◇ 07

「今日は、昼過ぎまでお時間が取れそうになくて……ですから、それまでは自由にしていただこうと、お伝えに参りました」


 リコルの問いに、セイラは聖女らしく体裁を整えてそう返した。よくよく見て見れば、今日のセイラは、初めて会った時とも、話し合いの時とも寝る前とも違う、巫女のような色合いではあったが格式張った衣装を身に着けていた。


「私はこれから、世の平穏を精霊にお祈りせねばならないので……それが少々、時間がかかるものですから」

「そうでしたか。それなら、他の……それこそ星詠みに頼めばよかったのでは?」

「皆、体調を崩しているのです。どうにも、リコルさんが来たことで精霊たちが妙に盛り上がって……盛り上がり過ぎているようでして、コーディアやケルダ以外は、皆その騒がしさにあてられてしまった、らしいです」


 アオバと同じく精霊の気配に疎いセイラは、イマイチ納得していない様子で伝聞を口にした。この場で唯一の星詠みであるウェルヤだけが、うんうんと頷いた。


「日を跨いでどんちゃん騒ぎですからね……寝不足の者もいることでしょう……これにあてられないとは、ケルダ高次官殿はもとより、コーディア殿も優秀な星詠みのようですね。あの若さで代次官を務めているだけあります」

「本人に伝えておきましょう。喜ぶと思います」


 くすくすと笑って、セイラは「では、また後程」と丁寧に頭を下げて立ち去った。


 既に廊下に出ていたリコルは、開けっ放しだった扉から顔を覗かせ「なら、朝食まで体を動かさないか?」と提案してきた。また外周でもするのだろうかとやや敬遠しかかったのが見て取れたのか、リコルは「違う違う」と穏やかに手をヒラヒラとさせた。


「散歩だよ。もう走り終えているから」

「あ、だから水浴びした後だったんですね」


 リコルの言い分ではさも、寝起きにちょっと廊下に出たような雰囲気だったから、単純に朝に水浴びをする習慣があるのだと勘違いしていた。


 散歩ぐらいなら、リコルとは歩幅が大きく違わないので、そう疲れる事は無いだろう。分かりましたと頷いて、のそのそと着替えの準備を始める。


「玄関で待っているから」

「はーい」

「あと、アオバ君」


 呼び止められたので振り返ると、閉じかけていた扉を手で押さえたリコルが、にっこり笑顔を浮かべていた。


「昨日、薬は飲んだ?」

「…………ないです」

「そんな気がしてたんだ。今日はちゃんと飲むんだよ」

「うん……」


 友人に叱られたような気分になりながら、扉が閉じると同時にため息をついて、壁にかけていた上着から薬を引っ張り出す。


 薬を飲まなかったのには、一応理由がある。精霊の呪いを遅延させる薬ということは、今アオバについているらしい精霊に影響が与えられるのではないか、と考えてしまったからだ。呪ってきているとはいえ、元はと言えばアオバが何か気に障る事をしてしまったのだろうし、その上さらに苦しませるような事になったら可哀想だ。


 何より、今はリコルが近くにいる事で呪いの症状は治まってしまっている。なら、無理に飲まなくてもいいのではないか? そんな考えが要因となり、飲まずにい続けていた。


(でも飲まないと、呪いの事で心配する人もいるか……)


 今のアオバは、どこにでもいる誰かではなく、御使い様なのだ。無用な心配をかけないためには、飲まねばならない。薬を前に内心精霊に謝罪をしてから、朝食後に飲もうと決めて、ため息を吐いてそれをポケットに仕舞い直した。


 着替えを済ませ、備え付けの洗面台で、片手で顔を洗い、鏡を覗き込む。頬に作った治りかけの切り傷を一瞬視界に入れ、おさまりの悪い癖毛を手櫛で押さえ込んだ。それから顔全体を眺めてみる。少し血色が悪いように思えたのは、目の下に隈がうっすらと出来ているからだろうか。


「ペルル。顔洗った?」

「あらたー」

「お。偉いね」


 足元でうろうろしているペルルを鏡越しに見る。部屋の中だというのに、相変わらずポンチョを羽織ったままで、胸元の茶色い元・糸切狭に視線を落としている。


 近くに掛けられていた布で顔を拭きながら、何気なくその光景をじっと見る。半透明の糸切狭は、周囲の光を通して、明るい茶色の光で白い布に色をつけていた。


「……あっ、アオバの色ってそういうこと?」


 鏡に映った自分の目を見て、ようやく気付いた。やや童顔に見られる要因である自身の顔のパーツ、明るい茶色の目の色が、ペルルの胸元にある糸切狭と似た色をしていたのだ。


 しばらく不可解そうな顔をしていたユラも気づいたのか、「ああ」と声を漏らした。


「ペルルの名前を付けた時、目の色に言及していたからか」

「そっかそっか、それで目の色で、茶色が僕の色だと思ったんだね。それなら、ユラさんの色の方が良かったのに」


 真っ白な服に茶色の留め具を使うよりは、ユラの色──灰色──を使ったほうが、まとまりがあるだろうに。顔を上げたペルルにそう話しかけると、ペルルはやや大げさに体ごと首をかしげた。


「ゆらのいろ、なかったからー」

「そっかぁ」


 あったら、どちらを選んだのだろうか。ペルルの趣味を考えつつ、左手に巻いていた包帯を取る。手の平いっぱいにできた一文字の傷が、かさぶたになっていた。その傷以前にできた、フラン・シュラに手を入れた時の溶け跡を指でなぞると、ジリジリと痺れるような痛みが少しした。


 医師がまだ忙しくてアオバを診られなかった間にグランから教わった、手当の手順を思い出しながら実行する。薬を塗ったところで、ペルルを連れて部屋を出る。歩きながら包帯を巻きなおすのに少々手間取ったが、とりあえず形にはなった。


 そうこうしている内に、玄関ホールにたどり着いており、ウェルヤに小言を垂れられていたリコルがこちらに気づくと、パッと明るい表情になった。


「ああよかった。ほらウェルヤ、小言はもう十分だろう、アオバ君も来たし」

「人が体調不良を押して注意しているのに、貴方ときたら……」

「具合が悪いなら休んでいてくれ」

「危ない。立場が違っていれば殴るところでした」

「君と私は主従ではあるが対等だ。殴ってくれても構わないよ」

「避けたうえで反撃してきそうだから嫌です。絶対、悪意なく急所に攻撃してくる」


 テンポ良く会話する二人を見て、思わず笑みを浮かべた。歳は離れているようだが、やはり幼少から一緒だと互いの都合が分かっているのだろう。中々腹を割って話ができるような友人に巡り合わないので、こういった関係は羨ましい。


「すみません、お待たせしました」

「いや、良いところで来てくれた。これ以上ウェルヤに小言を言わせたら、彼が過労で倒れてしまうところだった」

「そう思うなら行動を改めてもらえません?」

「この命が私一人のものでもない限り、それは難しい話だろう?」


 あっけらかんと答えるリコルに、ウェルヤは大きくため息を吐いた。


「あのぅ」


 その時、一人の女性が玄関扉のすぐ横にある、大きな窓からこちらに声をかけて来た。開閉の出来ない飾り窓なので、声が少しくぐもって聞こえる。


「はい。どうされましたか?」


 扉を開けると、赤毛の女性は獣のような耳をピクリと震わせた。ラバ族だ。近くで見るのはこれが初めてで、ついまじまじとその耳を見てしまう。


(やっぱり、ラピエルの姿ってこのラバ族だよな)


 伝承にある最初の贄、ランの姿がラピエルなのだろうか。観察するように視野を周囲にも広げると、女性は大きな荷を背負っていた。走ってきたのか少々息を切らしていたものの、それも次第に落ち着き、棒状に丸めた布が飛び出る程の大量の荷を物ともせず背負い直すと、女性は興味深そうに大きな目でアオバを見つめ返してくる。


「あら、初めて見る人。新人さん?」

「え? ああ、いや、僕は昨日から諸事情で泊っているものでして」

「お客さんだったの! ごめんなさい、新しい星詠みの方かと思って……あー、じゃあ、どうしよう。どなたか、屋敷の方を呼んでもらっても……?」

「はい。ええと、お名前を窺ってもよろしいでしょうか」


 星詠みたちは皆、体調不良だと聞いているが、誰か応対できる人はいるのだろうか。星詠み以外の人物がいそうな場所を頭の中で探しつつ、女性と目を合わせる。


「デック=ローロイロです。運搬屋と言えば分かると思います。裏口が開いて無かったので、お荷物の置き場に迷っています……」

「分かりました」


 一歩退いて屋敷に戻り、辺りを見渡す。遠くで、カツカツという固い足音が聞こえる。


「ペルル、ちょっとだけリコルさんたちと待っててね」

「うん」


 ペルルをリコルたちに預け、階段を上がると、付いて来てくれていたユラが「右だ」と声を飛ばしてきた。言われた通り右の角を曲がると、数人の星詠みたちが通り過ぎていくところだった。


「すみませーん」


 声をかけながら小走りで駆け寄ると、最後尾にいた人物が振り返り──頭を抱えて蹲った。


「えっ、大丈夫ですか!?」

「うぇ……」

「何事……うっ」


 その近くにいた星詠みもこちらに気づくと、顔をしかめて後ずさった。それに気づいた更に前の人物が振り返り、また気分が悪そうに口元を押さえた。


 ぎょっとして駆け寄ろうとしたアオバを、ユラが手振りで制し、目線だけで周囲を見た。


「ふむ。確かに、昨日よりも精霊の動きが騒がしい。アオバに反応しているようだから、近づきすぎない方がいい」

「あ、ええと……じゃあ。その、玄関に、デック=ローロイロという運搬屋さんがいらしていて……裏口が開いていないので、荷物をどこに置けばよいか、分からないようでして」


 距離を開けたまま要件を伝えると、今にも吐き戻してしまいそうな程、青白い顔をした一人の星詠みが『分かった』と言いたげに手振りをした。


 このまま離れて良いものか迷っていると、応対した星詠みが「ちょっと待って」と苦し気に声を絞り出した。つい反射的に近づこうとして、『近づくな』と手と表情で止められる。


「お客、様に……頼む事では、ありませんが……時間が……ケルダ、高次官殿に……お声がけ、を……お願いして、も」

「は、はいっ」

「この先の、分娩室に……うぇ」

「え、ええと、僕、離れた方がいいですよね。行ってきます!」


 なるべく距離を取ろうと、壁に張り付くようにして廊下をすれ違い、言われた通り先に進む。


「……分娩室って、出産の時に使う部屋ですよね……?」


 振り返り、星詠みたちがヨロヨロと移動し始めるのを見ながら、ユラに話しかける。間があって、ユラが小さな声で「そうだな」と相槌を打った。


「病院じゃないのに、あるんですね」

「ん。この世界では家で産むのが、一般的のようだ。この屋敷に分娩室があるのは、聖騎士の卵エイ・サクレを宿した母体の保護を行っているからだろう」

「へぇ……」


 星詠みの仕事は随分多岐に渡るのだなと、感心していると、ユラがプレートのかかった扉の前で止まった。プレートに書かれた文字は相変わらず読む事が出来ない記号だが、おそらくここが分娩室なのだろう。


(それにしても、朝から分娩室にいるってどういうことだろ?)


 もしや誰か臨月の人がいるのだろうかとも一瞬考えたが、それにしては周囲が静かすぎる。産婆やその手伝いなり、何にしても人気がまるでない。戸を軽くノックし、やや緊張しながら声を上げる。


「失礼します。ケルダさん、おられますか?」

「──……どうぞ?」


 扉越しにゆったりとした女性の声が聞こえた。鳥を模したドアノブに手をかけて少し重い扉を押し開けると、ケルダが昨晩と同じ白いローブを羽織り、部屋の隅に置かれた棚に手をついて立っていた。アッシュブラウンの髪は、物陰にいるせいか昨日よりも黒く見える。


「あら、お客人様。どうされました?」

「すみません。星詠みの方に、声をかけるよう言われて……」


 そういえば何用で声をかけるのかを聞いていなかった。口ごもるアオバを見て、ケルダは細い目を閉じた。ほほ笑んでいるのか、ただ閉眼したのか、昨日少し顔を見た程度の付き合いのアオバには判断がつかなかった。

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