□ 05
思っていたよりも元気そうで良かった。
ルファの部屋を後にしながらそう思っただけのつもりのその言葉は口から漏れ出ていたようで、「そうだな」とアティが相槌を打った事でそれに気づいた。思わず苦笑するアオバに、アティは突拍子もなく言い出した。
「アオバは随分、女性の扱いに慣れているな?」
「っ!? え、な、なんで……そう思うの?」
糾弾ではなく単なる感想といった風ではあったものの、遠まわしに女性関係に節操がない奴だと言われた気がして、慌てて「そんなことはないよ」と首を振る。
「普通だよ、普通」
「そうか? 俺がやったらマズイ絵面になるような事も平然とやるから……」
「アティがやって駄目なら、僕がやったらより駄目だって」
背丈を考えればアオバの方が体格も良く、成人に近い。迂闊に年下の少女と触れ合うのは、傍目から見ると危ない絵面だろう。どちらかといえば異性関係は慎重なつもりだが、こちらの世界に来てからペルルにハグを要求されたり、リコルの距離間などに慣れつつあったせいか、本来アオバが持つ距離感がおかしくなっている点は否めない。
「これからしばらく、複数人で行動するのだから無闇な行動は控えてくれると助かる。あのリコルですら、テルーナとの距離感はしっかり取っているからな」
「え、そうだっけ……」
「緊急時以外は触れすらしないぞ」
言われて思い返してみれば、テルーナが倒れそうになった時や引き留める時以外は、他の人よりも距離が空いていたように思う。実は苦手だったりするのだろうか、それとも昇進した幼馴染と上手く話せずに気まずいだけだろうか。
「そっかー……誰に対してもぐいぐい行く人かとばかり」
「そういう面もあることにはあるだろうな。本気で嫌がられると、止めるようだし……まあ、ウェルビリングは無視されているみたいだが」
それは彼が本気で怒っていないからではないだろうか……。文句を言いつつも見離さないのは、他人であるアオバですら分かる。リコルもそれに甘えているところがあるのだろう。本人が落ち込む程には無能だのなんだのと罵られることが日常茶飯事なリコルには、甘やかしてくれる人は必要だとは思う。それにしたって扱いが雑な気はするが。
会話をしながら部屋の方向に向かっていると、ひょっこりと話題の人物が宿の入り口から顔を覗かせた。
「あっ。アオバ君、もう戻っていたのか」
「はい。リコルさんも散策は終わったんですか?」
「ああ。リヴェル・クシオンは面白いな。見た事ないものがたくさんある。あ、そうそう、これならアオバ君も食べられるかと思って買ってきたんだけど……」
穏やかな声を弾ませながら、リコルは口を挟む余裕も与えない勢いで、先ほどから抱えていた紙袋を差し出した。受け取ると、その僅かな弾みで袋の隙間からローズマリーとパセリが混ざったような香草の香りがふわりとした。何だろうかと思っている間に後ろからウェルヤとテルーナが宿に戻ってくる。
「なんですか、これ?」
「パンだよ。中でも香りが少ないものを選んだのだけど、どうかな」
紙袋を開けると、表面が少し堅そうな丸パンが入っていた。隣で精一杯背伸びをして中を覗きこもうとしているペルルにも高さを合わせて見せる。やはり食べ物に興味はあるらしい。
「わざわざすみません」
「いや。知らなかったとはいえ、君に慣れないものを食べさせていたようで、悪かった。本来ならああいう、少量でお腹が満たされるものを取るんだろう? 小食なのも頷ける」
「い、いえ、別にあれが主食というわけではないです……」
勘違いはなるべく早めに正しておこうと、訂正すると、彼は「あれ? そうなのか?」と小首を傾げた。
「あれはお菓子と言いますか……おかずの一種と言うか……」
「どっちだ?」
「両方?」
「ふうむ」
分からない、と言いたげに唸る彼の斜め後ろからテルーナが顔を出すと、リコルは道を譲るように半歩退いた。確かに距離を取っている。
「そういえばアオバ君。用事ってなんだったんですかぁ?」
「人攫いの犯人たちに面会希望を……」
「──トドメを刺しに?」
「怪我を治しに、です」
発想が物騒なリコルに、釘をさすように強く言葉を付け足す。「そうか」と、妙に残念そうにするリコルの思考が分からず困惑していると、ため息交じりにウェルヤが口を挟む。
「散策ついでに、関所までの馬車を手配しましたので、準備をしていただけますか。二時間後には出ますよ」
「急ですね」
「リコル様は大体いつもこうなので」
その言葉を嫌味とは捉えなかったようで、「ウェルヤはきちんとついて来てくれるから助かるよ」などと笑顔で宣うリコルを指さして、ウェルヤは縋るようにこちらに向かって言う。
「無理をして合わせなくても良い主人になるよう、御使い様からも何とか言ってもらえません?」
「ちょっと僕には無理ですね……」
「御使い様が止められないなら、もう誰にも止められないじゃないですか」
冗談まじりに話しながら部屋の方に向かおうとして、アティに止められた。
「まだ回復しきってないだろう。荷物といっても鞄一つだ、俺が取って来る」
こちらの返答を聞かず、アティはウェルヤを連れて二階へと上がって行った。頼んでしまって良いのだろうかと悩むアオバとは正反対に、リコルは慣れた様子で壁にもたれ掛かって彼らを待つ体勢になった。従者を連れ歩くのが当然の地位の人間はやはり住む世界が違う。
「テルーナさんは、荷物は……?」
「常に持ち歩いている分以外はぁ、その時々で買うようにしてますからぁ、これだけですねぇ」
移動せずにリコルの傍にいる彼女は取りに行かなくていいのかと曖昧に指摘すると、テルーナはこじんまりとしたベルトポーチを指した。金銭と小物が少々入る程度で、着替え等は行く先々で調達しているそうだ。本人いわく、「急いで追いかけてきたから準備が整ってなくて」とのことだった。
「ま~、案外どうにかなってますよぉ」
「……? 何か良い事ありました?」
にこにこと愛想のよい笑顔で受け答えをするテルーナについそう尋ねる。「いつもより嬉しそうなので」と付け足すと、彼女はじわじわと口元を綻ばせた。
「分かりますぅ? えへへ……実はさっきの散策の時に、リコル様が『前に、町の散策に連れ出してくれた事があったよね』って仰ってくださって……うふふ」
「あ、いや、私が忘れっぽいという話ではなくて……当時は、その……心ここにあらずという状態が続いていたから、覚えていた事が意外だったみたいで」
リコルはそう補足して、そう多くない友人であるテルーナに侮られたと思ったのか、「大事な思い出の一つなんだから、勿論覚えているのに」と、やや不服そうにぼやいたものの、嬉しそうににこにこし続けている彼女を見て怒る気は無いようで、小さくため息を吐いて視線を外に逸らし……ふと、視線をこちらに戻した。
「そういえば。勝手に予定を進めてしまったけれど、アオバ君はもうこの国でやり残した事は無いかい?」
「あー……実は一つだけ、残っていて」
「何だい?」
「壁の様子を見に行きたかったんです。フラン・シュラになってしまった人々に、謝罪の一つでもと思っていたのですが……」
さすがに少し遠いしなぁ。と声には出さず思うだけに留めておくと、テルーナが不思議そうに首を傾げた。
「謝罪って、何のです?」
「殺してしまった事に対する、謝罪です。許される事ではないですが、背負っていくにしても一言謝罪は必要かなって……」
「──俺には動く泥にしか見えないが、慈悲深い兄ちゃんに教えてあげよう。祈りとは、場所も時間も問わないものなのさ」
割り込んできた声に驚いて声がした方向に顔を向けると、荷を大きな布で包んだぼさぼさ頭の男──旅商人のフィル・デ=フォルトが、勝手に窓を開けて顔を覗かせていた。
「やあやあ。精霊が楽し気だと思ったら、リコル坊ちゃんと御使い様じゃあないか」
「フィル・デさん。どこかにお出かけですか?」
「そりゃ、旅商人だからね。旅をするもんだろう?」
言われてみればそうか。どの町でもいるから、ずっと滞在しているのかと思ってしまっていた。……と同時に、同じ顔の人間が何人も存在し、どの町にもいるという不思議な状況をすっかり受け入れてしまっていることに気づいた。慣れとは恐ろしい。
話しぶりからして、星詠みの屋敷に向かう直前に話していたフィル・デのようで、彼は窓枠に肘をかけて、晒している口元に、ニタニタとした笑みを浮かべた。
「ま、旅をすると言っても、この町には別の俺がまた滞在するから、この町の人間からすれば一日見かけなかったな~程度のものだよ」
「それなら、別に旅をしなくてもいいのでは?」
「旅商人だからね──同じ毎日をただただ繰り返す日々なんて──昔は平気だったけれど、変わっちまったもんはしょうがない! 苦しいよりも楽しい日々を送りたい! それがフィル・デ=フォルトって奴なのさ」
歌うようにそう言って、フィル・デは立てた一指し指を振った。
「坊ちゃんたちも、そろそろ旅に出るのでしょう?」
「耳が早いな。旅といっても、国に戻るだけだよ」
「相も変わらず素直に育っておいで、涙で目の前が見えなくなりそうですなぁ」
どこか乾いた笑みと共におおげさに言って、フィル・デは続けた。
「素直であることは良いですが、あまりウェルビリングに負担をかけすぎないように。追い詰められた人間の前に、柔いモノをぶら下げておくのは危険ですからな」
「……? うん、分かった。忠告として覚えておこう」
多分分かってないまま頷いたな、と思いつつも口は挟まないでおく。興味をパンからフィル・デに移したペルルが、少し背伸びをして窓辺に顔を出す。
「ふぃるでは、りこるしってる?」
「へへへへ。昔の話さ、掘り返すようなものでもないよ」
お互い良い旅を、と片手を振って、フィル・デは去って行った。嵐というよりはそよ風のような、いつの間にか現れて何をするでもなくふらりといなくなるような人だ。遠くなる旅商人の背を感慨深そうに眺めるリコルをぼんやりと視界に入れながら、さらりと告げられた言葉を復唱する。
「お祈りは場所も時間も問わない、か……」
「じゃあ、ここで祈っておきましょぉかぁ」
ポーチの中から小さな聖書を取り出して、テルーナはページを捲った。思わず「持ち歩いているんですか」と聞くと、「ええ、勿論ですぅ。これでも聖職者でもありますからぁ」と笑って、開いた聖書で口元を隠した。
「神様なんてもの、信じてはいませんけどねぇ」
笑う目元とは正反対に冷えた口調でそう続けて、テルーナは祈りの言葉を音読する。覚える事も煩わしいと言いたげではあったが、アオバの為にわざわざ読み上げてくれている心意気に感謝し、アオバは指を組み、そっと目を閉じた。それから、口の中で謝罪の言葉を告げる。何の心構えも無いままに、殺してしまった事への謝罪だ。
(全部終わったら、お墓を作ろう……)
人数分といきたいところだが、溶け落ちて混ざり合う性質を持つフラン・シュラを見ても正確な数は把握できないので、慰霊碑のような形が妥当なところだろうか。この世界に存在したという証を、端の方でもいいから残しておこう。
(それぐらいしか出来ない。ごめんなさい……)
短い祈りの定型文はすぐに読み終わり、少し間があってから、パタリと本が閉じる音と共に目を開けた。目の端にうっすらと滲んだ涙を拭っていると、閉じた聖書を両手で挟むようにして持っているテルーナは、もの言いたげな顔をしてじっとこちらを見ていた。
「ありがとうございます」
「……まぁ、いーですけどぉ」
バツが悪い顔をしたテルーナを見て、リコルは「意地悪しちゃ駄目だよ」と、どこか困ったように笑っていた。なんの話かと首をかしげると、ユラが少し遠くを見ながら言う。
「神様なんていないのだから祈るだけ無駄だし、アオバを御使いだとも思って無いけど、祈りたいなら手伝いますよ、無駄だけど~。という嫌味だったんじゃないのか」
遠まわし過ぎてさすがに分からなかった。アオバと並んでお祈りをしてくれていたペルルを褒めている内に、アティたちが返ってきた。荷物を受け取ろうと手を伸ばすと、引っ込められてしまった。
「体調が戻ったら返してやる」
「そんな」
短くやり取りをしている間にも、リコルたちは宿を出ていた。代金の支払いはいいのかとユラに目で伺えば、「初日にリコルが出したぞ」と新事実をさらりと教えてくれた。それはもっと早く聞いておきたかった。何から何まで世話になっていたなんて。
「アオバ君、行くよー」
「あ、はい」
宿の扉をアティが押さえ、外からリコルたちが振り返って待っている姿が見えて、慌ててペルルの手を引いて駆け出した。
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