第91話 日本へ <ワタル視点>
今、ワタルは勇者召喚の儀によって初めてこの世界に降り立った部屋に居る。目の前に居るのはクロード、セシル、そしてエリーゼだ。
セシルが転移魔法陣の儀式に移ろうとしたとき、予め心に決めていたことをクロードに告げる。
「師匠。ケントさんは僕が日本へ連れて行きます」
「なんだって!?」
「っ……!」
よほど意外だったのだろう。クロードとエリーゼが目を丸くしてワタルを見る。セシルも驚いたようだ。だが色々考えた末に決めたことだ。迷いはない。
§
クロードがケントを日本へ連れていくと言ったとき、かつてこの世界へ来たときのことを思い出した。
望んでここへ来た訳じゃない。だけど最初に異世界へ来たときは寂寥感よりもラッキーという気持ちが大きかった。
強制的に行きたくもない大学を受験させられる。そんな苦しみからも逃れられる。これで誰からも指図されずに自由に生きていけると、そう思った。
だが実際に深く関わってみると日本よりも問題の多い世界だった。何より命のやり取りをしなくてはいけないことに戸惑った。
最初は漠然とこの国を守ればいいのだと思っていた。だが実際剣を手にするとその考えが甘かったことを知る。これで人の命を奪うこともあるかもしれないと想像して怯んだ。
そんなときに出会ったのがクロードだった。彼はマスター・ハイノとして、何も分からないワタルに、剣の手解き以上にこの世界について多くのことを教えてくれた。その教え方が日本に居た自分寄りの考え方だったので違和感を感じていた。今となってはそれも納得だ。彼は日本人だったのだから。
クロードと出会ったあとに偶然神殿で美しい少女とすれ違った。日本ではあり得ないほどの美少女だ。その長い薄紫の髪と紫紺の瞳に思わず見惚れてしまう。少女は……エリーゼは聖女だった。
最初は「可愛い子だな」くらいにしか思わなかった。でもこの国の事情、そして彼女自身の事情を知って彼女に同情した。助けてあげたいという憐れみの気持ちから、いつも傍に居て守ってあげたいという気持ちに段々と変わっていった。
エリーゼに対して特別な感情を持ってしまったのだ。
クロードに日本へ帰るかどうかの意向を聞かれたとき、最初はそのつもりはなかった。自分には守りたい人が居るからと断った。勿論エリーゼのことだ。
だがクロードがケントを連れていくと言ったことで迷いが生じた。クロードはようやくセシルと会えた。そしてこのままいけば10年の長い月日を経て最愛の女性ミーナと会えるはずだったのだ。
クロードにもセシルにも大きな恩がある。恩があるからだけじゃない。ワタル自身が彼らのために何かしたいと思ったのだ。今まで他人のことなどどうでもよかった自分がだ。
ケントにしてもワタルが勇者召喚に巻き込んだようなものだ。挙句こんな目にあわせてしまった。彼がエメリヒの手から必死に逃げている時、ワタルはのうのうとこの国でちやほやされていたのだ。だからケントには申し訳ないと思っていた。
エリーゼとは離れたくなかった。この世界でずっと一緒に生きていきたかった。
だけどここで自分が動かなければ一生後悔すると思った。そうしないと彼女の前で胸を張れないと思ったのだ。
後悔はしない。これで人として少しでも成長できるならやるしかない。そう思った。
§
ワタルは皆を見渡したあと再びクロードに向かって話し始める。
「行くなら僕が行くべきです。僕ならまだ日本に居場所があるし、恐らく待っている家族も居る」
「だがワタルは、この世界に守りたい人が居るからと……」
クロードはワタルの言葉を覚えていてくれたようだ。エリーゼのことを守りたい気持ちは変わらない。
だけど行かなければいけないのは自分だと思った。
「それは師匠も同じでしょう? ようやく家族に会えた師匠を、今となっては縁も所縁もない日本へ行かせるわけにはいきませんよ」
「ワタル……」
そう言って次にワタルはゆっくりと目線をエリーゼへ向ける。
本当は君と離れたくない――そう言いたかった。切なさで胸が張り裂けそうだ。
「エリーゼ、君をずっと守りたかったけど僕は日本へ帰るね。これが皆にできる最後の恩返しなんだ。だから僕は君に見送ってほしい」
「ワタル様……」
エリーゼはワタルの言葉を聞いてその瞳を潤ませる。そしてゆっくりと頷いた。
その表情を見て抱き締めたくなる。泣くなと慰めたくなる。
「分かりました。貴方がそう選択したのであれば、私からは何も言うことはありません。貴方は本当に義に厚く優しい人。私はそんな貴方だからこそお慕いしていました。どうか幸せになってください」
「エリーゼ……僕は……」
――君を愛している
ぐっと言葉を飲み込む。エリーゼの未来を考えるなら伝えてはいけない。
彼女は涙を堪えているのだろう。震える唇を噛みしめている。
そんな彼女に手を伸ばしかける。そのまま抱き締めてしまおうかと思った。でも駄目だ。彼女が余計につらくなるだけだ。
ぎゅっと拳を握りその手を戻す。
そしてエリーゼの視線を振り切るようにクロードに向き直った。そのまま彼の手から静かにケントを譲り受けその体を抱きかかえる。
「それじゃ皆元気で」
笑顔で皆に別れを告げる。自分は上手く笑えただろうか。
ケントも本当は自分の口で別れを言いたかっただろう。
「ワタル様……どうかお元気で」
「ワタル、すまない。ケントを頼むな」
「ワタルさん、ありがとうございます。どうかお元気で」
エリーゼ、クロード、セシルが順に別れを告げてくれた。セシルは既に涙で頬を濡らしている。彼女も別れがつらいのだろう。
そしてエリーゼはばれていないと思っているのかもしれないが、懸命に涙を堪えているのが分かった。きっとワタルのためなのだろう。涙を流すとワタルを苦しませると思っているのかもしれない。
(エリーゼ、好きだ……どうか幸せに)
皆との別れを済ませケントを抱えたまま魔法陣の中央へ進む。ワタルたちの体を虹色の光が包む。
皆がワタルたちを見送っている。最後にそんな皆に笑いかける。
「さようなら」
だがもう声は届いていないようだ。皆の顔が段々と光に包まれて見えなくなっていく。そしてそのままワタルたちは完全に光に包まれた。
(この不思議な感覚……最初に王国に召喚されたときと同じだ……)
意識を失うことはなかった。しばらくすると自分たちを包んでいた白い光がだんだんと薄れてきた。周囲の景色の輪郭が次第にはっきりとしていく。
周囲を見渡すと、そこはワタルが召喚されるときに光に包まれた道路の上だった。この景色はよく知っている。いつも通る馴染みのある通学路だ。近くにコンビニと公園が見える。
そしてワタルの手にはしっかりとケントが抱えらえていた。
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