◇ 02

 メニアコが立ち去ると、リコルは大きくため息をついた。先ほどのメニアコの無遠慮な言葉が刺さったかと心配していると、視線に気づいた彼は苦笑して首を振った。


「彼の言い分は、正しいよ。頭で分かっているのに、納得できない自分自身が幼稚に思えて、情けなくて」


 メニアコは昔からそうなのだと、リコルはぼやいた。


「人の長所も短所もよく見てるというか……その割に感情の機微にはあまり興味を示さないものだから、指摘し辛い事もズケズケ言うんだよ。だから昔からちょっと苦手で……兄さんも英雄様もよく平気だなと思っていたけれど、嘘も社交辞令も言わない裏表のない人だからこそ、なのかもしれない……と今思った」


 今度は小さくため息を吐いて、リコルは目を伏せる。長い睫毛で目元に影が落ちたせいか、顔色が悪く見えた。周囲の煌めきはいつもより陰っていて、彼の後ろ向きな部分が、顔を覗かせている。


「それは……過去よりも一歩、その方々の思考を理解できたということではないでしょうか」

「……え?」


 顔を上げた彼は、キョトンとして聞き返した。遅れていると感じている彼に、何も間違っていないと言葉を選んで伝える。


「趣味趣向は人それぞれですし、どうしても受け入れられないものは誰にだってあります。皮膚を張り替えようと、同じものを食べようと、その人を形成する全てに成り代わることも出来なければ、心の内を知る事もできません。だから……大事なのは、その人が何を考え、対象とどのようにして向き合っているのか、それを理解することだと思うんです」

「……理解、できているだろうか。私は独りよがりな、捻じ曲げた解釈をしていないか」

「どうして、そう思うんですか?」


 責め立てないように、なるべく穏やかに聞き返す。相手が不安にならないようにほほ笑んで、あくまでも話しを聞く体を崩さないでいると、リコルは意外にもきっぱりと答えた。


「ウェルヤによく言われる」


 お目付け役という身近な存在の言葉……それはちょっと否定し辛いぞ、というのが顔に出ていたのか、リコルは少し悩んだ表情を見せた。


「いや……他人の意見を丸呑みしているわけではなくて、私自身の意見とかみ合わないな、とよく思うんだ。理屈は分かるが、同意は出来ないというべきか」

「ああ、共感できないと」

「そうそう」


 調子が戻ってきたのか、リコルの周辺がまたキラキラとしてきた。ある意味分かりやすい。足を組み直した彼は、「立場が違うのだから、私からは見えないものもあるのだろうけれど」と前置きして、続けた。


「何故皆、自分を大事にしないのだろうか。テルーナも、兄も、英雄様も、ウェルヤだって……私よりも優れた能力があって、それは何者にも代えがたい誇るべき力なのに、身を危険に晒してばかりで……」


 少し間があって、「とはいえ、付き合わせているウェルヤには無理をさせてしまっているな。家に帰ったら、休暇を作ってあげないと」と彼は付け足した。その休暇期間中に何かしらの騒ぎ(リコルが無断で外出したり、とか)を起こして、結局ウェルヤの気は休まらずに振り回される未来が見えた気がしたが、言わないでおいた。おそらくウェルヤも、改善はとっくに諦めている。


 ちらりと持ち上げられた青い目が、『君の事も』と言いたげにこちらを見つめた。目を精霊に渡した事を指摘しているのだと気づき、左目を覆う包帯を隠すように撫でた。


「それを言うなら、リコルさんもでは?」

「私はそれぐらいしないと、テルーナに置いて行かれてしまうからだ。だが、君はそうではないだろう?」


 やはり、数少ない友人との差を気にしているようで、彼は少し落ち込んだように息を吐いた。気持ちは分からなくも無い。どれだけ目を惹く美貌を持っても、精霊に愛されても、リコルという人間はアオバとそう歳の変わらない、似たような悩みを持った青年なのだ。


 丁寧に、厳重に、割れないように慎重に、殻に覆われた彼の内面が知れて安堵するアオバを、リコルは訝しんだのか眉をひそめた。


「僕はただ──可哀想だなぁって、そう思っただけです」


 他に理由が続くと思ったのか、リコルは沈黙したままこちらをしげしげと見つめ、いつまで待っても来ない続きに首を傾げた。


「……それだけ?」

「はい」

「とてもじゃないが、真似できない」


 おそろしいまでに整った美貌を歪ませて、拒絶するように首を振る彼に、真似する必要はないですよ、と声をかけて苦笑する。


「共感できなくてもいいんです。ただ、理屈というか、『ああ、こういう人なんだなぁ』ってことが分かれば……それが理解するって事かなって、僕は思います」

「そうか……? うーん」


 納得できないと言いたげに彼は腕を組み、短く唸った後、不意に顔を上げると、探るようにして言う。


「なら今、アオバ君は……」

「はい?」

「ん……いや、先に近場か……? うーん……ウタラの様子を見に行きたい、と思っている?」

「そうですね。できればすぐにでも、行きたいなぁって思ってます」


 素直に答えると、リコルは考えをまとめているのか、口元に手を当てて「なるほど……」と小さく声を漏らした。何がなるほどなのかとじっと彼の様子を窺っていると、視線に気づいたリコルは困ったようにほほ笑んだ。


「ああ、すまない。少しだけ、アオバ君の考えが分かったような気がする。これが理解した、という事なのか──うん。ウタラの様子、見に行こうか」

「いいんですか!」


 思わず飛び起きると、上半身をベッドに乗せていたペルルが弾みで少し浮いた。真珠色の目をぱちくりさせるペルルに「驚かせてごめんね」と謝っていると、遅れて貧血の症状がやって来て、思わず目を閉じた。主に顔周りの出血が原因で(寝過ぎというのもあるだろうが)、頭がくらくらする。


「すぐ隣の部屋だから、怒られる事もないんじゃないかな」

「はいっ。ペルルもお見舞い行こうね」

「うん」


 念のためにユラにも目配せすると、最初から止める気はなかったからか、すんなりと頷いてくれた。ベッドから降りると片目だけの視界が回り、思わず壁の方へヨタヨタと移動する。リコルが心配そうに手を貸してくれたが、壁を支えにしている内に治まったので、重症と言う程のものでもないようだと判断し、もう大丈夫だと彼に手を離してもらった。


「そうだ、リコルさん」

「うん?」

「痛み止め、ありがとうございます。素材を集めてくれたそうで……」


 言うタイミングを逃すところだった。頭を下げると、リコルは嬉しそうに頬を緩めた。


「どういたしまして。だけど、痛み止めを作ったのはあの女性だ。感謝の言葉なら彼女にも伝えてほしい」

「分かりました。……お医者さん、なんですかね?」

「主軸は調合師だそうだよ」


 雑談も交えながら軋む体を押して、隣の部屋の戸を叩く。返事が無いので不安になっていると、リコルがおそるおそるドアノブを回した。鍵は掛かっていないようで、扉はすんなりと開いた。


「ウタラ……?」


 ベッドの上で一人、布団に包まっていた人物がビクリと反応をする。ゆっくり近づき、布団の隙間から覗く見覚えのある衣服から、ウタラ本人だろうと認識して近くに屈んだ。


「大丈夫?」


 そっと窺うと、ウタラは顔の辺りの隙間を少し開けた。長い前髪で隠れてしまった顔半分が、少しだけ覗き見えた。


「──噂通り無茶されるね、御使い様」


 青年の声がした。


 固まってしまったアオバを見て、ウタラは胡散臭い声でカラカラと笑う。布団が落ちないように掴む彼女の手は、標準的な十代の少女よりも骨ばっていて大きい。


「ウタラ、声が……」

「……ああ、うん。声……ウタラ……そう、ウタラだ。忘れてないさ、大丈夫……ウタラ、ウタラね……」


 俯いたウタラが被る布団をリコルがそうっと外した。何の抵抗も無くするりと落ちた布の下にあったのは、ぼさぼさの前髪と、半分程少女の面影を残した青年の顔だった。瞳孔が光り、目そのものが特殊なフィルムのように様々な色にへと変わる。


「……この目は」


 リコルが息を呑むのと同時に、見覚えのあるソレにアオバの表情も強張った。


(これは……フィル・デさんと同じ……!? なんで! ウタラは普通の──)


 ふと、ウタラをよく観察する。彼女の肩幅はここまで広かっただろうか。手は大きかっただろうか。声は低かっただろうか。髪はこんな色で、質も今見ているものと同質だっただろうか?


「……顔がよく似た他人、か。言葉そのままの意味だとはな」


 嫌悪感を露わにしたユラが、忌々し気に呟く。


「風の精霊と無理やり波長を合わせる為に、最適化した姿があの旅商人、というわけか」


 変質していったというのか。この短期間で、いや……。


 目の見えない祖母の家で、どうして窓に板を張り付けていたのか。鏡が割れていたのか。それを隠すように布をかぶせていたのか。──変わっていく己の顔を見たくなかったのではないか。

だとすれば、フードを目深に被っていた理由も納得がいく。暗い室内でランタンから離れていたのも、顔に灯りが当たって顔を少しでも晒す事を避けていたのだ。たった一日で、どれほど顔や体が変わってしまうのか分からなかったから。


 そうして怯えて、隠れて、どうしようもなくなって……症状に気づき解決策を提示したエイーユに、縋ってついて行ったのだ。その結果大怪我を負い、一気に変貌してしまった。


「元に戻す方法……あります、よね?」


 縋るようにリコルを見上げれば、彼は渋い顔をして首を振った。


「……ソレは、精霊の加護だ。加護は、解くことができない」

「こんな無理やり変える事の何が、加護なんですか!」


 言い放ってから、リコルにぶつけてもどうしようもないではないかと、涙で滲み始めていた右目をこすって、勢いに任せて感情のまま投げてしまった事を謝罪する。


「すみません……」

「……いや。気持ちは分かるよ」


 思ったよりも小さな声も拾い上げて、リコルは寂し気な顔で頷いた。


(声の調子が変だって、気づいていたのに! 様子がおかしいって分かっていたのに……! 違和感に気づいた時点で、ちゃんと聞き出しておけば……)


 あの時には両目があったくせに、何を見ていたんだ。やるせなくて、強く下唇を噛んだ。


「い……いつから、変わってきたの。ウタラ」

「いつ……いつだったかな……違和感があったのは、五年前、ぐらい……?」


 笑っているような調子で、ウタラはボソボソと続けた。


「はっきり変化に気づいたのは、二年前ぐらい。お祖母ちゃんの症状が急変して……目が見えなくなったから、慣れるまではってひと月ぐらい付きっ切りで面倒を見ていて……身だしなみを気にする余裕も無くてね、久しぶりに鏡を見て──あれ? って」


 項垂れて、ウタラは自身を抱きしめるように両二の腕を握った。震える程怯えているのに声はずっと笑ったままで、あまりのちぐはぐさに少し怖気づきそうになる。


 怖がるな。変わっていく様を年単位で見続けたウタラよりも怯えるなんて、そんな権利が誰にある。


「ウタラ」


 名を呼ぶと、彼女はぎこちなく手の平を見つめた。その仕草を、見た事がある。あの旅商人が時々、思い出したかのようにそうやって手と袖口を、己が何者かを探るように見ていたことがあった。それが結局、あの旅商人も元は全く違う見目をした誰かだったという反証にしか思えず、痛々しく見えてしまって眉根が寄る。


 笑ったままの楽し気な口元に反して、ウタラの声は震えていた。


「俺はまだ、ウタラなのかな?」

「……ウタラはウタラだよ」


 確証のない、ただの妄言にウタラは苦笑した。


「そうかな。そうだといいのだけどね、へへへ……」


 たったの一晩一緒にいたアオバでも分かる程の変化だ。いくら目が見えないと言っても、声も変わってしまってはウタラの祖母も気づいてしまうだろう。もし拒絶されてしまったら……。


 何か方法があるはずだ。そうでなくては嫌だ。こんなに怖がっているのに、あんまりだ。元に戻せないか。戻せるはずだ。ラピエルから貰った力なら、きっと。


 悪あがきだと思いながら、力を使おうとした。だが──そう想像したからこそ──精霊の力の前では無力だと知ってしまったからこそ──能力はまるで発動せず、尚も変化を続けるそれを止める事ができなかった。


「なんで……っ」

「優しいね、君は」


 カラカラと、青年の声が笑う。


「それが君の本質なのかい? それとも……御使い様はそうあって欲しいと、皆が望むからなのかい?」


 彼女はそう言って、おかしそうに首を傾げた。毛量の多いぼさついた前髪が少し横に流れて、覗き出た光る瞳孔が、目を細められると同時に狭まった。元の面影はすっかり薄れて、そこにいるのは少女ではなく、旅商人フィル・デ=フォルトだった。

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