第150話 摘心

八城が出て行って数時間後、全ての準備を整えた月下かおるは、虎の子の一品を乗せた小型船舶のエンジンを起動する。

随分長い事使われていなかったため掛かりが悪いエンジンだったが、この一回こっきり使えればいい。

常駐隊副隊長には、自分の後任を頼んでおいた。

これで安心して自由な行動が取れる。

月下かおるには一人だけ。どうしても会わなければならない人物が居た。

快楽的に、苦痛なく死ぬ事を心情としている彼にしては珍しく、そう思わせてくれている人物だ。

月下かおるには恋人が居た。

その彼女は同じクラスメイトで、八城もよく知る人物だ。

彼女は気が弱く、それでいて正義感が強かった。

腕っ節は無く、何より身体が弱かったことで、この世界での居場所を無くしていた。

だからこそ、この東京中央が出来た時彼女は喜んだ。

これで私も役に立つ事が出来ると、その身を投げ打って献身した。

『月下かおる』の考えは、その時から『苦痛無く死ぬ』という物に変わってしまった。

だってそうだろう?

非日常の中で壊れていく彼女の様を見ているのは、あまりにも辛すぎた。

だから八城は、そんな彼女を見かねて別の道を宛てがった。

月下かおるにしてみれば、彼女が生きてさえ居てくれていればいい。

彼女が彼女らしく在れる場所で暮らしてくれていればそれで良かった。

月下かおるは、東雲八城の提案を受け入れ、彼女を送り出した。

そして89作戦の後、月下かおるは知る事となる。

歌姫の存在と、『月下かおる』の最愛の彼女『看取草紫苑』が歌姫の声によって殺されたという事実を

ビルの隙間から彼を拒む向かい風が吹き抜ける。

それすら『月下かおる』にとっては心地よい。

念願が叶ったのだ、今どんな事が起ころうと月下かおるにとっては、幸運に映る。こんなにも視界が開けた気分は初めて彼女が……大切な人が出来た時以来だろう。

東京中央には正直何時でも来る事は出来た。

だが歌姫が表に出て来る事は今回を逃せば決して得る事の出来ない機会である。

だからこそ、東雲八城が持ってきた話は丁度良かった。

動く理由を得たなら、月下かおるは動く事が出来る。

自分の彼女にすら特別を許さなかった月下かおるだからこそ、理由は何よりも重要だった。

「本当に楽しみだね」

夜の東京湾に、月下かおるが運行してきた船が停泊する。

それは東京中央が目の鼻の先に見える場所。

その場所で彼は大きく夜の空気を吸込み、夜空を見上げる。

「早く会いたいな、天王寺催花」

顔は知らないが、その存在だけは決して忘れる事は無い。

月下かおるが片手に持つ量産刃の刀身が、夜月の光を散らす。

「もうすぐだ……もうすぐに会える。俺の彼女を殺してくれた人に……」

夏の終わりの風に向かって、一人呟いた彼は、東京中央第一バリケードの門を潜って行ったのだった。


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