◇ 06
リコルは視線をアオバからウタラに向けると、すぐ傍で屈んで彼女の顔色を窺った。大量の出血が原因で青白くなっていた彼女の首に触れ、脈を確認してほっと息を吐いた。
「生きているな。後は……エイーユか」
「放っておいて帰りません?」
茶化すようにそう言ったテルーナは、リコルと目が合うと愛想よくほほ笑んだ。そんな彼女を見てリコルはやれやれと一度肩をすくめる。
「冗談はさて置き。ウタラならエイーユの目的を聞き出せるかと思ったのだけど……」
「さっきまで精霊に捕まって水に沈められていたので、少し待ってもらってもいいですか……?」
「精霊に……ああ、それでアオバ君も、ボロボロになっているのかい?」
アオバの怪我の理由を知ったリコルは、ウェルヤに目配せをして応急手当をさせた。誰が言い出したわけでもないが一旦この場で休憩する事が決まったようで、先ほどまでの精霊との追いかけっこなど無かったような、穏やかな空気に包まれる。それでも気を抜かずに周囲を警戒していたテルーナは、ふと思い出したようにこちらに向き直った。
「アオバ君の力って、自分を治したりできないんですぅ?」
「前に一度だけ試しましたが、そもそも力が発動しませんでした」
「ふぅん……いえ、治したらいいのになぁんでボロボロのまま放ったらかしなのかなぁ? って思ってたのでぇ、納得ですぅ」
唇を尖らせながらも頷いたテルーナを横目に、リコルが「制約があるのは、ちょっと面倒だね」と口を挟むと、「そうでもないですよ」と手当てを続けていたウェルヤが言う。
「制約とは、いわば抑圧機能です。大きな変化を与える程、大きな代償があるというのが世の理だとすれば、他者に影響を与える以上の行いは、御使い様の身が持たぬ証拠という事に他なりません」
「ふむ……なるほど。人間は普段、持ちうる力の全てを使っていないが、それは本当の意味で全力を出すと身がもたないからだ……と、全力を出した結果全身の筋肉を千切った英雄様も言っていたな」
「それ生きているんですか……?」
「不思議な事にあの人は生きていますしぃ、前より強くなってるぐらいなんですよねぇ。多分体の半分ぐらい、精霊なんじゃないですかぁ?」
人間として生きているとは断言し辛い憶測に苦笑する。
手当てを終えて一息ついたウェルヤに礼を言っていると、丁度ウタラがよろよろと体を起こそうとしているのが目に入り、慌てて傍について「転がったままでいいよ」と声をかけた。濡れた前髪が額に張り付いているせいか、彼女の顔が良く見えるが、失血と長時間沈められていた疲労が抜け切れず、本来の年齢よりもいくつも年上に見えた。
「喋れる?」
「う……うん……っう、だい、大丈夫……」
頭痛が酷いのだろうか。彼女はしかめっ面になりながら顔を隠すように額を押さえた。そんなウタラに気を遣ってか、リコルはなるべく一歩引いて『話せたらいいのだけど』という雰囲気を出して語り掛けた。
「エイーユが君を巻き込んだ理由が何か、分かるかい?」
「情報……」
「旧都の財宝の事か?」
「そう……私が聞いた噂は、嘘ばかりだけど……その情報はきっと正しいからって──失礼な話だと思わないか? 胡散臭いのは承知の上だけど、嘘の情報を売った事なんて無いのにね──あぁ……っうるさい! うるさい……!」
話し方が不意に変わったかと思うと、突然ウタラは耳を塞いで低い声で喚いた。落ち着かせようと思い、彼女の名を呼んで伸ばした手が、勢いよくウタラに払いのけられる。
「うるさい黙れ──!!」
ぎょっとして身を引いたアオバとは反対に、リコルは前に出るとウタラの腕を押さえつけた。顔の上半分を覆い隠すぼさついた髪の奥で、彼女は目を見開いて固まった。
「……落ち着いて。私の声は聞こえるか?」
「あ……う……」
「多くは聞かない。エイーユが君を巻き込んだのは、財宝の在り処を知る為なんだね? 何故、君はエイーユと行動を共にしていないんだ?」
浅い呼吸を繰り返しながら、ウタラはリコルの言葉を細かくかみ砕いて少し時間をかけて飲み込むと、青年のような声で答えた。
「言う事、聞いたら……元に、戻す方法を教えて……くれるって……だから……テ……テルー、ナと……リコル、を……分断、しろって……エイーユが……み、御使い、様を……回収、するから……私、は、言われた通りの、道順で、地下に来いって、言われて」
途切れ途切れに、彼女は続けた。
「でも、途中で……罠、みたいなのがあって……引っかかっちゃって、足を怪我して……その後、床が抜けて……血で、水を汚したのが精霊を、怒らせたみたいで……足、切られて……水の中に、引っ張り込まれて……」
ため息交じり、テルーナは「完全にぃ、情報だけ引き出して始末しようとしてますねぇ……」とぼやいた。アオバが聞いたバチンという鋭い音は、ウタラの足が切り落とされた際の切断音だったらしいと分かり、ぞっとして粟立った皮膚を撫で抑えた。リコルはというと、『切られた』という証言の正しさを確認する為か、ウタラの足元に目を向けていた。
「あの、僕が治しました……傷跡は残ってしまいましたけど……」
「さらっと言っているけど、御使い様の力って規格外だよね……あ、本当だ。薄くだけど痕がある」
傷跡を見つけたリコルが感心した様子でそれを眺めているのを脇に置いて、アオバはウタラに話しかける。
「ねえ、ウタラ。財宝の場所を教えてほしい。そこにエイーユは向かっているのだから、合流できるはずだ」
「い、行くんですか、このまま?」
言い終わるか否か、ウェルヤが食い気味にすぐさま反対意志を示した。
「賛成しかねます。怪我人……では、もう無いですが……動けない者がいるのです、退くべきでしょう。犯罪者を捕り逃す事は気がかりですが──」
「いいえ。エイーユさんが罪を犯しているという確たる証拠はありません。現状、彼女は救われるべき一般人のはずです」
年上のウェルヤの方がアオバよりもずっと見識があるのは分かっている。ただ、ここでエイーユを置いて撤退できない。そんなことをしてエイーユに何かがあったら、アオバは後悔をする──見たくもない“黒い霧”が、また目の前に現れるのは耐えられない。
十割の我儘である反対意見を言うのはいつも緊張する。きっぱり言い切りはしたが、不安や的外れな事を言ってはいないかという羞恥で、じわりと顔の熱が上がる。
「……ふむ、なるほど」
穏やかな声でそう呟いて、リコルは頷いた。柔らかな笑顔を浮かべる彼とは正反対に、ウェルヤは渋い顔になっていく。
「それが御使い様の見解なら、私はそれに続こう」
「……リコル様、いくらアオバ君が御使い様といえど、世の中に疎い少年である事に変わりはないのですよ。それを御使い様だかという理由で肯定されては……」
「御使い様だから、ではない。アオバ君の考えが興味深いのは確かだが、一部納得できる理由だったから賛同したまでだ。法はまだ、エイーユを罪人であると断じたわけではない」
その言葉を聞いて、テルーナは納得したように頷き、楽しそうに胸の前辺りで両手の拳を作った。
「分かりましたぁ~! 捕まえて法で裁くんですね! 罪を与える為には、生きていてもらわないと困りますからぁ」
「そういうことだ。ウタラにした事が全て故意であるなら、今後同じ目に遭う人が出ない為に必要な事だ。ね、アオバ君?」
「え。ええと……。そ、そうですね……」
裁く事まで考えてはいなかったが、悪いことをしたのならそれは怒られた方がいいだろう。そういった意を込めて曖昧ながらも返答すると、「なら決まりだ」とリコルは言い切り、ウタラをウェルヤに背負わせながら、彼女に話しかけた。
「財宝の場所を教えてくれ。どこに向かえばいい?」
「……あっちの道」
小さな声でそう呟いたウタラは、先ほど逃げて来た方向を指した。「しばらく真っすぐ一本道で、分かれ道が来たら右に曲がって」と、途切れ途切れに説明を続け、彼女は疲弊感をため息に混ぜた。
「あの、僕が背負いましょうか。ウェルヤさんが動けた方が、何かあった時瞬時に対応できると思いますので」
進み出したリコルの後を追いかけつつ、ウェルヤにそう話しかけると、彼は首を横に振った。
「今はテルーナもついていますし、彼女が対応できない事態であれば、私も対応はできません。大量にフラン・シュラが出て来た時には貴方が杖を鳴らす必要がありますから、手を空けておいてください」
「……わかりました」
確かに、フラン・シュラが出て来た時はアオバが前に出る必要がある。正しい指摘に頷き返し、言い忘れる前に「すみませんでした」と謝罪をすると、彼は眉をひそめた。
「何か謝る必要でも……?」
「いえ、その……エイーユさんを探すのを、強行してしまったと思って……」
「ああ──最終的に決断されたのは、リコル様です。私の主人はリコル様であって、あの方に従うことが仕事であり、それ以外の方の意見は一個人の意見以上の価値はありません。……まぁ、出来れば止めて欲しかったですけれど」
「すみません……」
ハキハキといかにも生真面目な従者らしく答えた後に付け足された小声が、いかにも本音っぽくて申し訳なくなった。ウェルヤが疲れたらすぐにでも代わろうと思い、なるべく近くを歩きつつ続けた。
「精霊は、もう怒ってないでしょうか……?」
彼は周囲に視線を配り、「大丈夫そうですよ」と端的に答えてくれた。
「リコル様がお近くにいる限りは、この辺りの精霊は攻撃を仕掛けて来ないでしょう。とはいえ、油断はなさないのが賢明です。これまでリコル様が攻撃された事はありませんが、これからもそうであるという反証はありませんから」
そうですね。と頷いて返す。特にアオバたち転生者は、精霊から見ればあまり気持ちの良い存在ではないようだし、なるべくリコルから距離を取り過ぎないのが安牌だろう。
時折、ウェルヤの背で揺られているウタラの様子を窺う。血の気が失せた青白い肌は中々回復せず、痛みに耐える吐息は聞いていると不安になってくる。
「財宝って……何でしょうね」
誰にともなく独り言を溢す。エイーユが望む金銭的な物だろうか、それとも歴史的価値のあるものだろうか。古い王城なら、後者のような気もする。
「王族が住んでたってだけでぇ、十分価値ある建造物ですけどねぇ」
「噂になる程だから、やっぱり金銭価値のある何かがあるんじゃないか? 数百年前の……当時はそう価値のなかった調度品でも保存状態が良ければ、高値で買い取る人はいると聞く」
「確かに、埋葬品なんて考古学的にも史料になりますしね……」
返ってきたテルーナとリコルの回答にそう返事をしながら、この地下道に落ちた直後の事を思い出す。あの時見た壁画は、多少掠れてはいたものの、線も色もしっかりと残っていて史料として非常に保存状態が良い。さすがに崩して持ち出すわけにもいかないし、かといって精霊溜まりという危険地帯に研究者を連れて来ることもできないというのは、勿体なく思ってしまう。
「あの壁画、メニアコさんとか見たら喜びそうだったなぁ……」
歩みは止めずに首だけ振り返ったリコルが、壁画、の部分だけを切り出して聞き返した。その様子から、リコルたちが降りて来た通路には無かったようだ。
「反対側の道に、壁画があったんです。多分ですけど、精霊との戦争と、オーディールに祈るラバ族……後、聖女みたいな女の子の絵もありました。土贄の儀も描かれてあったんですが、それがどの時期に始まったのかよく分からないねって、ペルルと話してて……」
「ねー」
顔を合わせると、待ってましたとばかりにペルルが同意するように一音を伸ばした。話を聞いていたリコルは、首を傾げている。
「うーん……? 時期が合わなくないか?」
「え?」
「この王城が手放されたのは、精霊との戦争の時で……まだ土贄の儀は無いはずだよ。土贄の儀は、戦争が終わって少ししてからで……その頃は、この旧都は人が立ち入れない状況だったはずだ」
「あ、そっか」
確かに時期が合わない。とはいえ、絵自体は劣化していたのだから、最近描かれたものというわけでもなさそうだが。新たな謎に考え込んでいると、クツクツと含み笑いがすぐ近くで聞こえて来た。聞いた覚えのあるその笑い方の主はウタラで、彼女は青白い顔ににやけた口元を晒している。
「精霊を味方に付けた誰かが、土贄の儀の始まりを忘れない為に描き残したのかもね。怪物に供物を捧げたあの儀式は、いつ、誰が何の目的で始めて、王族すら巻き込む事になったのか……それは未だ解明されていない、この世の謎だよ」
歌うようにウタラはうわ言にしてはつらつらと語り、言い切ると力尽きたように頭をがくりと垂らし、苦しそうに寝息を立て始めた。
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