第15話 心を動かすもの


 公演も最終日を迎え、万雷の拍手の中、舞台は最後の幕を下ろす。


 フローラは無事に公演を終えたことで、言葉にできない程の達成感から涙が込み上げてくる。でも今日に限っては自分だけじゃないようだ。周囲を見ると何人かが抱き合って感涙に咽び泣いている。

 そんな中、皆に労いの言葉をかけているユリアンに笑顔でお礼を述べる。


「ユリアンさん、ありがとうございました!」


「お疲れさま、イザベラ。明日は皆一日お休みだから、貴女もゆっくり体を休めなさい。」


 お礼を言って深くお辞儀をすると、ユリアンは肩をポンポンと叩いて労ってくれた。

 それから控室に戻って着替えをしようとしたところで扉がノックされる。扉を開くと、劇場の関係者の女性が大きな薔薇の花束を持っていて、それをフローラへと差し出す。


「イザベラ様にお届け物です。」


「え、わたしに……?」


 それは大きなピンクの薔薇の花束だった。50本以上はあるだろう薔薇の花が、薄い綺麗なクリーム色の包装紙にくるまれている。


「あ、ありがとう。」


 差し出された花束を両手で抱えて受け取ったあと、係の女性にお礼を言って扉を閉めた。


「まあ、イザベラ、素敵じゃない!」


「は、はあ……。」


 ヒロイン役の先輩がその薔薇の花束を見て頬を染めた。ちなみに先輩は主役というのもあって、花束などのプレゼントを山のように貰っている。

 自分が女優をしていることを知っている人はほとんどいないと思っていたので、ふと「もしかしてルーカスかしら」と思った。

 ほんの脇役の自分にお客様から花束のプレゼントを貰えるとは思っていなかったので、誰からだろうと不思議に思って首を傾げる。


 いただいた花束をテーブルに置こうとして、そこにメッセージカードがついていることに気がついた。

 小さな封筒を開いてみると、綺麗な花の模様の型押しがしてあるカードが二つ折りになって入っていたので開いてみた。



『親愛なるイザベラ 貴女のマリアは心を動かす程に魅力的で輝いていた。素晴らしい芝居を見せてくれてありがとう ――ジークハルト』



 そのメッセージを見たとき、不意に目にした彼の名前に思わず赤面してしまった。

 最近イザベラの時に彼に会わないなと思っていたが、まさか自分の舞台を見にきてくれていたとは。


 フローラとしては彼には決して言えない女優の仕事。でもイザベラだとこんなふうに評価してくれているのだと思うと、そんな彼の気持ちがとても嬉しかった。


(でもこの花束、持って帰るわけにはいかないよね……。イザベラが貰った初めてのプレゼントなのに残念だわ……。)


 一体どこに置こうかと悩みながら着替えを済ませ、花束を抱えてルーカスのアパートへ向かった。




 ルーカスの部屋を訪ね、早速彼にもらった花束を突き出す。


「ルーカス、この花束、この部屋に飾らせて!」


「いいけど、どうしたの? これ……。」


「ジークハルト様からイザベラにいただいたプレゼントなの。」


「はあ、またややこしい……。」


 ややこしいのなんて今さらだ。幾つか花瓶を借りて初めてのプレゼントである薔薇を飾ることができた。

 ……うん、綺麗だわ。飾った薔薇をいろんな距離や角度からうっとりと眺めてみる。

 ひとしきり眺めて満足したので、ようやく屋敷へ戻るべく着替えを始めた。


「……僕、まだここにいるんだけど?」


 ルーカスが慌てて後ろを向き、戸惑いながら抗議する。


「え、何? 別に今さら恥ずかしくなんかないわよ。小さい頃は一緒にお風呂入ってたでしょ。」


「いや、いくつの時の話をしてるの……。一応君淑女なんだしさ……。」


 婚約者がいる癖にまったくもう、と彼は後ろを向いたままフローラにぼやいた。

 何を今さら恥ずかしがる必要があるのか。わたしが恥ずかしくないんだからそれでいいじゃないか。

 そんなことを考えながら化粧を直し、侯爵家のフローラに戻り挨拶をして彼のアパートを後にした。




◆◆◆ <ジークハルト視点>


 ジークハルトは、ゲルダと一緒に観劇に行って以来、実のところ毎晩のようにイザベラを観るために劇場に足を運んでいた。


 イザベラに会いたくて堪らなかったが、彼女が劇場から出てくるのを待つといった逃げ道のないようなことをしたくなかったので、公演が終わっても彼女に会おうとはせずすぐに帰宅していた。

 お金を払うことで正々堂々と彼女を鑑賞できる。舞台の上の彼女はどこにいるよりも輝いて見えた。そして役を演じながら日に日に花の蕾が開いていくように美しく開花していく彼女にさらに惹かれてしまう。


(だが明日はノイマン伯爵を逮捕して、それからしばらくは城で遅くまで仕事だ。当分の間は夜に街へ行くことはできないだろう……。イザベラ、早く会いたい。)


 ゲルダの父親であり軍部の上官であるノイマン伯爵を逮捕するために、ここのところ毎日様々な手段で証拠集めを進めていた。

 先日オイゲン商会の関係者から、やっとのことで彼と商会の上層部との関係を示す証言が取れたのだ。これでいよいよ明日伯爵邸へ乗り込むことができる。

 長い期間をかけてこつこつ捜査してきたこの案件にようやく決着をつけることができる。最後まで気を抜かないように慎重に行動しようと気合を入れた。




 翌日ジークハルトは数人の騎士を連れてノイマン伯爵を連行するために伯爵邸へ向かった。当然抜き打ちである。

 表向きは単に事情聴取をするという名目で公的には届けてある。それというのも王城の内部には伯爵に通じている人間がいると確信しており、逮捕するという情報が伯爵に漏れて逃亡されてしまうことを懸念したからだ。


 ジークハルトを始め騎士たちが馬を降り、伯爵邸の扉をノックする。

 彼と部下のハンスを除いた他の騎士3人は、念のため屋敷の外で待機する。ハンスとともに屋敷の執事に迎えられ、ノイマン伯爵の執務室へ案内された。


「旦那様、騎士団副団長のアーベライン様です。」


 執事がそういうと、中から「ご入室願え。」という声が聞こえた。

 扉を開けてもらいハンスとともに中へ入る。すると執務机の椅子から肥え太った男が立ち上がり、その場で仰々しく一礼して口を開いた。


「これはこれはアーベライン様、今日はどういったご用件で?」


「ノイマン伯爵、実はお聞きしたいことがあってね……。」


 ふてぶてしく平然と話すノイマン伯爵の表情をじっと観察しながら、ゆっくりと丁寧に問いかける。


「……オイゲン商会はご存知か?」


「っ……!」


 ジークハルトの言葉に明らかに顔色を変え、伯爵はその表情をなくす。


「……詳しい話は城で聞こうか。ハンス、連れていけ。」


「はっ。」


 ハンスにそう指示をした途端、伯爵は咄嗟に執務机の天板の裏に手を伸ばした。


「おいっ! 動くなっ!」


 伯爵の不審な動きを察知して叫ぶのと同時に、つんとした薬品の匂いが鼻につく。これは塩酸と………火薬の匂い……!


 そう思った時には危険を察知し咄嗟に動いていた。既に伯爵の方に足を踏み出していたハンスを思い切り引き寄せ自分の前に庇いながら踵を返し、その場から離れるべく扉の方へ向けて勢いよく突進する。



――ドゴオォーーーーーーン!!



 激しい振動とともに耳をつんざくような爆音が轟く。

 ハンスを前に庇いつつ背中から爆風で彼ごと部屋の外に吹き飛ばされる。背中には木片や石の欠片などあらゆるものが叩きつけられ突き刺さったのが分かった。


 吹き飛ばされたあと体中の痛みに朦朧としながらも自分の下にいるハンスの無事を確認した。そして安堵するとともに意識が途切れる寸前思い浮かべたのはイザベラではなく、なぜかフローラの輝くような笑顔だった。




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