第18話 フローラは見た
◆◆◆ <ジークハルト視点>
ジークハルトの入院はおよそ1週間にも及んだ。医師は、むしろ1週間という短い期間で退院を許可できるほどジークハルトの体力が回復したことに驚きを隠せないようだった。
その間は、一日のうち数時間ほどオスカーと交代するが、基本毎日フローラが付き添ってくれていた。
彼女も疲れているだろうに、その顔からは疲労の色を隠し、懸命に尽くしてくれた。『あーん』はもう遠慮したが、ありがたいことだ。
入院している間に、騎士団長のコンラートや部下のハンス、そして他の騎士達が何人も見舞いに訪れた。
ジークハルトは、コンラートが病室に現れた際、ノイマン伯爵が死亡したことと爆発の経緯を聞いた。だがそれ以上のことを彼が語ることはなく、事件の進捗状況や、ゲルダがどこにいるかなど知りたいことはたくさんあったが、そんな疑問を抱えたまま退院の日を迎えることとなったのだった。
ジークハルトは一週間の入院を経て、ようやく屋敷に戻ってきた。
まだ完全に回復したわけではないので、最低でも1か月の自宅療養が言い渡されている。あとは屋敷への往診で医師が許可するまで、王城に出勤することはできない。
退院して屋敷に戻った翌朝の10時ごろに、コンラートが屋敷を訪ねてきた。
自室のベッドに横になったまま、彼をベッド脇の椅子に座らせ人払いをする。その後彼はジークハルトの体調を確認して、ようやくその重い口を開いた。
「ところで例の事件のことだが……。」
「何か進展がありましたか。」
「ああ、ノイマン邸の人間の何人かから、爆発の前日の夜に見慣れない人物の訪問があったとの証言があった。」
「見慣れない人物、ですか。」
コンラートは腕を組みながら頷くと、難しい顔をして話を続ける。
「その人物は黒の長い外套を襟を立てて羽織り、黒の中折れ帽を目深に被っていて、50センチくらいの茶色の革のボストンバッグを持っていたそうだ。侍女が外套と帽子を預かろうとしたら拒否したらしい。そのため人相はおろか、髪の色さえ覚えている者はいなかった。身長は大体180センチ前後で中肉中背の男ということしか分からない。この国ではごく平均的な体形で、外見的にはほぼ何の情報もないといってもいい。だが一つだけ気になる証言を聞くことができた。」
「気になる証言?」
「十中八九偽名だが、その男が名乗った時に執事の隣にいた侍女が、男の言葉尻にヴァレン訛りがあったような気がすると言うんだ。彼女は隣のヴァレン帝国の出身でな。」
「ヴァレン帝国………きな臭いですね。」
「ああ。そしてその人物と伯爵は面識があるようだったと聞いている。そこから推測すると、オイゲン商会の人間か、商会に雇われた人間か、伯爵と直接面識のあった帝国の間諜か。ああ、商会と繋がりのあった帝国の間諜という線もあるな。」
「ふむ。」
「だが前にも言ったが、ノイマン邸にはその男に関する手掛かりは何も残っていなかった。ただ執務室とゲルダ嬢の私室からオイゲン商会との関わりを示すいくつかの文書を見つけることができた。あとは爆発の仕掛けの残留物が少々。」
「団長が病院で言ってたやつですね。」
「ああ、お前とハンスがやられたやつだ。そしてそれらの証拠品から、横流し品の中には大量の火薬、大砲や投射武器の設計図、そして王城の設計図なども含まれていたことが分かった。内容から考えると取引先は国内とは思えない。」
「なんということだ……。それでゲルダ嬢の行方は?」
「ああ、それなんだが、爆発の翌日に帝国との国境門で、うちの国から帝国に行こうとして身元が確認できずに追い返された女がいたとの情報が入っている。この情報が入ったのが
「ハンブルク王国からヴァレン帝国へ……。」
「ああ、そしてどうやらそれが貴族の女だったらしいんだ。」
「……ゲルダ嬢でしょうね。」
「その可能性は高いな。今人相書きを持って裏を取らせているから今日中には確定するだろう。ということで、消されてなければゲルダ嬢が国内にいるのは間違いない。それと彼女は爆発の2日前から屋敷に戻っていなかったようなんだ。それを聞いたときには口封じに殺された可能性も考えたが、国境に現れたのが彼女なら、少なくとも爆発の翌日まで生きていたのは確かだ。」
「私が最初にゲルダ嬢に会ったのが爆発の8日前でした。そしてその4日後、つまり行方をくらます2日前に会ったのが最後でしたが、その時までは少なくとも彼女が焦っていたり危機感を感じていたりといった様子は全くなかったです。国境門に現れたのが彼女なら、私と最後に会った2日後、行方を眩ました当日に何らかの形で危機を察知したのでしょうね。」
「行方を眩ました日にゲルダ嬢がヴァレン訛りの男と接触した可能性もあるな。」
「ええ。彼女が帝国に逃亡しようとしていたということ、ヴァレン訛りの男が伯爵の顔見知りだったということを考えると、その男が帝国の間諜である可能性が高いですね。そしてそいつが帝国の人間なら彼女の逃亡を手引きした可能性も考えられる。」
「そうだな。そしてその男が爆発物を仕掛けた可能性だ。それからオイゲン商会なんだが、爆発の当日に令状を取って商会の建物内部を捜索した。その結果伯爵と商会の繋がりを示す重要な証拠を揃えることができた。だが商会の関係者にヴァレン訛りの男はいなかった。今商会の会長と、伯爵との関わりがあったとみられる人物数名の身柄を確保して事情聴取を進めている。」
「ではそいつらの誰かが男のことを知っていれば……!」
「ああ、だがもし帝国の間諜と通じていたとなると重大な国家反逆罪で極刑は免れない。だからすんなり白状するとは思えないんだよなー。」
「そうですね……。そいつらにいっそ死んだほうがましだと思えるような体験をさせてやりますか。」
「お前……前よりも冷酷になってないか?」
「前からこうですよ、私は。」
ジークハルトは女性には甘いが敵には一切の容赦がないことから、氷の麗人という二つ名で呼ばれることがあった。飽くまで非公式である。
「まあ最悪自白剤を投与するという手もある。裁判前だしあまり過激なことはできないがな。」
「……こんな体ですいません。すぐにでも動けないのが本当に悔しいです。」
心に湧き上がる悔しさを抑えきれずぐっと唇を噛みしめる。
自分がもっと早くノイマンの動きを察知できていれば。ノイマンが消される可能性をもっと警戒していたら。ゲルダをもっと早く取り押さえていれば。
多くのことが後手に回ってしまったことで、重い後悔と自責の念に苛まれていた。
◆◆◆ <フローラ視点>
(きゃー、全部聞いちゃったわ……! どうしよう……。)
フローラはその時ジークハルトの私室に繋がる書庫にいた。
遡ること1時間前、ジークハルトは私室のベッドで眠っていた。
退院後も頻繁に彼の様子を見ていたので、彼が眠る前からその傍らで読書をしていた。
「ジークハルト様の持っているご本、とても面白いですわ。」
うっとりしながら本を閉じる彼女に、彼は優しく微笑んで話した。
「君に喜んでもらえてよかった。そんなに本が好きなら、そこの扉を開けると私の書庫があるから好きに入って読むといい。」
「え、いいのですか? ありがとうございます!」
ジークハルトの本は面白かった。科学や植物や鉱物などの専門書といったフローラの知らない知識の本も非常に興味深かったが、意外にも架空の物語が描かれた本がたくさんあったのだ。
(ジークハルト様はお芝居が好きっておっしゃってたし、きっと物語が好きなのだわ。私と一緒ね。)
彼女は物語が大好きであった。それで彼が眠りについてからも、ついつい書庫に本を取りにいって、そのままその場で読書に耽ってしまったのだ。
(困ったわね。出るに出られないわ。きっと聞いてはいけない極秘の話よね。それにしても……。)
フローラはコンラートとジークハルトの会話の内容について考えた。
(……ジークハルト様は爆発の8日前にゲルダという女性と会っていたと言っていたわ。公演の最終日の翌日に彼が怪我をしたわけだから、公演の最終日から遡ってその1週間前に、彼は彼女と会っていたということよね。その日って……。)
ジークハルトがゲルダ嬢と会ったという日……。初出演の前日、イザベラの姿で公演を観にいったときに彼とばったり会った夜のことを思い出す。
そしてフローラの頭に浮かんだのは、あの日彼と一緒にいた令嬢の美しい顔であった。
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