□ 06

 用意してもらった馬車は大きさこそこの人数でも申し分ない程のものだったが、形は荷馬車に近い造りで座席というものは無かった。一度に大勢を運ぶ目的のものらしく、上流階級だろうリコルはこれで不満は無いのだろうかとそらりと顔を窺うと、些か興奮した様子で目を輝かせていた。聞く人によっては顰蹙を買いそうだが、『新鮮』なのだそうだ。


 ウェルヤは雇った御者と並んで御者台に、荷台には奥から順にリコル、テルーナ、ペルル、アオバが乗り込み、出入口にあたる後方にアティが座った。ユラは見えていないという都合上、壁と荷台の狭間に入った(中と外とが見えて丁度良いらしい)。


 全員の乗り込みを確認し、馬車はカラカラと車輪を回し始めた。窓を覗くと、夕暮れに変わっていく空に下に異質な壁が木々の真ん中にポツンと建っているのが見えた。


(壊れたものを直した……ってことは、あの壁って稼働可能だったものが壊れて、動かなくなっていたってことだよな)


 つまり、アオバやラピエルがその場で作り出したものではなく、以前から世界中に存在していた。精霊に対する明確な敵意を放つ、人間と精霊を分断する為の壁。


(ルファが聞いた声が幻聴ではなく、本当だとしたら……ラピエルは複数の人物の集合体だ。ペルルや、フラン・シュラと同じようなもの。そしてラピエルとして表立って話している人物……“アヤちゃん”も、その全てを掌握できていない)


 ぼんやりと景色の中央に入った壁を眺めながら、考える。“アヤちゃん”が攻撃的な言葉と相手を気遣う言葉を混ぜていたのは、意に反する言動を制限する声がいたからだ。聖女だったケルダが星詠みの前でその“役”を演じ続けたように、そうすることで批判的な内部の声を抑え込んでいたとすれば……。


(わかんないのは、『人間を守ろうとしている』って声の人が、“アヤちゃん”と連携を取っているとは思えない点か……その声の権限が強ければ、精霊と敵対する壁なんて──)


 さらっていた記憶に何かが引っかかり、一旦考えを止める。


 ──『精霊から人類を守りましょう』


 逆だ。精霊を敵としているのなら、人類を守る為に精霊を遠ざける壁は必要だ。だが何故? 人類を贄にするといったラピエルの中に、人類を守ろうとする意志の人物が紛れ込んでいる?


 ──きらきら、あつめてるひと……ひと?


 あの時、ペルルが明確にその人物を人だと言わなかったのは何故だ?


(きらきら、は……リコルさんの事もペルルはそう呼んでいるし……ユラさんが言う“運命を司る者”の事、でいいんだよな? でも、それを集めていたのは十年前の神様、人食いの怪物の方じゃなかったのか?)


 ──キミじゃなくてもよかった、ワタシじゃなくてもよかった。


 なら、どうしてラピエルは生まれてしまったのだろうか。納得した誰かでは駄目だったのだろうか。


 ──土贄の儀は、神様に選ばれる素晴らしい事……『お前は神様に選ばれたんだ』って……。


(……ああ、違うな。違う。神様に選ばれたんだ。ラピエルはずっと、そう言ってた。この世界の人間が選んだって……)


 ──可哀想に。


 ──誇りや矜持の為に一生を賭けるなんて、馬鹿のする事だって気づきやしない。


(戦争を止めようという聖女の矜持は素晴らしい事だけど……後世の贄からすれば、聖女さえ保護区に行かなければ、怪物の餌になる儀式なんて作らなければと、思うのは当然か……)


 善意でその身を捧げて勝負に出た人物の思いが、後世の贄にとって一番の悪意なのだ。大勢の贄を想ってその言葉を吐いた『アヤちゃん』は、やはり良い人なのかもしれない。


(話してみたいなぁ……争う前に、きっと分かり合えるはずだから……)


 ……。


 気づくと一睡していたようで、窓から差し込む日差しは赤く染まっていた。寝過ごしたかと一瞬ギクリとし、まだ見覚えのある馬車の中だと気づいて胸を撫でおろす。何時ごろだろうかと癖でポケットを探ると、目覚めた事に気づいたペルルが構えと言いたげに頭を腕に押し付けてきた。その鈍い痛みで寝ぼけていた頭が徐々に覚醒すると、スマートフォンはもう使えないのだったと思い出し、なめらかな表面を撫でていた指をポケットから出した。


「あよお」

「おはよう……でいいのかなぁ……」


 夜だよね、と続く予定だった言葉は、ユラを探して周囲を見渡した際に目に入った、最後尾で外を見ていたアティの『静かに』という手振りで止まった(ユラは車体の外から声を聞いて顔を覗かせた)。彼が指した方を見ると、リコルとテルーナが互いにもたれかかるようにして眠っていた。二人はアオバが能力の反動で眠っていた三日間も動き回っていたはずなので、疲れていたのだろう。


 テルーナが目覚めたら心臓がどうにかなったりしないか心配しつつ、少し場所を移動して、アティの近くに寄る。さすがに揺れる馬車の中を座った体勢で眠るのは体にきたようで、やや関節が痛かったが、そんなことは知る由もないペルルが背中に乗ってきた。


「アティはずっと起きてたの?」

「まあね。二週間程なら寝ずに働ける。……効率は悪いが」

「はは……無理しちゃ駄目だよ」

「アオバには言われたかない」


 背中の重みに構いながら、一緒になって外を眺める。とっくにラメランディカルは過ぎ去り、寂れた町を脇目に馬車は進んでいく。居住区と思わしき建物の壁や窓はひび割れ、全体的に埃っぽい。廃村かとも思ったが、時々人が歩いている姿が見えるので、ただ寂れているだけだろう。


「寂しい雰囲気だね」

「聖職者が権力を振るっていた町は、どこもこんなもんだ。これでもまだ、人が住んでいるだけマシな方だな」


 そう言って、アティは寂れた町中のひらけた空間(元々は広場だろう)に置かれた、すっかり朽ち果てた木材の山を見てため息を吐いた。


「あれ、何?」


 気になって尋ねると、アティは背から降ろして抱えていた大剣を撫でた。


「処刑台」

「えー……」

「リヴェル・クシオンは王族という明確な信仰対象や先導者がいないから、よく国内が荒れていてね……才能があったり、特別容姿が美しかったり愛嬌のある人を、信仰対象にして担ぎ上げる事で安寧を得ようとしていたんだ。その内に、“信仰されるに相応しい人間であれ”なんて理想を求めるようになった。その潔癖さは信仰が続けば続く程小さな汚れも見過ごせなくなっていき、些細な事から何人も処刑台に送っている」

「変わった文化だね……」

「文化か。まぁ、文化かな……」


 カラカラと車輪が回る音と、整備されていない土の上を走る振動の音が静かな町中に響く。蜘蛛の巣が張った、かつて処刑台だった廃材の奥に、横に広い白い建物が見える。例にもれずその建造物もすっかり廃れていて、人は住んでいないように見えた。


「……教会、かな? 広そう」

「ああ。大教会、なんて呼ばれていたらしいな」

「へぇ~」


 リコルたちが目覚めてしまわないように、小声で感嘆の声を漏らす。大教会の名にふさわしい大きな建物は、アオバの身長など悠に超える縦に長いステンドグラスが壁にずらりと並んでいる。今でこそ埃をかぶり、水垢で汚れたり割られたりとしているが、人の手が入っていればさぞ目を張る存在だっただろう。


「ここから全国に教会が広まったとか?」

「いや、元祖はクレモント王国にある。ここはただデカいだけだが、町全体が信者で構成されていて、もはや一つの国と言っても差し支えのないものだったとかで、筆頭聖職者を『教会の主』なんて呼んでいたのは俺も聞いたことがある。『主』は学が無いなりにも読み書きを教えたりと熱心な人物だったそうだが、随分前に突然失踪したらしい。以降は、信者が跡を継いだりもしていたようだが、現状を見るに……上手くいかなかったんだろうな」


 身勝手な信仰と、処刑の多さに疲弊したのだろうか。淀みもほとんどなく、つらつらと語られる声変わり前の掠れた少年の声に耳を傾けながら、ふと思う。


「詳しいね。アティの出身ってこの辺り?」

「俺はシャニア出身ということになっている」

「なっている……」


 口が滑った、と言いたげにアティはやや苦い表情を浮かべた。長い前髪の奥で、朱色の目がちらりと背後を確認してから彼は言う。


「 “精霊の匿い子”なんだ。連れ去られた時期も場所も分からない。記憶も、名前だけで他は一切無い。だから一応、発見されたシャニアが出身地になっている……それだけの話だ」


 だから歳を聞いた時に曖昧に答えていたのか。どうして一人旅なんてしているのか、家族はどうしたのだろうかと思っていたが、そもそも分からないのか。道理で聖騎士の名簿とやらに名前が載っていないわけだ。テルーナが提案したように、未成年の間だけでもどこかに預かってもらった方がいいかもしれない。


「ごめんね、聞いちゃって」

「別に隠すような話でもないから、気にするな。というか、なんだ……アオバと話すと尋問でもされているみたいだ」

「え。ごめん……?」

「いや、つい話しすぎるという例えだ。謝らなくていい」


 そう言ってはにかんで、アティはまた寂れた町を見た。町の出入り口らしき門は壊れ、ほとんど門の役割を為していない。だからこそ見える墓地は荒れ果て、墓荒らしにでもあったのか、一つの墓は掘り返したような穴が開いていた。それも、だんだんと遠ざかっていく。


「知り合いが、さっきの町出身なんだ。たまに、酔うと故郷の話をしてくれるから、少し詳しかっただけだ」

「ん……もしかして、前に話してくれた筆まめな人?」

「ああ」


 少しひんやりとした風がペルルの白い髪をさわりと撫でた。そろそろ冷える季節に本格的に切り替わろうとしているようだ。上着を着るべきかどうかで少し悩ましい時期でもある。


「変な奴だけど、聖騎士としてはあれが正しいのだろうな」


 銀灰色の髪を赤い日差しで照らしながら、アティは言った。


「妻も子供も失って、何人も贄を運ばされて……そんなことが無ければ、後先を考えない勇猛果敢なだけの馬鹿が英雄にはなっていなかっただろう」


 やれやれと、アティは肩をすくめる。以前から言い振りに棘があるような気がしていたが、もしやアティは“英雄様”が嫌いなのだろうか。


 大き目の石でも踏んだのか、馬車がガタリと揺れた。反動でテルーナが目を覚まし──間近で眠るリコルに気づき、飛び上がった。


「うにゅおあわ!?」

「う、うん……?」


 奇声で目覚めてしまい気だるげに目をこすったリコルに、テルーナは顔を真っ赤にしながらペコペコと頭を下げる。


「すみませんっすみませんッ! 起こすつもりでは!! どうかそのままお休みください……!」

「んー……もう着いた……?」

「ま……まだですよぉ」

「そぉ……」


 完全に覚醒したわけではなかったようで、リコルは再び彼女の肩を借りてうとうととし始めた。ガタガタと揺れる馬車の中でも気にせず規則正しい呼吸を繰り返す彼を、テルーナは安堵した様子で見つめている。


「……幸せでいてくださいね、リコル様」


 囁いた声は優しく、しかしどこか暗示を刷り込んでいるようでもあった。

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