最終話 ただいま
「う……ここは……」
気が付くとそこはどこかの路地裏だった。そして周囲の風景からして日本じゃないのは明らかだ。
(そういえばワタルは大丈夫か!?)
「ん……いてて」
すぐ傍にワタルが倒れていた。どうやら落ちたときに頭を打ったようだ。取りあえず無事でよかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫です……。で、ここはやっぱり?」
「だろうな、この流れは」
ケントは嘆息して周囲を見渡す。もしかして異世界に一度来ると飛ばされやすくなるとかだろうか。2回も異世界に来たことがあるのは、きっとケントとワタルくらいだろう。
「ワタルの家族がまた心配しちゃうな。お礼も言ってないのに……」
「ああ、心配しないでください。もしまた居なくなっても多分異世界行ってるからって断ってますから」
けろっとしながらワタルが言う。
いやいや待て待て……
「随分用意周到だな?」
「だって一度目のときは流石に心配させてしまったみたいで。だからまた同じようなことがあったときに心残りになるといけないと思ったんです」
何だろう。気のせいだろうか。ワタルが嬉しそうに見える。
「そ、そうか。お前がいいならいいが……」
ケントは心の中でワタルの家族に謝罪した。
(俺がくまちゃんラーメンの扉を開けたばっかりに。スミマセン)
ワタルとそんなことを話していると、裏路地に面した建物の扉から体格のいい黒髪の短髪の男が出てきた。そう、熊みたいなでかい……
「なんか煩いと思ったら、ケントじゃないか」
「くまちゃん!?」
「くまちゃん……?」
ワタルは何のことか分からずに首を傾げている。そして特に驚きもせずにケントたちを見下ろすくまちゃん。
どうやらここはくまちゃんラーメンの裏口だったようだ。ケントたちはくまちゃんに招かれるまま裏口から店の中へと入った。
店はまだ開店準備中で客は居なかった。相変わらず美味そうな匂いをさせている。
そういえば、ケントとワタルは昼食前で腹減りだったことを思い出す。
「くまちゃん、俺ら昼食前に異世界に落ちてきたみたいで腹が減って……」
「おお、待ってな。すぐ2人前作ってやるよ」
くまちゃんが口端を上げてにやりと笑う。
やっぱりいい男だわ、くまちゃん。
「あざーっす!」
「おお、ありがとうございます!」
どうやらワタルも腹が減っていたようだ。飯にありつけると分かったためか目がきらきらしている。
くまちゃんはまだ開店前だというのにケントとワタルにラーメンを作ってくれた。
「はいよ」
くまちゃんがチャーシューとネギをいっぱい乗せたラーメンを出してくれた。
「「いただきます!」」
ケントたちは備え付けの箸を手に早速ラーメンに手を付ける。この香りが堪らない。腹が減ってたから余計に気が急く。
ラーメンを啜りながら思う。
相変わらずここのラーメンは美味い。前より美味くなったんじゃないだろうか。
ワタルも美味そうにハフハフ冷ましながら麺を啜っている。
「美味い……」
涙を流さんばかりに感動していると、くまちゃんがケントにふっと笑って言った。
「それにしてもまた裂けたんだなあ、うちの店の裂け目」
「また!?」
またとはどういうことだ。もしかしてくまちゃんがこの世界へ来たのは……
「俺もあそこから落ちたんだよな」
「マジか……」
ケントたちはくまちゃんがこの世界に落ちたときの道を通ってきたということか。何ということだ。
「俺以外で、人が落ちてきたのは初めてだから、お前らがこの世界と相性が良かったのかもな」
「あー、2度目だからとか?」
「かもな。だが一方通行だ。諦めるんだな。俺も諦めた」
「ああ、そうなんだ」
もう苦笑いするしかなかった。あの店はやっぱりくまちゃんの店だったんだな。
だが落ちたのがケントたちだけということで多少安心した。でなければくまちゃんの店が異世界ホイホイになるからな。
ケントがくまちゃんと話している間にも、ワタルは一心にラーメンを食べていた。
何をそんなに急いでいるんだと思っていたが、突然ラーメンを食べ終わったワタルが口を開く。
「すいません、くまさん。お勘定お願いします!」
「へ? ワタル、なんで金持ってるんだ?」
「いやぁ、こっちのお金持ってきてたんですよね。あれから毎日お守りのように持ってたからそれで落ちちゃったのかな。ははっ」
おいおい、暢気だな。ワタルはよっぽどこの世界に帰りたかったんだな。悪い事したな、本当に。
「ケントさん、これ、餞別です」
「うん?」
「お金ないと移動もできないでしょ? ここの勘定もあるし」
「お、おう。ありがとう……」
年下に金を恵まれる――ちょっと情けなくて涙が出そうになる。
そういえばワタルは高校の制服を着たままだが相当目立つんじゃないだろうか。
「制服、目立つな」
「別に平気です。そろそろ僕行きます」
「あー、やっぱあそこへいくのか?」
「はい!」
ワタルが向かう先は決まっている。早くエリーゼに会えるといいな。――そんなことを考えながら彼に告げる。
「ワタル、近いうちに会いに行くよ」
そう言うとワタルはにこりと笑って答える。
「それよりもセシルさんに会ってあげてくださいね」
「ああ、そうだな。会えるといいな」
「それじゃ、お元気で!」
「ああ、またな!」
ワタルは店を出るときに何かぶつぶつ呟いていた。
「あれ、僕こっちで3年経ってること言ったっけ……? まあいっか、急ぐし」
ケントはワタルの呟きが全く聞こえなかった。
ラーメンを食べ終わったあとくまちゃんに尋ねてみる。
「くまちゃん、ここ、ランツベルクだよな?」
「ああ、そうだな」
くまちゃんラーメンはランツベルクに店を出していた。そこへ落ちてきたってことはここはランツベルクだと思った。
「じゃあさ、最近セシルは店に来てないか? ほら、前に俺と一緒に来た12才の女の子」
万が一にも店に来ているかもしれない。セシルもこの店のラーメンを気に入っていたから。
「ああ、あの坊主、女の子だったのか。うーん、彼女のことは見てないが、爺さんならよく来るぞ」
「爺さん!?」
セシルの爺さんって言ったらクロードだろう。
ランツベルクのラーメン屋によく来るって? 森にセシルたちと住んでるんじゃないのか?
「ああ、セシルって言ったらクロードさんの孫だろ? よくうちで孫自慢してるぞ。今奥さんと一緒にこの町に住んでて、2人でよく食べに来るぞ。特に彼はうちのラーメンを気に入ってくれてて常連だな」
くまちゃんがにこにこしながら話す。
クロードが日本人ならそれも納得だ。ラーメンは日本の伝統文化だからな。
それにしてもくまちゃんは以前から自分の作ったラーメンを褒められると機嫌がよくなるんだよな。
「クロードさんとミーナさんがランツベルクに住んでるということは……セシルも……?」
ケントの呟きを聞いていたくまちゃんがラーメンの器を拭きながら口を開く。
「ミーナさんはこの町で治療院を開いてるんだ。彼女の治療院の場所なら知ってるぞ。住所書いてやろうか?」
「っ……! ああ、頼む!」
くまちゃんが彼らの住所を知っていたとはラッキーだ。セシルに会う手がかりがこんなに早く掴めるとは。
ケントはくまちゃんにミーナの治療院の住所を教えてもらう。そしてそこへ向かうべくラーメン屋をあとにした。
くまちゃんに教えてもらったミーナの治療院は町はずれにあった。
遠くから見た感じ少し大きな3階建ての民家だ。そして入口には確かに治療院の看板がかかっている。
セシルによく聞いていたミーナの話を思い出す。確かセシルより強いとか言っていた気がする。
ケントは何となくそれを思い出し、無意識にいかつい強面の女性を想像してしまう。
セシルが居るかもしれない。そう思うと胸が高鳴る。3か月くらいしか経っていないのだ。いくらなんでも忘れているということはないだろう。
1階部分の入口の扉は治療院のため開放されているようで鍵はかかっていなかった。
扉を開くといかにも診療所といった雰囲気のフロアが広がっていた。幾つかの寝台と、診察するための机と椅子、書類棚や薬棚、そしてソファが置かれている。
たまたまなのか、フロアには誰も居ないようだ。
「こんにちはー……」
ケントは恐る恐る声をかける。
ケントの声が届いたのか、しばらくすると奥の方から凄い美女が出てきた。
「ん、どこか具合でも悪いのかい?」
彼女は20代、いや30代だろうか、年齢がよく分からない。艶々とした銀髪を纏めてすっきりと結い上げ、その綺麗な金の瞳が印象的なかなりの美貌だ。
(まさかこの人がセシルの!? 婆ちゃんには見えん。若いな、おい)
彼女は髪と瞳の色がセシルと同じだ。それに顔立ちもよく似ている。
「あの、俺、ケントといいます。セシルさんはいらっしゃいますか?」
ケントが名乗った途端、その女性の目が大きく見開かれる。
「貴方がケントさん!? あら、でも日本に行ってしまったって聞いたけど?」
どうやらケントの黒い髪と目で日本人だと分かったらしい。セシルにあらかた事情は聴いているようだ。
「あ、はい。今度は裂け目から落ちてきちゃったみたいで」
「ぶっ。それは大変だったね。それで、もう体は大丈夫なのかい?」
彼女が吹き出してしまう。まあ2回も異世界に来る奴など居ないだろうからな。
そして彼女はケントの体を気遣ってくれているようだ。長い間意識がなかったことを知っているのだろう。
「はい、向こうでワタルがいろいろと頑張ってくれたお陰でこの通り元気になりました!」
彼女の前で胸をぽんと叩いて見せる。それを見て彼女が再びぷっと吹き出す。
「あはは。それはよかった。セシルから話は聞いてるよ。私は祖母のミーナだ。セシルが世話になったね。どうぞ座って」
「はい、失礼します」
ケントは診療椅子に座って彼女の言葉を待つ。
「折角来てくれて悪いんだけどセシルは今留守なんだ。貴方に会えたら言いたいことがあったんだ」
「……? 何でしょう?」
ケントがミーナに聞き返すと彼女は頭を深々と下げて答えた。
「ケントさん、ずっとセシルの面倒を見てくれたこと、そしてディアボロスをともに倒してくれたこと、どうもありがとう。クロードが戻ってきたのも貴方のお陰だと思ってる。セシルだけじゃ無理だったろうからね」
「ちょ、ちょっと、顔を上げてください。セシルが頑張ったからできたことです。俺は大したことしてませんから」
ケントが慌ててそう話すとミーナが顔を上げて穏やかに笑う。
「そんなことはないさ。あの子の心の支えはケントさんだった。あの子は貴方に出会えて本当によかったと思うよ」
「そんな……褒めすぎですよ」
あまり褒められると照れてしまう。
「そんなことないさ。……ああ、セシルのことなんだけどね。今あの子はAランク冒険者としてこの町を拠点に頑張ってるんだよ」
「Aランク!?」
たった3か月でそんなに!? 一体どんな冒険をしてたんだろう。随分無茶をしたんじゃないだろうか。なんだか心配になる。
「ただ、今はヘルスフェルトのほうへ行っている。ギードさんたちと一緒にギルドの依頼をこなしてるはずだ」
ギードたちと一緒か。それなら安心だ。
「そうだったんですね。分かりました。ギードたちにも会いたいし、ヘルスフェルトへ行ってみます」
「ああ、悪いね。あの子に会ったらよろしく言っておいておくれ」
「はい、ありがとうございました」
ミーナはにこにこと笑って送り出してくれる。
ケントはミーナに別れの挨拶をして治療院を出た。
「よし、ギードたちに会ってみるか。久しぶりだな」
ケントは治療院を出たあと馬を借りるべく、ランツベルクの中心街へ向かって歩く。
だが今からヘルスフェルトへ行くには少し時刻が遅いかもしれない。もう日が傾き始めている。
一晩宿を取ってから明日の朝ギードたちの所へ向かうか。――そんなことを考えながら開けた草地に挟まれた小道を歩いていた。
すると向こうから思わず目を瞠るほどの美女が歩いてくる。
つい目が彼女の方へ行ってしまう。こればかりは男の本能だ。
美人をチラ見するという習性はどうしようもないのだ。条件反射だ。
見るとその美女が遠くからこちらを見て目を丸くしている。じろじろ見ていると思われたら恥ずかしいので、なるべく見ていないふうを装いさり気なく歩く。
だが彼女は立ち止まったままこちらをじっと見ているようだ。
何だろうと思いすれ違いざまに彼女の顔をまともに見る。そして目が合った。
「っ……!」
よく見ると彼女の顔には明らかに見覚えがあった。彼女はあの実験場で戦った偽セシルにそっくりだったのだ。
背はケントの肩くらいまであり、艶々とした銀髪を編み込んで一つに括っている。年齢は16、7才くらいだろうか。
そして彼女の長い睫毛の下の金色の瞳がこちらを見つめて潤んでいる。
「偽セシルか……?」
彼女に向かって思わずそう呟いてしまう。すると彼女はふっと笑って答えた。
「何言ってるの。本物だよ」
青天の霹靂だった。目の前に居たのは、今ここに居る筈のないセシルだったのだ。自分に向けられたあどけない笑顔は確かに彼女のものだった。
どうして大人の姿なのか分からなかった。だがそんなことはあとで聞けばいい。
日本に居たときからずっと会いたいと思っていた彼女が、今目の前に居る。その事実に心が震える。
よく見るとセシルは目に涙をいっぱい溜めて、今にもそれが零れそうだった。
だが零れる前に彼女は慈愛に満ちた懐かしい声で言葉を紡ぐ。
そしてその声を聞いて、ケントはさらに胸が締め付けられるのだ。
「ケント、おかえり」
「ただいま、セシル」
ケントはセシルの頬へゆっくりと手を伸ばした。
聖女の孫だけど冒険者になるよ! 春野こもも @yamadakomomo
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