ十数メートルしたの、冷たいアスファルトが広がっている。

小太刀を左に持ち替え、右に持つ拳銃の弾倉を入れ替え、近づいてくる目の前の一体の動きを止めようと撃ち続けるが、ノッタリとしたピクシーの歩みは止まらず、卵管をサソリの様に仰け反らせ、紬へと向けて来る。

弾切れを知らせるスライドが上がりきり、ただ一本しかない小太刀の切っ先を向ける。

一対五、勝敗は明らかだ。

強い弱いで語る次元ではない。

そもそもの個体としての性能が違い過ぎる。

ただそれでも……

「此処は引けない!私が、お前達を八城くんの元へは行かせない!」

ピクシー相手に言葉が通じる訳ではない。

ただ、自分に言い聞かせることで、限界を超えた紬自身を奮い立たせる事がせめて紬が最後に出来る事だった。

来るなら来い。

だが、黙ってやられてやるつもりもない。

ジッと視線を逸らす事なく、最初の一体が歩み寄った瞬間。

紬の丁度真後ろから髪を数ミリ掠める距離を一発の弾丸が通り過ぎた。

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