◇ 11

 ……道端に花束が積まれている。


 夏もまだだというのに、アスファルトから湯気が立ち昇る程の炎天下。直に置かれた花束が、焦げてしまいそうな熱気だ。アオバ自身も深緑のランドセルと背の間に熱気が溜まり、学校指定の帽子も蒸れて、大粒の汗が額を伝った。


(……)


 何の気も無しに、手を合わせる。理由は分からなかったけれど、そうしなさいと母に教わったから。目を閉じて、湿った生温い空気を吸う。


 トン、と誰かが肩に触れた。少し驚いて目を開けて振り返るが、帽子の鍔で目の前には影がかかっているとはいえ眩しい事には変わりなく、すぐに目を細めた。


 あまり綺麗とは言い難いよれた服を着た女性が、すぐ近くに立っていた。五十か六十ぐらいだろうか。老け込んだ女性のぎょろっとした目が怖くて俯く。衣服に比べると真っ白過ぎて悪目立ちをしている、白のパンプスを履いた足が視界に映る。


「僕、小学生?」

「え……あ、はい」

「うちの子もねぇ、貴方ぐらいの歳でねぇ」


 そうなんだ。肩紐を握って相槌を打つと、女は黄色い半紙を渡して来た。読めない漢字もいくつか混じっていたので読むのを早々に諦め、アオバと同じ年頃の少女が笑顔でピースサインをした画質の悪い写真に目を留める。


【……当時の服装。赤いランドセル、白のブラウスに紺の吊りスカート、ピンクの運動靴……】


(あれ、この子って確か……)


 見覚えがある気がして、少女の名を見る。父の書斎にある、ファイリングされた資料の中にあったような気がする。ファイルの名前は……。


「もし見つけたら、ここに書いてある電話番号に教えて頂戴」


 半紙の文字を遮るように上から腕が伸ばされて、下部に記された番号を指した。それを凝視しながら、女性の言葉と記憶とを繋ぐ。


(失踪事件……の、被害者……だっけ?──)


 不意に、後ろからランドセルの取っ手の金具を引っ張られて、小さなアオバはバランスを崩した。倒れないように支えたその人は、古風なワンピースタイプの制服を着た、セミロング(よりもやや短い)の髪にゆるくパーマをあてた女子高生だった。


「キモイんだよ!」


 女子生徒は、いの一番に女性罵倒すると、彼女が抱えていた大量の黄色い半紙を叩き落とした。ついでにアオバが受け取った半紙を奪ってグシャリと握りつぶし、その場に放り捨てた。


 呆然としているアオバの手を取った女子は、そのまま引っ張るようにして女性から離れていく。もうすっかりビラ配りをしていた女性の姿は見えなくなり、アオバも諦めた時だった。


「……若下さん?」


 気の弱そうな女性の声が前方からして、手を引く少女の足が止まった。声をかけて来たのは少女と同じ制服を着た女子生徒で、整った顔立ちや品の良さそうな雰囲気もさることながら鍔の広い白い帽子を被っている事も相まって、良い所のお嬢さん、といった井出立ちに見える、非常に目を惹く人物だった。


 ただ、彼女の斜め後ろに立つ軽薄そうな青年の存在のせいで、世間知らずなお嬢様がよくない男に絡まれているようにも見えた。


 若下さん、と呼ばれた少女はアオバの手を解放し、キッと少女を睨みつけた。


「何?」

「あ……う、ううん。えと……あ、弟さん? 可愛いね」

「は? 違うし。話しかけてんじゃねーよ、キモイ」


 機嫌悪そうに吐き捨てた少女は、足早にその場から立ち去った。どうしたものかと狼狽えるアオバを無視して、青年はゲラゲラと下品な笑い方をして残された少女の肩をつついた。


「コミュ障~」

「う、うるさい、馬鹿! ヤクのせいじゃん!」


 もうこの場を離れてもいいだろうかと思い、アオバもそそくさと移動する。一度近くで聞いた声は雑踏の中でも聞き取りやすいようで、背後でも少女らのやり取りはよく聞こえた。


 そこに、別の人物の声が入ってきた。


「梓~。よかった、まだ近くにいた」

「きょーちゃーん! ヤクが馬鹿にしてくるぅ!」

「先に馬鹿って言ったの梓だろ」

「まーた痴話喧嘩してるの」

「痴話じゃない!!」


 ちょっと振り返ってみれば、帽子を被った少女が分かりやすい程泣きそうな声で、先ほどはいなかった別の少女に憤慨しながら説明している姿があった。


 遠目でも、彼女らの姿は目立っていた。先ほどの帽子を被った少女も、軽薄そうな男もだが、今来たもう一人の存在感は群を抜いてオーラのようなものがあった。灰色がかった腰まで伸びた長い髪は天然パーマなのか不規則で、しかしそれすらも柔らかそうな見目に一役買っていて、良く手入れされた人形のようだった。大きな目は鋭い日差しの影響か、赤く光って見えた。


「ほらほら、梓、泣かないの。ほーら、ハグしてあげよう。梓はいい子だね~」

「泣いでないぃ……」


 少女らはじゃれるように抱き着く。男が、「何やってんだか」と馬鹿にした様子で肩をすくめるのに対し、赤い目の少女はちらりと軽薄な男に視線をやると、勝ち誇ったようにわざとらしく「ふふん」と鼻を鳴らした。


 誰かに似ている、ような。


 脳裏を過った真珠色の目の少女に意識が向かった瞬間、左目がじくりと痛んだ。


***


「──っ痛……あー……」


 意識が急浮上する感覚と共に痛みが増して、思わず左目を押さえた。肌とは違う感触に混乱しながらも体を起こし、薄暗い部屋を半分になった視界で見渡す。


(ベッド……どこだ、ここ)


 倒れると記憶がぶつ切りになるせいで、どこで何をしていて今の状況なのかが分からなくて困る。寝かされていたということは、図書館まで戻っているのだろうか?


 触れている内に左目には包帯か布だかが巻かれているようだと認識し、少し安心する。皮膚が爛れたのかと思った。不安が一つ消えると頭は随分冷静になって、視界が半分無い故に見落としていた、ベッドの近くの壁にもたれ考え込んでいるユラを見つけた。


「ユラさ──ッゲホ、けほ……」

「! あ、ああ。起きたのか。おはよう、大丈夫か」


 触れてはいないが背中をさすってくれているらしい事は伝わり、感謝の言葉を口にしてから「大丈夫そうです」と答えた。顔が見えるように向き合うと、ユラは眉を下げてアオバの左目のあたりを撫でた。


「……やらなくったって、良かったのに」


 ぽつりと呟いて、ユラは小さくため息を吐く。


 気を遣わないでほしくて、気休めの言葉を紡ごうとしたアオバを見て、彼女はそっと『静かに』という手振りをしてから、近くを指さした。指先の追って見れば、ベッドの縁に頭を乗せて寝息を立てているリコルがいた。


「即席だけれど、痛み止めを作る為に素材集めであちこち走り回ってくれたんだ。後でお礼を言っておきなさい」

「はい……」


 小声で返し、片目で周囲を見渡す。ペルルがいないと気づいたアオバを見て察した様子で、ユラは下を指さした。


「居間にいる」

「良かった。ウタラは?」

「隣の部屋で安静中だ。後で様子を見に行くか」

「はい。……あ、エイーユさんは」


 あの場から一足先に離れたはずだが、その後合流できたのだろうか──彼女の名前を出した途端に、ユラは苛立たし気な顔になった。若干見慣れて来たとはいえ、ユラもユラで怒ると(端正な顔立ちもそうだが、威圧感と言うべきか、覇気のようなものを感じる)迫力があって時々ビクリとしてしまう。


「知らない」

「……ユラさん、気配を追えるんですよね?」

「……」

「後で追いかけて切ろうとか、考えたりはしてないですよね……?」

「駄目か」

「……駄目です」


 冗談のつもりで言ったのだが、ユラのむっとした反応を見るにやるつもりだったらしい。彼女はやれやれと残念がって肩をすくめ、ちらりと視線を窓の方に向けた。


「今は旧都からやや西の方にいる。テルーナが聖騎士たちに情報を回して、捕縛してやると息巻いているから、後で教えてやるといい」

「助かります」


 お礼を言えば、ユラはちょっと意外だと言いたげに目を少し丸くした。何だろうかと首を傾げれば、彼女は頬をかいた。


「いや……アオバの事だから、『捕まえるなんて酷い!』みたいな事を言うかと思った」

「罪が無ければ裁かれる事はありませんから、捕まえるというよりは保護が主体かと……」


 そもそも人命を重んじる聖騎士が、(一応)一般人であるエイーユに加害するとは考えにくい。なんだかんだ言いつつも、テルーナだって苛立つことこそあれ一線は越えていないのだ。


 ユラが何か言いかけたその時、部屋の扉がそうっと開けられた。部屋に入ってきたのはテルーナで、掛布団を抱えている。彼女は後ろ手で静かに扉を閉じると、数歩室内に入ればアオバが目を開けているのが見えたようで、静かな声で「おはよぉございまぁす」と挨拶をしてきた。


「目が覚めたんですねぇ」

「はい……ありがとうございます」

「リコル様を巻き込んだの、ぜぇんぜん、許してませんよぉ」

「すみません……」


 にこやかに毒づいた彼女に即座に謝る。テルーナは手に持っていた布団を広げると、寝息を立てているリコルの肩にかけた。


「……ね、痛い目見て分かったでしょぉ? いい子でいたって、なぁんにも良い事なんてないんですよ」


 リコルの隣に腰かけて、彼女はにこりと微笑んだ。


「お皿いっぱいに毒を盛られて、大人しく食べる事に何の意味があるんですかぁ? 僕の為に手間のかかる毒を作ってくれてありがとうって? 殴って蹴られて、それでその人の気が晴れるならそれで十分ですか? それが役目だって言い聞かせて、御大層な身分が名札に書かれていれば満足ですか? 馬鹿ですよ、それは」


 白け色だと馬鹿にされる夕空色の目が、静かにアオバから逸らされる。膝の上で置かれた手が、強く握り締められて細かく震えている。


「ごめんなさい……?」

「理由も分からないまま謝るの、不誠実ですよぉ」


 図星を突かれて口を噤む。まさに、彼女の怒りの理由が分からないまま謝罪していた。苛立ちをぶつけられるかと冷や冷やしてテルーナを見つめていると、意外にも彼女は肩をすくめて茶化したような反応を見せた。


「ま、知らない事で怒られてもよく分かんないでしょぉから、これは私が悪いですね~」


 ヘラヘラと笑って、彼女は目を細めた。


「アオバ君、昔の私にちょっと似てるんですよぉ」

「……それは、リコルさんに会う前の、ですか?」

「そぉです。正直言って、思い出すのも嫌ぁな気持ちになるような過去なのでぇ、アオバ君見てると超イライラしますぅ」

「それは……申し訳ありませんでした」


 今の謝罪は理由を知った上での詫びの言葉だったからか、テルーナはどこか満足そうに頷いた。


「じゃ、アオバ君起きたよ~ってペルルちゃんにも教えてきますねぇ」

「あ、いえ。僕自分で……」

「安静にぃ」


 起き上がろうとしたアオバの額に、テルーナは手を当てた。驚く事に、全力を出しても一ミリとして彼女の手を押し返す事ができず、抵抗をやめると彼女は愛想の良い笑みを見せた。


「あの、テルーナさん」

「はぁい?」

「エイーユさん、旧都から西側の方角にいるみたいですよ」

「……それ、どこ情報です?」


 しまった、その言い訳は考えていなかった。冷や汗を滲ませつつ黙って曖昧に笑顔を浮かべると、「まあいいですけど」とテルーナは納得いかない顔で席を立った。足音がゆっくりと扉の方へと移動して行き、ドアノブに手をかけた音が僅かに聞こえた。次に聞こえるはずの扉の音が中々聞こえず、残された片目をちらりとそちらに向ける。


 扉の前で立ち止まったテルーナが、ゆっくりとこちらを振り返った。


「アオバ君。結果論ですけれど、貴方が目を差し出してくれて助かりました」

「……はい?」

「旧都の精霊溜まりが無くなったんです。君が目をあげて、あの祭壇にいた精霊が急に大人しくなって……他の精霊も攻撃性を失ったみたいに静かになったんです。帰り道、すーっごく楽でした」


 そうなのかとユラに目線をやれば、彼女は同意するように頷いた。そうらしい。


「君がいなかったら……きっと、目をくり抜かれそうになったのはあの場で一番精霊にとって価値のある、リコル様だったでしょう。そうしたらきっと私は反撃しちゃいますし、怒った精霊に私の目が抉り取られてもおかしくはなかった……まあ、可能性の話ですけど」


 言いながら、テルーナはそっと瞼を撫でた。リコルの事以外はどうでもよさそうな(それこそ、同じ聖騎士のビッカーピスが自ら首を刎ねても無視する程の)彼女が、大事なもののように自身に触れるのは、意外に思える。


「だから、お礼は言っておきます。ありがとうございました」

「どういたしまして」


 ほとんど反射的にそう返すと、彼女は呆れたようにため息を吐いた。


「駄目ですねぇ、アオバ君」

「え、今のも駄目ですか……?」

「ダメダメですぅ。今の、『私の代わりに犠牲になってくれてありがとう』って言ったんですよぉ」


 扉を開けて、一歩外に出たテルーナはピンクブロンドのツインテールをくるりと翻して、自嘲気味に笑った。


「良い子を辞めるなら今ですよぉ。何もかも差し出すのが、“当たり前”になる前に、ね」


 扉が閉じる。窺うようにユラに視線をやれば、「同意だな」と彼女も頷き、暗い部屋の中はアオバの「えぇー……」という非難的な呻き声が静かに響いた。

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