□ 07

 馬車が関所前にたどり着いたのは、午後七時を過ぎた頃だった。来た方向へと去る馬車を見送った後、「さて」と声を発したアティに自然と視線が向く。


「俺とアオバは裏道から抜けるか」


 そういえば不法入国者だったなと今更思い出し、伸びをしているリコルの方に視線をやれば、彼は「あまり褒められた行いではないけど……」と前置きをして言った。


「アティは保護したと言えば通るだろうけれど、アオバ君とペルルは……私は疑ってはいないが御使いである証明は難しいからね。審査が通るまでの時間も惜しいし、騒ぎも起こしたくない。……と、注文は多いけど、出来るかい?」

「誰にも見つからずに抜けろ、ということだな。任せておけ」


 手招きされるがままにペルルを連れてアティを追いかける。正規の通路である大きな門から離れ、草木をかき分けて大回りをして国境に近づく。しかしやはりというべきか、人工的な(おそらく関所の門に沿って作られている)壁の切れ目には衛兵らしき人物がおり、聖騎士と思しき恰好の人物も少ないながらも立っていた。さすがに通してもらえそうにない。


「どうするの?」

「目くらましをする。とはいえ、聖騎士には利かんだろうから、そっちは気絶させておくか」


 非常に簡素ながらも暴力的な提案が聞こえた気がして、確認の為にも背後をついてきてくれているユラに視線を送ると、彼女は「よし、分かった」と頷いたところだった。そういえばこの二人は(アティはユラが見えないにも関わらず)同調しているような思考回路だった。


「行こう」


 一言そう呟いて、アティは背負っていた大剣を下ろし、鞘から僅かに、ほんの数ミリ刃が見える程度に抜いた。鞘と柄とを固定するベルトが、ギチリと軋んだ音を立てるのも無視して、彼は自身の身長程の剣を衛兵たちの足元に向けて放り投げた。


 ガラン! と音を立てて剣が地面に叩きつけられ、衛兵たちの視線が音のした方に向けられた──その瞬間、剣は眩い赤い閃光を放った。思わずと言った様子で衛兵たちが各々顔をしかめたり、目元を手で覆ったその隙を狙って、アティはアオバとペルルを両脇に抱えて飛び出した。


 そのまま、後ろを向いていた聖騎士の背を強く蹴り飛ばした。衝撃にも負けずこちらに振り返ろうとした聖騎士の、頭をわざと揺らすように膝で蹴り上げた勢いで、アティは国境を越えた。何かがめり込むような鈍い音をさせた聖騎士が気になって、下ろしてもらったその場で草むらからその人の様子を窺おうとするが、赤い光が邪魔でよく見えない。


「アオバ、行くぞ」

「え、でも、剣は……」


 先に進もうとしていたアティが、振り返った体勢で声をかけてくる。いつも大事そうにしていた武器はいいのかと尋ねようとしたその時、赤い光が背後で無くなり、視線をその場に戻した時には、剣は姿を消し、聖騎士が座り込んで頭を押さえていた。聖騎士は無事そうだが、剣は一体どこに……。


「えっ」


 ガチャリと音がしてアティの方を見ると、『今受け取った』ように先ほど投げたはずの大剣を手にしており、背負い直したところだった。


 目に映る現実が受け入れられずに混乱していると、アティは視線を逸らして頬をかき、「ほら、行くぞ」と声をかけて先に一人で進みだした。慌てて立ち上がり、ペルルが枝や草に引っかからないように抱き上げて彼を追いかける。


「ど……どう、なってるの?」

「一定距離以上は離れられない。そういうものだ」

「それ、聖剣、だよね……?」


 夕空色の透き通った刃は、聖剣の特徴のはずだ。聖剣は、聖騎士が持つ特別な武器のはずだ。何故聖騎士の卵であるアティが所持しているのか。それらの疑問は声に出さずとも分かるようで、アティは朱色の目をちらりとこちらに向けた。


「敵対しても面倒だ。今は詮索し過ぎるな」

「……はい」


 事務的に淡々と答えたユラの様子から、彼女の仕事上もアティと協力関係である方が都合は良いのだろう。彼女の仕事を邪魔したいわけでも、アティの事を根掘り葉掘り聞いて気分を害したいわけでもなかったので、素直にユラの方針に従うことにした。


 大股でアティに近づき、後ろから声をかける。


「アティ、ごめん。聞かれたくない話だった、よね……?」


 草をかき分ける手を止めて、アティは体ごとこちらに振り向いた。彼は嘆息し、眉根を寄せている。


「……アオバ。君は御使いという未知の役を名乗っていると自覚した方がいい。低頭なのは癖か知らんが、誰彼構わずヘコヘコするな」

「え……っと、ごめんなさい……」

「謝罪は求めていない。謙虚を美徳と捉えるのは結構だが、度が過ぎると卑屈に見えると言っているんだ。俺を怪しいと思うのは分かるから、堂々としていろ」


 疑われているのはアティだというのに、逆に説教をされてしまった。なんだかセイラがコーディアやビッカーピスに怒られているのを、追体験しているみたいだなとはさすがに声に出しはしなかったが、小さな体躯から発せられる気迫に圧されて、つい謝罪の言葉を口にすると、横からユラに「懲りないな」とぼやかれてしまった。


 ふいと顔を逸らし、歩き出したアティの後を数歩離れて追いかける。少しして、彼は大きくため息をついて、言った。


「悪かった」

「ん? ううん、こっちこそあれこれ聞いてごめん……あ、今のは、あの」

「聞かなかったことにしておく」

「……ありがとう」


 呆れたように笑って、アティは「良くないな」とぼやく。


「アオバは何を言っても、受け入れてくれるから……感情的になってしまって、良くない。肯定してもらえないとガッカリしてしまう。自分だけはそうはならないようにしようと、気を付けているつもりなのに……」

「そう思ってくれる気持ちだけで十分だよ」

「いや、良くない。道義に反する」


 アティの頑固さに苦笑しつつ草むらを抜け、ペルルを下ろす。門が見える方角に顔を向けると、一人やたらときらきらとしていて目を惹く人物が遠目に見えた。彼らも無事に通してもらえたようだ。


 こちらに気づいたリコルがウェルヤを引っ張るようにして駆け寄って来る。


「無事でよかった。何か騒動があったようだけど……」

「ええと、色々ありまして……あっ、でも、怪我人は出て無さそうでしたよ」

「そうか。それは良かった」


 穏やかな声で言いながらリコルは一人一人指さして人数確認を取り、満足そうに頷いて、「今日はもう休もうか」と続けて周囲を見渡し、宿を見つけるとそちらに向かって歩き出した。


「ミデスか。サネルチェ公国の南東部だ」


 町の入り口にかかった看板を、ユラが読み上げる。先に宿に入って交渉をするのはリコルに任せて、町を通る川を眺めていると、魚が泳いでいるのが見えた。水草や水底に転がる石一つ一つが見える程澄んだ水は、夕日を反射させていて少し眩しい。


「お魚いるね」

「おさかなー」


 なんとなくペルルに話しかけると、ペルルは隣で川を覗き込んで復唱した。


(魚は意外と見慣れた見た目だな……アカヒレタビラっぽい)


 背びれや鱗の雰囲気から似た魚を思い浮かべる。名を上げたそれは手の平に収まる大きさだったと記憶しているが、今目の前を泳いでいるのは両手で抱えなければならない程に大きい。鯉ぐらいはあるだろうか。元いた世界にいたら、『変異個体』だとか『怪魚』だとか言われてしまいそうだ。


「何かいた?」


 交渉は終わったのか、リコルが後ろから川を覗く。つられたようにテルーナも川を覗き、「オドドモ・ドパですねぇ」と、不思議な響きの名前を口にした。


「あの魚の名前ですか?」

「はい。見た目は鮮やかで綺麗ですけど、毒があるのでぇ、食べられないお魚さんですね~」

「へぇ……毒のある部位だけ取り除いて食べたりとかは、出来ないのかな……」


 フグみたいに、免許を取った人なら捌けたりしないだろうか。完全に独り言のつもりだったのだが、静かになった周囲が気になって顔を上げると、リコルが心底心配そうな顔で肩を叩いた。


「そんなにお腹が空いていたのか。気づかなくてすまない」

「え?」

「この辺りはぁ、キローの包み焼が美味しいらしいですよぉ」

「なら、今晩はそれにしようか」


 どうやら、毒魚でもいいから食べたいと思う程に空腹なのだと勘違いされたらしい。実際空腹ではあったので(馬車で移動していた道中、リコルから貰ったパンしか食べていない)、わざわざ訂正する必要も無いかと、郷土料理らしいキローの包み焼とやらを食べに行った。簡潔に言えばミートパイだったが、やはりと言うべきか、香草の香りが強かった。


***


 食後、取って貰った宿の部屋は男性陣と女性陣に分けられていた。ペルルは女性なのかという謎があったので(見た目としては少女ではあるが)この部屋分けでいいのか少し悩んだが、意外にもペルルがテルーナに懐いていたので、一晩だけ預かってもらうことにした。ユラも見ていてくれるそうなので、大きな問題は起きないだろう。


 男性のみの部屋で、ベッドの一つに転がって息を吐く。歳が近い面々と、年上ではあるが悪い人ではないのが分かっているウェルヤだけの空間は、非常に気が楽だ。


「今って何時ぐらい……」


 言いかけたところで、外で鐘が鳴る。九時頃らしい。


 お祈りの時間に鐘を、という話はここまで広がっているようで有難い。情報の伝達能力の高さと信仰深さに、やや恐ろしさを感じなくもないが、それはそれとしてオーディールの復活が順調になるのは喜ばしい。


 アオバとは違う理由で(おそらく、同年代との宿泊が新鮮で楽しいらしい)にこにことしていたリコルは、窓の外を眺めてから言う。


「土贄の儀みたいだ」


 あまり楽しいとは言えない話題に、少しぎくりとする。神妙な面持ちになる面々に反して、リコルは特に態度を変える事なく穏やかな様子で夕空を見つめている。深い意味は無かったらしい。


「お……お祈り、しましょうか。御使い様もいますし」


 話題を変えようと、ウェルヤが無理にそう言った。窓からこちらへと視線を移し替えたリコルは、「昼間もしたけど……」と言いつつ頬をかいた。


「眠気もないのに寝る前のお祈りなんて……」

「馬車の中で眠るからですよ」

「ね、寝ないつもりではあったんだよ……睡魔に負けてしまっただけで……ああもう、小言は後にしてくれ」


 子供っぽく拗ねた様子でウェルヤにそう返し、リコルはむくれた表情で指を組んだ。アオバもベッドから起き上がり(アティは既に祈りの体勢になっていた)、同じように胸の前で指を組む。


「──私たちの生命の光よ、救いの道を照らしてください……」


 友人によく似た、自身の調子に周囲を巻き込んでしまうような、毒牙を抜く穏やかな声が定型文を読み上げる。


「今日の誤りは明日には真実を、今日の悲しみは明日には喜びに、今日の理解は明日からの愛に……罪が夜に溶けて、朝の恵みとなるように、この大地に祈ります」


 今日が駄目でも、明日にはきっと……。そんな願いが込められた祈りを、小さな声で復唱した。


***


 目を閉じ続けていれば、瞼越しに感じる赤い日差しもいずれ遮断され、真っ暗になる。周囲から聞こえる規則正しい寝息に合わせてこちらも呼吸をすれば、じわじわと眠気がやって来る。それが無性に怖くて、目を開けた。


(……何時だろう)


 赤い日差しに目を細めていると、窓辺に腰かけて外を眺めていた人物がこちらを振り返った。


「……閉めようか?」

「いえ……」


 眩しくて寝付けなかったと思ったのか、リコルは端に寄せていたカーテンを手に取った。そうではないと首を振るが、彼は半分程閉めて日差しが顔にかからないようにした。一人で黙っていると良くない考えや連想を──いっそ毒を食らって、己の命に期限でもつけてしまおうかなどと考えたり──してしまいそうで、逃げるように声をかける。


「リコルさん、起きてたんですね」

「ああ。少し眠れなくて」


 声を潜めて、彼は窓辺から自身が使う予定のアオバの隣のベッドへと静かに移動した。それからちらりと視線を向かいのベッド──従者であるウェルヤが使用している──に向けて対象が眠っている事を確認すると、安堵したように肩の力を抜いた。


「アオバ君は寝た方がいいよ。怪我の治癒に力を使ったんだろう? 明日はきっと寝過ごすだろうから……」

「……それで……皆に迷惑をかけてしまわないか、不安なのかも」

「何故?」


 聞き返されると思っていなかっただけに、短く「え?」とだけしか反応できなかった。目が合った彼は相変わらず周囲の空気をキラキラとさせていて、不思議そうに目を瞬かせている。


「君はその力で出来る事をして、その代償に夢を見ている。私はそれを理解しているし、向かう先は同じで、君一人を運ぶぐらいなら大した迷惑では無いよ。誰にも迷惑をかけずに生きていく事は、誰にだって出来ないことではないのかい?」

「……そう、ですね」


 それもそうか。友人によく似た穏やかな声に、心底不思議がられてそう言われると、妙に納得してしまった。何を恐れていたのだろうか? 何に怯えているのだろうか? これから向かう先に、土贄の儀の神様のような怖気づく存在は何もいないのに。確かに胸の内にある不穏な感情から目を逸らし、彼の言葉に頷く。


「寝ます」

「ああ。おやすみ」

「はい、おやすみなさい」


 笑って、目を閉じるほんの一瞬、こちらを見つめたまま考え込むリコルが見えた気がした。


 ……。翌日、アオバが目覚めたのは昼過ぎだった。

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