第60話 lost lily1

44番街区に警報が鳴り響いたのは地下道崩落作戦終了から、約二時間後の事。

良と紬には、その光景がまるで地獄絵図だ。

逃げ惑う人々。人が一人倒れる。

腕には深い切り傷があり泡を吹いて痙攣し次第に動かなくなる。

「何が起こってる」

紬は人の流れて来る方に目を凝らす。

何が居る。

何処に居る。

「ありゃ、ツインズか?何でこの場所に居やがるんだ!」

それは居た。

紬はそれを知っている。

89の災厄。

それは凶刃を携えた最悪の化け物。

丁度今、44番街区の常駐隊がツインズの周りを囲んでいる。

一人が仕掛ける。

その素早い一刀をツインズは薄く平たくなったブレードで切り返しその隊員の頭を鷲掴みにした。

「何で?手が、生えてる」

紬の言葉はツインズの形状を酷薄に示していた。

元々、大食の姉の両腕は左右に非対称のブレードが生えていた。

だが今はその両腕は大きく変化している。

右にあった、厚く太いブレードは、細く短く平たい両刃剣の形状に。

そして何より大きく変貌しているのは左側だ。

左に付いていたブレードは消え去り、代わりに人間の腕に近い物が生えている。

指の様な物が四本。

その四本の指が、向こうに居る隊員の頭をガッチリと掴んで離さない。

厚い外殻も健在な様で暴れる隊員の刀を軽い音で弾き返していた。

大食の姉のブレードが暴れる隊員の右肩を撫でる。

隊員から何かが剥がれ落ち、その剥がれ落ちた場所から凄まじい血飛沫が上がる。

ケタケタと笑いながらゆっくりと姉はその隊員に顔を近づけ捕食する。

ニチャニチャと水分を含んだ肉を食らう音。

それと共に大食の姉の口元も真っ赤に染まっていくと共に辺りに血の匂いが充満する。

他の隊員も果敢に刃を手に責め立てるが、全てがその凶刃から振り下ろされる一刀に切り伏せられてしまう。

また一人を切り伏せ、そうして食事を再開する。

それを食い終われば次は逃げ惑う住人の番だ

今この番街区で戦えるのは常駐隊と紬だけ。

やるしか無い。

重火器は効かないのが分かっている。

愛着のある狙撃銃をエントランスに置く。

小太刀は無いが、打刀は幾らでもある。

「迷ってる場合じゃない」

紬は自分に言い聞かせる様にその刀を取る。

ずっしりと重い感触が腕から肩に掛けて伝わってくる。

得意ではない。

だがやるしかない。

「行くんすか!?辞めて下さい!一人じゃ死んじゃうっすよ!」

良を見ていた筈のテルはエントランスに降りて来ていた。

刀を手にする紬の姿を見てテルは思わず声を荒げる。

「かもしれない。でも住人を見殺しには出来ない」

紬には自分が兵隊であるという考えが、この四年間で嫌という程染み付いてしまっていた。

「住人が逃げる時間は稼いでみせる。テルも良もその間に逃げて!」

「駄目っすよ!紬さん!」

このとき久しぶりにテルは遠征隊員の事を名前で呼んだ。

だがその言葉に含まれる意味を紬は知る由もない。

紬は組み立て式テントを駆け抜けた。

目指す場所は一直線。

森林公園を抜けた小高い丘の上。

まだ此方の存在に気付いて居ない。

紬は容赦なくその後ろから刀を振り下ろした。

「っ!通らない……」

軽い音と共に刃が厚い外殻に阻まれる。

予想はしていた。

それでもその事実は紬に大きくのしかかる。

まだあちこちから住人達の叫び声が聞こえて来る。

ここに来るまでに相当な人数を食ってきたのだろう。

赤が酸化し、黒みがかった凶刃は今も怪しい煌めきを放っている。

その眼光は確実に紬を捉える。

「化け物!」

勝てるとは、最初から思っていない。

かと言って援護も来るか乏しい。

だが紬はここで死んでやるつもりもない。

紬は大きく後退して大食の姉から距離を取る。

無食の妹は何処に居るのか分からないが、居るよりは居ない方がマシだ。

紬は後退と同時にホルスターにある拳銃を抜き三度トリガーを引く。

三発が三発とも大食の姉の外殻を貫くに至らない。

「こんなの、どうすればいい……」

焦燥か募る中、紬はそんな思考を即座に振り払った。

感じたのは風にも近い。

凶刃が目の前に迫っていた。

いつ近づかれたのか分からなかった。

一刀が届く距離。

その場所で大食の姉は凶刃を振り上げていた。

振り上げが、大きくない。

だからと、刀で受けて自分の左側に刃を受け流そうとして刃を滑らせる。

自身の刃の上を凶刃が滑り落ちていく途中、軌道が変わる。

上からの軌道を大食の姉は、思いきり紬側へ押し込むように薙ぎ払った。

紬は押し込まれるままにその体重ごと持ち上げられ後方に転がって回避する。

最初の大きさには見劣りする大食の姉のブレード。

だがその一太刀の重さは、前と遜色無い重さ。

つまり武器を使っている。

その刃を使い自分の物としている。

今までと違うと即座に分かる。

小手先の技。それは人間が使えば、失笑されるが、怪物が使うのなら全く笑えない。

紬は額から流れる冷や汗を腕で強引に拭い次を構える。

手強い。紬はそう感じてた。

昔のままであれば、時間を稼ぐともできたかもしれない。

振りのスピードも数段早い。今しがた垣間見せた技の様な物も厄介だ。

89作戦の時より数段強くなっている。

紬はその場から飛び跳ねる様に迫る刃を転がり躱す。

狙いが甘い、一太刀を受け流し防御から反転全体重を乗せた突き。

これも駄目だ。外殻を傷つけるだけに留まっている。

紬は大食の姉の動きを分析する。

無機質な動きではない。

89作戦時には目についた者を襲う様なまるで血に飢えた獣だった印象がある。防御など考えず、相手を食らう事だけを念頭に置いた戦い方だったのを覚えている。

だが、今は違う。

「何……これ……クッ!」

それはまるで紬の戦い方を見ているかのような戦い方。

突きが来たのを紬がしなやかな刀捌きで受け流し攻撃に転じる。

同じ突き技。

大食の姉も今しがた見たそれに習う様に、紬の刀に刃を這わせ後ろに受け流す。

「こいつ!」

技は紬が上。

練度も経験も紬が勝っている。

だがそれを強靭な肉体と、人間ではないという利点を駆使して紬の今を確実に上回っていた。

紬の刀が早々に弾かれる。

体重がもっとあれば、

身体がもっと大きかったら、

切れる刀があれば。

思う事はある。

だが今紬にそれらは無い、そうならなかった。

紬は不格好になりながらも、迫る凶刃を自分の身体に触れさせる事は無い。

触れれば終わりだ。

そう分かっているから迂闊に前に出る事が出来ない。

だが向こうはそうではない。

今大食の姉に、この場所に恐れる物など無いのだから。

だがそれは紬も同じだ。

この場所に恐れる物など無い。

紬にとって最も恐ろしい事。


今この場に撃つべき仲間は居ない。

居るのは紬と大食の姉の二人だけ。

「私が死ぬまでは私が相手になる」

言葉が通じているとは思わない。

だからこれは紬の自己満足だ。

あの時は後ろから銃身を握って泣く事しか出来なかった。

紬は仲間を撃った。

そして八城に仲間を切らせた。

失態だ。

この中で一番No.として階級が高い私が皆を守らなければいけなかった。

八城もいっそ責めてくれれば、自分にも失望できた。

だが八城は紬に対して何も言わなかった。

責められる訳でも慰める訳でも、ましてや褒める訳でもない。

言う余裕が無かったのだと分かる。

紬はそれが一番怖かった。

だから紬はここで引く訳にはいかない。

一番怖い場所はここじゃない。

なら紬はまだここで戦う事が出来る。

大食の姉からの剣戟を躱し、打ち込み、また躱す。

身体が悲鳴を上げているのが分かる。

自分の剣戟が遅い。段々と追い込まれていく。

突きを打ち払われる。

迂闊だと自分でも思う。

だが自身の隙になったとしても、相手の懐内でなければ即座に決着が付いてしまう。

紬はそれでも前に出る。そこが一番安全だと直感で理解していた。

「振り抜かれる訳にはいかない!なら!」

そう思いもう一歩紬は踏み込む。

その時ケタケタという鳴き声が聞こえた。

いや、大食の姉の口角がつり上がる。

それは表情の様にも見える。

笑顔だった。

紬の上段からの一刀を大食の姉の凶刃が絡めとり下に受け流し、ブレードの代わりに左の手が紬に迫る。

見覚えのあるその技を、紬は柄頭を使って弾き大きく後退。

いつもは眠たげに半分閉じている瞳を大きく見開いた。

「八城君の技?お前が、お前が……お前が!八城君の技を使うなあぁ!」

44番街区に紬の怒号が響く。

紬は見定める。

ただその一点を見つめる。

突くべきは腹部数センチにある傷。

寸分違わず狙う。

駆ける。

姿勢を低く相手の一刀より早く。

自分の刃を届かせる。

遊びの一刀の中に本命を紛れ込ませる。

上段で首を狙う。弾かれようと構わない。

滑らせる様に足下を、これも駄目。

返す刃。通らない。

腰だめの一刀はどうだ?

大きく紬が動いたのを見て大食の姉は右から左へ横凪ぎの一撃。

紬はこの時を待っていた。

身を大きく屈め頭上スレスレをブレードが通り過ぎる。

すぐさま八相の構え。そして狙い澄ました一撃を。

二の腕が伸びきり体重を乗せる。

その時紬の背筋を何かが舐めた。

それは恐ろしさか恐怖。あるいは嫌な予感とも言うかもしれないが、紬はそれをこう言っている。

殺気。

大食の姉。八城が与えたその傷に一直線に紬の刃が突き進む。

筈だった。

そこに目指すべき傷は無い。

代わりに納刀のような構える大食の姉が居た。

「なん……で!」

紬のその言葉大食の姉には届かない。

見覚えのある構え

抜刀。

見覚えのある技

居合い。

大食の姉ははなから紬を狙っていない。

狙いは刀。

凄まじい腕力と遠心力が紬の刀に掛かる。

「あっ……」

紬が気付いた時には、自分の刀は後方に弾き飛ばされていた。

紬はそれでも諦めずホルスターに入っている拳銃を抜き残っていた全弾を撃ち尽くした。

だがそんな物関係ないと、大食の姉は一歩前進する。

ケタケタという鳴き声が44番街区に響く。

紬はどうする事も出来ない状況にその場から動く気力すら湧かなかった。

銃も刀もあの厚い外殻の前に意味を成さない。

そして何より技でも勝てない。

そう思えば思う程、その場から動く気力が根こそぎ奪われていく。

大きく振りかぶられる凶刃が木漏れ日の中で光る。

「八城君……」

ちゃんと伝えたい事があった

そう思う程涙が零れる。

紬はそんな情けない自分の最後を見ない為にゆっくりと瞳を閉じた。

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