第56話 フローラの相談事


 レオが訪ねてきた日の夜、フローラはジークハルトの私室を訪ねる。既に時刻は22時を回っていて今日はもう迷惑かとも思ったのだが、どうしても聞いておきたいことがあった。


「ジーク様、今よろしいでしょうか?」


「ああ、フローラ。どうぞ。」


 許可を得て部屋へ入るとジークハルトが優しい笑みを浮かべ出迎えてくれた。彼の顔を見てほっとする。


「ジーク様、お聞きしたいことがありまして……。」


「ん、なにかな?」


 ジークハルトがフローラの問いかけににっこり笑って答える。


「今日殿下がいらっしゃったのですが……。」


「ああ、聞いたよ。結構長い時間いらっしゃったみたいだね。」


「ええ、いらっしゃいました。」


 あれ? なんだか急に部屋の室温が下がった気がするわ。気のせいかしら。


「心配だ……。」


「え……?」


「いや、なんでもない。」


 ジークハルトが顔の下半分を片手で覆って考え込んでいる。どうしたのかしら。ちょっと不機嫌になった気がする。


「こっちへおいで。」


「はい。」


 ジークハルトに勧められるままソファの彼の隣に座る。彼は優しい眼差しでフローラの言葉を待ってくれている。そしてすぐ隣に座る彼を見上げながら話し始める。


「殿下からディアナ様やアグネス様、それにリタさんのことをお聞きしました。彼女たちがどうなったか……。」


「ああ、気になることでもあったのかい?」


「ええ、アグネス様に関してですが、わたくしは彼女とお話ししたかったんです。彼女には助けてもらいましたから。」


「ああ、そうだね。彼女がいなかったら私たちも君を見つけきれなかったかもしれない。」


 ふとあの夜のことを思い出したのかジークハルトの表情が険しくなる。


「彼女は今城にいるんですよね?」


「ああ、城で下働きをしている。本人たっての願いでね、住まわせてもらうのに何もしないのは申し訳ないと。彼女なりにこれからの身の振り方を模索しているのだろう。」


「あの、彼女に会いに城へ行ってもいいですか? ちゃんとお礼を言いたいのです。」


「ああ、行ってあげるといい。彼女も喜ぶと思うよ。」


「ありがとうございます。……それと、ジーク様の出発する日ってもう決定したのですか?」


「ああ、2週間後に決まった。マインツへ連れていく人員選別で難航していてね。問題が片付いたら特別捜査団は解散するんだが、その後人事で有利に取り計らわれるというのもあって、思ったよりも騎士の希望者が多かったんだ。」


 ジークハルトが寂しそうに答える。彼の言葉を聞き、忙しさのあまり出発前に体調を崩してしまうんじゃないかと心配になってしまう。

 そうか、2週間後に本当に行ってしまうんだ……。


「それはお疲れさまです。……2週間後ですか。」


 あと2週間でジークハルトともしばらく会えなくなるのかと思うと、胸が苦しくなる。分かっていたことだけど寂しいものは寂しい。頭では理解しているのに感情がなかなかついてこない。困ったものだ。

 だがフローラにできることは彼に安心してもらって、笑顔で送り出してあげることだけだ。


「ジーク様、頑張ってくださいね!」


 フローラはにっこり笑って彼に告げた。


「フローラ、ありがとう……。」


 ジークハルトはそんなフローラに寂しそうに笑って答え、フローラの背中に腕を回しぎゅっと抱き締めた。





 1日の休みを経て翌日になってようやくユリアン邸へ演劇の練習に向かう事ができた。前の練習のときのふやけた己の姿勢を猛省し、ユリアンに向かって話しかける。


「ユリアンさん、一昨日は気の抜けた姿勢で練習に臨んですみませんでした。」


 ユリアンに向かって深々と頭を下げる。そんなフローラを見て彼が真剣な顔で答える。


「まあ、貴女もいろいろあるんでしょうけど、やるべきことをやらなかったら主役なんかやらせないから覚悟しなさいね。」


「はい、胸に刻みます。」


 そう答えると、ユリアンが一変してふっと表情を和らげ話を続ける。


「まあそれはそれとして、もう大丈夫なの? レオン殿下に聞いたわ。あまり無理はしなくていいのよ。体が資本なんだから。」


「ええ、もう大丈夫です。ご心配をおかけしてすみませんでした。」


 フローラが再び頭を下げてそう言うと、彼が話を続ける。


「それじゃ、次のお芝居について発表しようかしら。皆集まって!」


 ユリアンが声をあげると練習中の団員たちが集まってきた。





「次のお芝居は12月よ。練習期間は1か月半くらいしかないわ。タイトルは『伯爵令嬢は夢を叶えたい(仮)』よ。」


 また(仮)がついてるのね。『ハクユメ』か。響きは悪くないな。


「今度は伯爵令嬢が自分の夢を叶えるために契約結婚をするお話よ。詳しいあらすじは台本に書いてあるからそれぞれ目を通しておいてね。」


「ぶっ。」


 どこかで聞いたような話に思わず吹き出してしまう。


「どうしたの? イザベラ。」


「イ、イエ、ナンデモアリマセン。」


「そう。それで配役なんだけど主役はイザベラね。相手役は今回はダニエルにお願いするわ。それから王子役が……。」


 ユリアンによってそれぞれの配役が発表された。台本に書いてあるあらすじを読んでみるとところどころ既視感が感じられてなんだかむず痒い。一体この脚本は毎回誰が書いているんだろうか。


「ユリアンさん、前から不思議に思ってたんですけど、脚本家ってユリアンさんじゃないんですよね?」


「ええ、違うわよ。脚本家はこの屋敷に籠って黙々と執筆しているわ。私以外誰も彼を見たことがないんじゃないかしら。ただ私がネタをいろいろ提供してはいるけれど。」


 知らなかった。脚本家の先生がこの屋敷に住んでたのね。一度もお会いしたことがない。もしかしたらユリアンが書いているのかもしれないと思っていたけれど、どうやら違ったようだ。


「今回のこれってやっぱりわたしの……。」


「あら、分かっちゃったぁ? いいネタを提供してくれてありがと!」


 ユリアンがけらけらと笑う。うーん、まあいっか。あまりにも突拍子がなさ過ぎて、お芝居を観てフローラを連想する人もいないだろう。


(あらすじによれば夢の部分は女優じゃなくて冒険者になっているし問題ないわね。だけどこの台本をジーク様に見せたらどんな反応をするか楽しみね。ふふっ。)


 そんなことを考えていて、ふと相談したいことがあったのを思い出しユリアンに尋ねる。


「ユリアンさん、女の子を1人オーディションしてもらえないでしょうか?」


「あら、有望な子でもいるの?」


「あの実は……。」


 彼には事情を話すべきだろうと思い、アグネス=クラッセンのことを詳細に打ち明けた。なんとか劇団に引き入れることはできないだろうかと考えていたのだ。

 彼女は最初高慢で不遜な令嬢といった態度で、実は姉思いの優しい女の子だったわけだが、当初フローラはそんな彼女にまんまと騙された。あれだけで演技力があると判断できるわけではないが可能性はあると思う。


「……なるほどね。」


「ユリアンさん、正直に言うと私の我儘もあるんです。この劇団で一緒に頑張れればなって。彼女は帰る所がないので……。」


「ふむ……。イザベラ、私はボランティアはしないわ。」


「はい……。」


 予想通りの答えが返ってきた。ユリアンは優しいが、仕事に妥協はしない人だ。彼は真剣な顔で話を続ける。


「だけど貴女が可能性があるというならうちでアグネスという子の面倒を見てもいいわ。その代わり舞台に立つようになったら必ず出演料から返してもらうわ。出世払いね。」


「はいっ!」


「だから貴女も推薦するからには全力で彼女が舞台に立てるようにサポートしてあげてちょうだい。」


「はい、あの……。まだ本人に話した訳ではないので来るかどうかは分からないのですが……。」


「あら、そうなのね。じゃあ、本人が納得したら連れてきなさい。」


「ありがとうございますっ!」


 フローラはユリアンにお礼を言い、夕方5時ごろまで練習をした後アグネスに会いに城へ向かった。




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