第38話 雨竜良

翌朝

八城は自分の両手を確認する。

開き閉じる。その簡単な動作でこの手が自分の物だと再確認する。

大丈夫だ。思う通りに動く。

体温も平常。

色も……多分大丈夫。

布団の重さも感じる。

周囲で眠っている隊員の寝息も聞こえる。

問題ない。

八城は昨日の雪光の感触を思いだす。

あってはならない事が起きた。

桜の怯えきった表情が、自身の仕出かした事の重大さを実感させた。

雪光を抜いたあの一瞬、まるで鬼神薬を飲んでいる時のような感覚に陥った。

時間にすれば僅かな時間。

思考がどこまでも研ぎすまされ、ただ一つの事だけに執着する。

色も音も感触も、匂いすら消えた。

全てが消える感覚。

歪みだけが見える時とは違う。

その先の感覚だ。

八城は顔を洗うために貯水タンクのある裏手に向かった。

「おう、八城早いじゃねえか」

「良さんこそ」

八城は先客に挨拶して自分も身支度を整える。

「良さん顔色良くないですよ?具合でも悪いんですか?」

「んあ?低血圧なんだよ。ほっとけ」

良は乱暴に自分の顔に水をかける。

多少青白い良だが、昨日あれだけ戦っていたのだ。不調な筈が無い。

「具合が悪いなら無理しないで下さいね」

「へいへい。老いぼれがそんなに心配かねえ〜」

良は片手を振りながらフラフラと何処かへ行ってしまった。

だが八城はそんな些細な違いなど気にもならない。

八城はすぐに、別の問題とぶつかる事になる。

それは8番街を出てようやく目的まで半分と言う距離。

高速道路K1から首都高速1号線へ。ここを真っ直ぐ行けば、目的地である浜松駅まで一本道で辿り着く事が出来る。

だが問題は起きた。

それは途中。平和島手前での事だった。

「紬!前に出過ぎだ!一旦下がれ!」

八城のその声は命令ではなく、怒号に近かった。

「大丈夫。平気」

確かに大丈夫ではある。

この場を切り抜ける事が出来る実力を紬は持ち合わせている。

弾をバラ撒くような戦い。一切周りを見ようとしない。

ともすれば全員が紬の背中で守られているような錯覚すら覚える。

誰一人前に出ようとはしない。

というのも、下手に出れば、紬の流れ弾に当たりかねないからだ。

「大将。ありゃなんだ?紬も変な薬を飲んだんじゃないだろうな?」

時雨はやる気が無さそうに腰に差した刀の柄に一応は手を掛けて八城に問いかける。

「あいつは飲めない。飲んだとしても腹を下すだけだ」

「じゃあなんだってあんなに、むきになって戦ってんだ?」

「さあな……本人に聞いた方が早いんじゃないか?」

時雨は紬の今までに見た事のない激しい戦いぶりを見る。

「おっかないな、やめとくよ。大将が言って聞かないなら、私らじゃ相手にされないだろううしな」

時雨はどうしようもないと言いたげに紬を眺めていた。

「でも隊長!止めなくていいんですか!」

桜も流石に心配になり、八城に駆け寄ってくる。

今も目の前で無駄に弾をバラまきながら戦っている紬。

高速道路一車線の敵を見事に一人で防ぎきっている。

自分より後ろに敵を通さない。強い執念を感じる戦い方。

「しっかし、凄いっすね!89の英雄!ここにありって感じの戦い方じゃないっすか!」

テルは瞳を輝かせながら紬を誉め称えた。

八城はこみ上げる苦い思いを押し殺し、紬を止めに入る。

「もういい!弾の無駄だ!」

八城が腕を掴んだ事でようやく射撃を止める。

「八城君急に出てくるのは、危ない」

「危ないのはお前だ!いいから行くぞ!」

八城は無理矢理紬を引っ張り、方向を変える。

マップ上であれば平和島を平和的に通りたかったのだが紬が銃をぶっ放したお陰で、沢山のギャラリーが集まってきてしまった。

一度、昭和島JCTまで戻り、東海JCT方面。つまり湾岸線に迂回ルートを取る。

遠回りにはなるが、このルートを取れば、三キロ先の大井JCTから再度首都高速一号線に合流する事が出来る。

八城たちは早足に順路を切り替え、迂回ルートを進んでいく。

中程まで行き奴らの影も無くなった頃先頭を進む八城が後ろを振り返った。

「紬。さっきのは、どういう事だ?」

声が荒げるのを抑えながら八城は紬を見据えていた。

「何って?奴らを殺した。それだけ。」

「殺したって。お前なあ……」

八城には言いたい事が山ほどある。

何故無茶な戦いをしたのか?

仲間を寄せ付けないような戦い方をしたのか?

頑に殺し続けたのか。

だがそれらを聞いた所で意味など無い事は分かっている。

一つの原因。

89作戦での出来事が、ずっと八城と紬を蝕み続けている。

「次はやめてくれよ」

「分かった」

お互い無意味な問頭は繰り返しやってきた。

だからもう言葉にはしない。

それでお互いが、理解してしまうから。

八城が先頭に戻るのを見計らい良が紬の横に張り付いた。

「しっかし!嬢ちゃんも粋な戦い方をするもんだ!」

「流石。良は分かってる」

褒められた紬は満足そうに良に親指を立てる。

「だが無理は良くないな〜死にたくはないんだろ?ならあれはちょっとばかし危険なんじゃないか?」

「ムッ確かに、それは……反省してる。」

良は相手を宥め賺せる事に長けている。

それは五番隊が強かった理由でもある。人望があり、それを使う能力もあり、付き従うに足る実力も持ち合わせている。

雨竜良とはそう言う人物だった。

「なら次は嬢ちゃんが先頭で戦ってくれよ〜本当に分かったのかみてるからよ〜」

「それは良くない。良も戦うべき」

少しすれた空気が、雨竜良によって徐々に緩和されていく。

これが年の功というやつなのだろう。

それは八城には出来ない事だった。

それをするには八城と紬は同じ時間を過ごし過ぎた。

お互いが、お互いを理解してしまう。

だから言葉にしない。

だが言葉にしなければ深くは伝わらない。

深く伝わらなければすれ違いが起きる。

だが分かっていても、それが出来ないでいる。

だから良には感謝しても、し足りないぐらいだ。

そんな事を考えながら歩いていると大井JCTがもう目の前に見えていた。

「隊長!あれって山手トンネルですよね!」

「ああ、よく知ってるな。」

山手トンネルは所用以外では、大遠征でしか使われた試しが無い最長のトンネルで。

夏場に入ると死人が出る程熱い。

「もちろん知ってますよ!そういえば、あのトンネル隊長も通ったんですよね?」

「ああ、真っ暗な道を十八キロ。気がおかしくなるような道のりだぞ」

「え〜いいじゃないですか〜私も行ってみたいな〜」

多分桜が言っているのは大遠征ではなく、所用の方だろう。

というのも、この中央に所属している中央都市は全部で三つ。

一つは八城達が居る東京中央

二つ目の中央が先日襲撃に遭った西武中央

そして最後に横須賀にある横須賀中央

この三つが複合した組織が、現在中央と称されている。

だが他にも中央と同じ様に、人々が寄り合い暮らしている場所が多数存在している事は事実で、その一つがこの山手トンネルの、先の先にある場所になる。

「別に良い場所じゃない、特にこの先はな」

八城は忌々しそうに山手トンネルを見つめる。

いつもこの場所を見る度に、このトンネルの先に居るであろう、あの高飛車な女の顔が頭をちらつくのだ。不愉快で仕方が無い。

八城達は奴らの居ない道を軽快進んでいきとうとう目的地である浜松町の駅に到着した。

「いや〜みなさんご苦労様っす〜」

テルは勝手知ったると言った様子で、スイスイと建物の中に入って行く。

建物には赤い立体文字で何か描いてあったのだろが、剥がれ落ち、最後まで残った「文化」の文字だけ建物に掛かっている。

一同はその建物の中にゾロゾロと入っていく。

時間も時間だ。空はまだ明るいが、夜の時刻まではもう幾ばくも無い。

今日はここで夜を過ごす事になりそうだ。

テルは一つの部屋に入ったと思ったら……

「絶対入ってこないで欲しいっす!」と言って立て一室に籠ってしまった。

情報屋なりに情報は秘密主義なのだろう。

八番隊は何処か休める所を探そうとして一人居ない事に気付いた。

「あれ良さんは?」

八城問いに返ってきたのは知らないという無言の返事だけだ。

「そういえば二階ぐらいから見てないですけど……」

「はぁ……お前らちょっとテルの事見張ってろ。俺は良さんを見てくる」

八城は来た道を引き返す。四階から三階三階から二階。

誰かの息づかい。それも呻くような息づかいだ。

八城は少しずつ、音のする方へ近づいていく。

「良さんやっぱり具合悪いんじゃないですか……」

そこには長椅子に寝転がりながら、胸を抑え、汗をびっしょりかいた良の姿があった。

「るっせぇ……放っとけ。」

「風邪ですか?」

「あぁ……夏風邪が随分長引いてるみたいだ」

「ここからなら5番街区も近いですし、明日5番街区まで送っていくので、今日はもう寝て下さい」

八城はボトルの水を長椅子の邪魔にならない所に置いていく。

「水はちゃんと飲んで下さいね。」

「へいへい。わーってるよ〜」

良は顔を見られないよう腕で視界を塞ぐ。

八城が階段を上って行ったのを聞き届けボトルを手に取る。

ボトルの封を開け、水を喉に流し込む。

咳き込み、半分以上飲めていない。

「情けねえ……本当に……情けねえな……」

水もまともに飲めない自分の身体に嫌気がさす。

飯も最近は碌に食べてない。

だが、身体能力だけは上がっている。

おかしいのは分かっている。

そして原因も分かっている。

良は左右を見て、誰もいない事を確認すると、一際痛みの強い右の胸部を曝け出す。

その場所には一つ刀の刺し傷が垣間見えた。

その場所を中心に身体全身に痛みが広がっていく。

差した女の顔がちらつく度に、あの女の言葉がリフレインする。

「一年後、綺麗な華を咲かせてね。良ちゃん」

雨竜良の事を、「良ちゃん」などとふざけた呼び方をする女は一人だけだ。

今現在行方知れずだが、良は必ずこの女を見つけ出さなければいけない。

何かを知っている。そんな口ぶりを残しあの女は消えて

気に食わない事に助けられたと知った時には、東京中央にあの女の姿は無かった。

そして後で知ったのだ。

中央から追放されたという事実を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る