第64話 半目

森林を超えた先。その場所には小さな丘があった。

影は四つ

三つの見知った影。

だが一際大きな影が一つの影を鍔迫り合いの末に下げ切りに押し切られてしまう。

そして一際大きな影は二つ並んで動かない影にその凶刃を向けた。

間に合わない。

今この場所からではあの凶刃を止める事が出来ない。

だがその凶刃が二つの影に届く事は無かった。

今しがた下げ切りにされた影はゆらりと立ち上がり一際大きな影を後ろから貫いた。

今なら届く。

距離は三十メートル四秒有ればこの刀は十分に届く。

一秒、一際大きな影が振り向いた。

二秒、その影は不機嫌そうに鳴き声をあげる。

三秒、その凶刃を振り上げた。

四秒、

八城はその凶刃を全身全霊の一刀を持って打ち払った。

「おせえよ馬鹿野郎」

「すみません良さん。遅くなりました」

大食の姉の形状は新宿崩落作戦と比べて大きく変容している。

「お前、いつから手が生えたんだ?」

大食の姉は苛立つ様にその凶刃に着いた土を一振りで払い落とした。

八城は違和感を感じていた。

それは考えたくもない違和感。

大食の姉はその凶刃の相手を見定める。

向けるべき相手は誰か、今最も警戒すべき相手にその凶刃の行く先を定めた。

「ご指名か」

八城もゆったりと今振り払った刃をもう一度構える。

「紬!お前は良とテルを連れて、安全な所まで行け!」

「八城君!私は、私はまた!」

「説教は後だ!お前が今出来る最善を尽くせ!俺は俺の最善を尽くす!」

最善、その言葉は今の紬に最も痛みを伴う言葉だ。

だが時として人はその痛みを原動力に動き出す事が有る。

そして紬もその一人だ。

「……了解」

空っぽだった紬の瞳に弱々しいながらも、色が戻る。

八城はそれを確認すると同時に口に鬼神薬を放り込んだ。

中央に戻った時に一錠だけ懐に忍ばせておいた物だ。

脳を突き抜ける酸っぱさが、身体全身に伝わっていく。

色も音も感触もそして自分の命への執着すら輪郭を失う。

今は雪光もない。

紬もあの状態では援護は見込めないだろう。

八城が大食の姉を見やった直後。

踏み込んだのは大食の姉が先。

だが振り切ったのは八城が早かった。

振り切った刃は外殻を傷つけ表面を滑っていく。

大食の姉のその刃が振り抜かれる前にしゃがみ込み回避。

「遅いな。」

八城が呟いた。

八城にはその攻撃が遅く感じていた。

次に攻撃が来る場所が分かる。

大食の姉の刀をも切る一撃を、見てから躱す事が容易になっていた。

それは八城の身体中で、鬼神薬の効き目が大きくなっているという事に他ならない。

だが今の八城にそんな事を気にする思考など残っていない。

相手の攻撃を受けず、自分の攻撃を相手に届かせるか、ただそれだけを考える。

歪みは凶刃の構えを八相に構える。

まるで人間の様な動きだ。

突きからの一刀を八城は流れるままに躱す。

見覚えのある太刀筋、

紬の物だ。

なら知っている。

知っているなら打ち破る事が出来る。

粘り着くような剣戟のそれは紬の模倣で切れも駆け引きも臆病さも欠いた偽物だ。

早さも力も上を行くのは大食の姉だが。こと戦いとなるなら紬の方が断然強い。

結局技は紬だが、その実体は大きく異なる。

「まやかしの強さだな」

八城は迫る凶刃を紙一重で躱し、もう片方迫る手を刀で弾く。

まやかしの強さ、だが此方の刃が通らないのなら八城の技も意味を成さない。

八城の鬼神薬の効果は持って数十分。

それまでに手だてを考えなければ、負けるのは八城の方だ。

八城の持つ刀は一刀だけ。

攻撃に合せ滑らせ弾き、打ち払う。

決して真っ向からの鍔迫り合いだけはしない。

そんな事をすればすぐさま刀自体が使い物にならなくなってしまう。

それにこんな化け物と何度も打ち合える程、人間の身体は頑丈にはできていない。

上からの攻撃は躱し、即座に正眼に構え直し薙ぎの一撃を身体から逸らす様に刀を滑らせる。

大きな動きは要らない。

無駄なく。

それでいて鋭く相手の懐に入り込む。

納刀までの時間はない。

腰だめに構え相手の顎を撃つように抜き放つ。

振り抜いた剣先が大食の姉の顎を掠める。

「身体捌きは俺譲りか」

それは前の戦闘で八城が見せた身体の動き。

剣先が擦っているのを見れば、その動きはまだまだではあるが、それは紛れもなく八城の身体の動きだった。

振り、突き、薙ぎ払い。

二重抜刀。

打込み。奇抜な剃り落し。

居合い。

全ての技が見覚えのある技の数々だ。

その技を使う度、その技を八城が躱す度に、その技は八城の身体に近づいていく。

「教えがいのある化けもんだな!」

八城の言葉に応えるようにケタケタと鳴き声をあげる。

「ムカつくその態度は一華ってとこだな!」

またもや二重抜刀。

八城の一刀を凶刃で弾き、八城を捉える左の腕が迫る

「効かねえって言ってんだろ!」

弾かれた刃を自分の左後ろに流し柄を腰から抜き迫る手を弾く。

八城の息づかいが段々と荒くなり始める。

薬の効き目の終わりが見え始めている。

八城の刀が少しずつではあるが押され始める。

「しんどいなクソ!」

受け身を取りながら転がり即座に反撃する。

身体が重い。

相手の攻撃は見える…見えるが身体が思う様に動かない。

大食の姉は動きが鈍くなる事は無い。

それどころか技を打つ度に刀の鋭さが増して行く。

「最悪の気分だな」

決着はもう決して遠くない所にある。

その結果は今の状況が全てを物語っている。

時間が経つ程に不利になる八城。

そして技を使う程に練度が上がる大食の姉。

振りかぶる凶刃が八城に対して再三に迫る。

八城は大きく飛び退き回避。

大食の姉は八城の後ろにあったその木を軽々と切り裂いてみせる。

「無茶苦茶やりやがって!」

気が八城に向かって倒れて来る。

八城は素早く回転。受け身もとらずその木を避ける。

強かに打ち付けた背中から痛みが伝わる。

「痛み」

それが伝わって来るという事は鬼神薬の効果が切れているという事だ。

八城の目には歪みではなく大食の姉が形を保って見える。

痛みも、匂いも、色も、刀の重さも感じる。

戻ってしまった。

切り札を使ってもなお、八城は大食の姉に打ち勝つ事はおろか、傷の一つすら与える事が出来なかった。

息が上がり身体が燃える様に熱い。

副交感神経が異常をきたしているのだ。

間接が軋み、目が霞む。

だがそんな都合など大食の姉には関係ない。

その凶刃を何度も振り抜き八城の命削り取る。

今の八城にはその振りかぶる勢いを殺しきる体力など残っていない。

その凶刃を受け流す度に身体がふらつき、状態が逸れる。

崩れた状態で無理に受け流しまた状態が崩れる。

「クソったれが!少しは休憩させろってんだよ……」

八城が泣き言を言おうがそれはもう止まらない。

真上からの一刀。

八城は刀を一文字に刀身に左手を添えて下へ受け流す。

だが迫る右手は八城の刀をがっちりと掴んでいた。

「嘘だろ!」

八城は堪らず刀を手放した。

大食の姉はその刃を少し眺めた後、刀を左の手で握り直す。

二刀流。

奇しくもこんな形で、大食の姉はもう一刀の刀を手に入れる。

「不味っ!」

八城は全力で地面を転がった。

八城の右肩を刃が掠める。

先まで八城が使っていた鈍い銀色の刃だ。

どうする……今手元に鬼神薬が無いため薬の二重掛けは出来ない。

刀も無い。

あっても効かない。

八城の脳裏に敗北の二文字が現実味を帯びて来る。

八城は鞘を手に取り、何とか身を守る事に専念する。

一度で良い、どうにか一撃だけを鞘で打ち払う。

鞘は役目を終えたとばかりに、半ばから拉げ木片を散らばらせる。

一撃を防ぐ事。

それが出来れば良い。

八城はその気持ちを抑えられなかった。

だから、八城は笑った。

良はあのときこんな気分だったに違いない。

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