第57話 アグネスの選択


 演劇の練習が終わった後、フローラはアグネスに会うため城へ向かった。

 城に到着したあと、兵士に彼女との面会を申し込む。話を聞くと彼女はまだ仕事が終わっていないそうなので食堂で待たせてもらうことにした。


(頑張ってお仕事をしているのね……。もし侍女の仕事を続けたいなら無理強いはしないようにしないと。)


 城の食堂のテーブルにつき椅子に座りながらアグネスが仕事を終えるのを待つ。しばらく待っていると彼女がやってきた。侍女服に身を包み、かなり疲れた顔をしている。それでも急いできてくれたのが分かる。かなり足早に近づいてくる。

 彼女は元侯爵令嬢だしフローラに侍女姿を見られたくはなかったのではないだろうか。彼女の気持ちを想像して少し不安になる。


「アグネス様、ご無沙汰しております。その節は助けていただきありがとうございました。」


 椅子から立ち上がり深々と頭を下げると、アグネスが慌ててそれを制止する。


「ちょっとやめてよ! 私はもう侯爵令嬢じゃないし、敬称づけと敬語もやめて。それに貴女を危険な目にあわせたのは私の血を分けた姉なのよ。お礼なんて言われる筋合いはないわ。」


 アグネスは予想していたよりもディアナのやったことに対して責任を感じていたようだ。彼女が悪いわけではないのだからできればもう気にしないでほしい。

 フローラに侍女姿を見られることには特に抵抗がないようでよかった。ここは彼女の言うように対等に接させてもらおう。


「そ、そう。……それで調子はどう? 仕事はきつくない? 風当りとかは?」


「そうね、仕事は全くやったことのないことばかりだからきついと言えばきついわね。まだ慣れなくて失敗ばかりよ。でもそれは当たり前のことだからいいの。」


「そうなの。大変そうね……。」


 どうやら仕事そのものはきついながらも納得してやっているようだ。やはり芯の強い人だ。彼女は苦笑いしながら話を続ける。


「この城の侍女って平民はいないのよ。皆男爵令嬢とか子爵令嬢なんかが行儀見習いのような形で来ているの。」


「えっ、そうなの?」


 城の侍女に平民がいないというのは知らなかった。身元の確かな者しか城には置かないという方針でもあるのだろうか。


「ええ。それに他の侍女は皆私が元侯爵令嬢で身内の犯罪で家が取り潰されたことを知っているの。だから、彼女たちの陰口と仲間に入れないことが一番つらいかしら。仕方ないのだけれどね。」


「アグネス……。」


 彼女は諦めたように笑って話した。やはり貴族女性からの風当たりは強いようだ。クラッセン侯爵家が取り潰しになったのは彼女の責任ではないのだけれど、貴族社会とはそういったものだ。ある程度仕方ないとはいえ彼女の立場を想像するとさぞかし居た堪れなくてつらいだろうと思う。

 やはり誘ってみようかしら……。


「アグネス、貴女お芝居に興味はない?」


「お芝居? あの劇場でやる?」


「ええ。役者のお仕事なんだけど、知り合いの劇団でオーディションを受けてみる気はない? 劇団に貴族はいないし、家族や過去のことで貴女のことを色眼鏡で見る人はいないわ。」


「ええっ! 役者!? そ、そりゃ、見るのは好きだったけど演じる側になりたいと思ったことはなかったわ。でも……。」


 アグネスはフローラの提案を聞き一瞬驚くが、そのあと何かを考え込みながら話を続ける。


「もし機会があるならやってみたいわ。ぜひ受けさせて。」


 ほっ。よかった。やる気はあるようだ。こういうのはまずはやる気がないといけないものね。


「でもなぜ貴女が劇団の方と知り合いなの?」


 アグネスの質問に一瞬言葉を詰まらせる。彼女には自分の仕事のことも話さざるを得ない。オーディションに合格したら事情を話すことにしよう。


「そ、それはおいおい話すわ。じゃあ、次のお休みにでも劇団の事務所へ行きましょう。」


「ええ、分かったわ。……それじゃわたし部屋へ戻るわね。」


「うん、仕事、あまり無理しないでね。」


 アグネスが食堂を後にしようとして入口のところまで歩いたあとこちらへ振り返る。


「フローラ。」


「うん?」


 あれ、なんだかアグネスの顔が赤い……?


「……ありがとう。」


 アグネスは少し恥ずかしそうに、だけど嬉しそうにフローラに笑った。





 その3日後、アグネスの仕事のお休みが取れたのでユリアン邸へ連れてきた。彼女はかなり緊張しているようで肩に力が入っているみたい。オーディションの前にスタジオの外でかちかちになっている彼女に声をかける。


「アグネス、肩の力を抜いて。そんなに怖いものではないから。」


「そんなこと言われても、怖いものは怖いわ。」


 アグネスが泣きそうな顔で訴える。このままだと緊張のせいで失敗しかねない。


「大丈夫よ。そのままの貴女でいいの。最初会った時にわたしと接したときのことを思い出して。」


 そう言うとアグネスが目を丸くして顔を赤くした。

 しばらくしてスタジオから出てきたユリアンが声をかけてくる。


「それじゃあ始めるわよ。アグネス、こちらへ来て。」


 にっこり笑って彼女をスタジオへ送り出す。今回のオーディションの審査はユリアンとベテランの先輩達で行われる。

 アグネス、頑張ってね。フローラはスタジオの外で彼女の健闘を祈りつつオーディションが終わるのを待った。





 約1時間後にオーディションが終わり、その結果を聞くためにスタジオへ入る。緊張するアグネスにユリアンがにっこり笑って告げる。


「アグネス、とりあえず合格よ。」


「あ、ありがとうございます!」


 アグネスが深々と頭を下げる。そんなアグネスに大きく頷いたあと彼は話を続けた。


「ただね、イザベラの場合はもともとお芝居がすごく好きなのもあって、いろんな身分や職業の人物に関する見識がとても豊かだったのよ。彼女は人間観察も多分好きだったんじゃないかと思うんだけど。これは貴族令嬢だった貴女にとってはとても難しいことだと思うわ。」


「はい……。」


 アグネスは肩を落としている。

 それは仕方がないことだろうな。フローラの人間観察は趣味みたいなものだった。下位の貴族だからというのもあって領地では割と自由に街へも出かけていたし、たまに参加する夜会でも壁に同化して他の貴族を観察していた。

 意識しないと他人のことなどあまり観察しないのが普通だ。


「でも貴女ならやる気さえあれば演技の勉強はこれからだって遅くはないわ。いろいろな所へ出かけて多くの人を観察しなさい。男も女も貴族も平民も善人も悪人も。あ、悪人は気をつけなさいね。危ないところにはあまり近寄らないこと。」


「はいっ……!」


 ユリアンの言葉を聞いてアグネスは嬉しそうだ。

 この劇団に貴族はいない……と思う。本当はいるのかもしれないけど、ユリアン曰く訳ありの人が多いらしい。だからこそ皆は仲間を思いやる。仕事に関しては皆厳しいが、お互いに深くは干渉しないし、相手の事情も含めてその存在をおおらかに受け止めてくれる。

 彼女にとっては芝居に真剣に向き合いさえすれば城よりもよほど居心地がいいだろう。根性がありそうだしアグネスは大丈夫な気がする。


「ところでイザベラって誰ですか……?」


 アグネスの突然の問いかけにユリアンが、あんたまだ言ってなかったの?と言わんばかりに呆れた眼差しでフローラを見る。


 すみません、うっかりしてましたぁ。




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