02-4 演者は言う

◇ 01

 王都聖騎士十番隊と、(治してから知ったが、いたらしい)七番隊の負傷者の、見える範囲の怪我の治癒を行ったアオバは、動けなくなっていた。極度の眠気で頭を揺らしていると、七番隊の隊長であるシュザーがしかめっ面で近づいてきた。丸々消失していた左胸の修復が済み、とはいえ服は溶けたままなので丸出しという妙な恰好になっている。


 自身も重傷から復帰したばかりで貧血気味だというのに、隊員たちの点呼やら意識の確認などを行っていた彼は、半分眠り始めていたアオバの頬をペチペチと叩いた。


「おーい、寝ないでください、御使い様」

「ん……うん」

「隊員たちの様子はどぉですかぁ?」


 もはや応対はできないと判断したのか、テルーナが代わりにシュザーに話しかけた。見知った仲らしい彼らは、顔を合わせるなり「髪乱れまくってますなぁ」「そっちこそぉ」と軽口を交わした。


「全員確認できました。当然、死人はいません」

「でしょうねぇ。私たち、一旦お屋敷に戻ります。向こうで精霊がバタバタしてるんでぇ……何かあったっぽいですしぃ」

「ですな。まあ、不穏な空気は感じないんで、大方民衆の暴動といったところでしょう。ここは俺が見ときますから、気絶した連中を連れ帰る為に、何人かこっちに呼んどいてくれれば」

「はいはーい」


 会話を聞き流しながら、隣に立っているペルルの手か肩を叩こうとし、腕が持ち上がらず、ため息をついた。


「ペルル……手紙、渡してきて……」


 口だけは何とか動かしてそう言えた。ただ、体が怠くて動かない。以前のような、目の前が明滅したり吐き気や頭痛は無いが、ひどく眠い。


「これ」

「うん……多分そう……」


 俯いていたので見えないまま返事をする。さすがに少し戸惑った様子のペルルはユラに見せたのか、ユラから「合ってるぞ」とお墨付きを貰い、彼女に案内される形でビッカーピスの方へと小走りで去って行った。


 どうしても閉じてしまう瞼がむず痒くて、目頭の辺りを指で押さえてみたりと抵抗をして、ペルルたちの様子を窺うと、ビッカーピス本人はまだ気絶中だったようで、すぐ近くにいたエディベルに差し出しているのが見えた。受け渡しを終えると、パタパタと足音を立ててペルルが戻って来る。


 重い瞼をこすって、ペルルのような呻き声をあげている内に、テルーナに小脇に抱えられた。


 行きと同じくリコルたちを抱えて戻るつもりなのか、テルーナは軽く腕を回した。それを見たリコルが、ペルルを抱えた。一度足をバタバタさせて抵抗したペルルは、ユラに窘められると大人しくなった。


「アオバ君寝てしまいそうだから、今回は私がペルルを持とう」

「あおば、ねんね?」

「まだ起きてる……」


 ぼやけた声で返事をするアオバを半ば荷物のように抱え直し、テルーナはリコルに空いた手を差し出した。


「リコル様も」

「ああ。……本当に平気か、テルーナ?」

「休憩したので、もう大丈夫ですぅ」


 一度使うだけでも立っているのがやっとの力を、二度も使ったテルーナを労わるリコルに、彼女は『貴方がそんなことを気にする必要は無い』とばかりに、あっけらかんとして返答した。


「私は、聖騎士ですからぁ」

「……そうだな」


 何か言いたげな表情をして、少し間を開けてリコルは頷いた。彼女の隣に寄ると、大人しく抱えられた。


「じゃ、後はお願いしますね~」


 残ったシュザーとエディベルに振り返り、テルーナは地面を蹴った。


***


 ガクン、と体が大きく揺れて、眠りかけていた意識を取り戻した。屋敷に着いたのだろう。未だに降ろされないのは、寝たと思われているのだろうか。指先すら動かせない程に疲れ切っていたので、申し訳なく思いながらも、この状況に甘えさせてもらっていると、穏やかな声が聞こえてくる。地面以外見えないが、おそらくリコルだろう。声だけ聴くと、本当に友人によく似ている。


「あの騒動の余波は、この辺りまで来ていたみたいだな。地割れがすぐ近くまである」

「フラン・シュラが押し寄せてなくて良かったですねぇ」


 どこかのほほんとした二人の会話を聞きながら、またうつらうつらとし始める。


「……荷物じゃないんだ、もう少し丁寧に扱わないか」


 それにしてもあの騒動を最前線で戦っていた割に、この二人は随分体力に余裕があるな、などと思っていると、聞き覚えのある少年の声が聞こえてきた。声変わりが始まったばかりの掠れた声は、駆け寄って来てくれたのか、すぐ近くになった。


「また倒れたのか?」

「アティちゃん、帰ってたんですねぇ。ちょっと遅かったです?」

「状況説明をしていたら、日を跨いでしまった──というのは、また後にしよう。聖女の容態が悪化しつつあるから、アオバに治して貰いたかったのだが、この状態だと……」


 力を振り絞って、腕を持ち上げた。手前にいた誰かに触れる。子供っぽい体温だったから、アティかもしれない。


「起き、てる……よ……」

「動けるか?」

「できる……だいじょぶ」

「……分かった。とりあえず来てくれ」


 アティに先導されて、テルーナが小走りになる。見覚えのある道がどんどん通り過ぎていき、気づけば屋敷の中らしい木張りの床になった。玄関ホールらしいその床は傷だらけで、硝子の破片が散らばっている。


「何かあったのか?」


 リコルが尋ねると、アティは「さあ?」と返事をした。


「俺が着いた時には、避難民から形を得た“黒い霧”が発生していて、聖女を取り込もうとしていた」

「討伐は終わりましたぁ?」

「ああ。十番隊が損傷を与えていたおかげで、すぐ倒せた」


 アティの返答に、テルーナは疑っているのを隠しもせず「ふぅん」と相槌を打った。聡い彼は気づいていそうなものだが、それに突っかかる事はせず、階段を上がっていく。


「──うわっ、な、なんだ、テルーナたちっすか」


 階段を上がりきった先の曲がり角にいたのか、ぎょっとした様子のリッキーの声が響く。咳払いの後に「隊長は?」と尋ねる彼に、テルーナは冷めた口調で「首飛ばしただけで生きてますよぉ」とあっさり答えた。


「首、を……」

「気絶してる隊員運ぶのに、何人か応援が欲しいってシュザー様から言伝を預かってますぅ。出入口付近でうろうろするぐらい心配なら、迎えに行かれては~?」


 むぐ、とリッキーが口籠った。狼狽えはアオバの目が届く範囲である足先にも現れていたが、彼は再びわざとらしく咳払いをすると、ヘラヘラとした態度を装った。


「いやー? 俺より気にしてる奴が山ほどいるんで、そっちに頼むわ。俺は聖女様を守るのが優先だし?」

「あっそ」


 そんな彼の様子を見て、アティは小さくため息をついた。リッキーとは既に顔を合わせていたのか、アティは「聖女の容態は」と逸れた話題を戻すように尋ねると、彼は言いにくそうに「あー……」と声を漏らす。


「今は、ちょっと……いや、入った方がいいのか……?」

「何かあったのか?」

「見たら分かるっつーか……」

「……? とりあえず、案内してくれるか。アオバが寝てしまう」


 アティに言われて、リッキーは「こっち」と案内を始めた。大人たちの足音に交じって、子供のパタパタとした足音が、抱えられているアオバとは反対方向からぐるりとこちらに回って来て、視界の端に白い毛先が映る。


「あおば、ねんね?」

「まだ……」

「ねちゃう~」


 遊ばれているのか、心配されているのか、抑揚のないペルルの舌足らずな声からはイマイチ分からないが、何とか口を動かす。そろそろ舌が回らなくなってきた。


「ここっす。し、失礼しまーす」


 ある一室の前で一行は足を止めると、リッキーが控え目に扉を叩き、開けた。


「──何をそう警戒しているの、コーディア」


 瞬間、女性の声が耳に飛び込んできた。落ち着いた雰囲気と、時々カツカツという床を叩く固い音がするところから、おそらくケルダだろうと推察する。


「……警戒など、滅相もない。貴方のする事に、何の間違いがございましょう」

「ならば何故、私と聖女の間に、立ち塞がるようにしているのかしら?」


 こちらを振り返ったのか、二人の会話はそこで止まった。安堵の息をついたのはコーディアで、分かりやすく声の調子が落ち着いた。


「リッキー……それに、リコル様たちも。どうなされましたか」

「聖女様のご容態が悪いと聞いて、御使い様に治していただこうと……あ、一応起きていらっしゃいます」


 返事の代わりに軽く手を上げると、コツコツと硬い音と、ゆったりとした足音が近づいてきた。ケルダだ。それはすぐ目の前で止まった。その場に座ってくれたのか、折った膝が見えたかと思うと、深い皺が刻まれた両手がアオバの頬を包むように触れた。肩に預けるようにして置かれた杖の模様と、袖口から覗く左手首の入れ墨は、同じ花を描いている。


「嗚呼……だから身を引けと言ったのに……」

「自分、で……やると、言ったんです……誰の、せいでも、なくて……」


 だから憐れまないでほしい。暗にそう言えば、ケルダは嘆息交じりに続けた。


「矜持の為に身を削るなんて、愚か者のすることよ」


 どこかで聞いたような台詞に、指先が動く。ラピエルも同じような事を言っていた。『可哀想』、『矜持や誇りの為に命を懸けるのは馬鹿のする事』──。


(あれは、誰を案じて言ってたんだろ……)


 順当に考えればビッカーピスだろうが、ラピエルは時折その場にいない、あるいは見えない、誰か別の人の代弁だったり、心配事を口にする事がある。……今考えたところで、答えはでないか。


 重い腕をどうにか動かして、頬に触れるケルダの手を上から撫でた。


「それで多くが救われるなら……愚かで、いいです」

「どうして──」

「この気持ちはきっと、セイラも同じです……」


 鋭くなった眼光を真正面から受け止めて、眠気から自然と力の抜けた笑みを浮かべる。


「僕の事も、刺しますか」


 皺だらけの手が、ビクリと動く。


「刺して、普通の人間だと、証明しますか」

「──!」


 離れようとした手を掴む。簡単に振り払わられてしまいそうな程弱々しい握力だったが、ケルダは止まった。


「貴方は……セイラが、心配だったんですよね。皆が望むような、聖女じゃないから……普通の、人間だったから……皆の期待に応えられないことが、重荷になるって……分かってたから……そうでしょう、“ただの人の、聖女様”」


 生唾を飲む、音がした。

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