◇ 11
雑談を交えながら階段を下りると、一人の快活そうな衛兵が食堂から出て来たところだった。男はこちらに気づくと会釈をし、後から宿に入ってきた(顔見知りなのだろう)数名に声をかけられながらも、宿から出て行った。
「ここのところ、よく来るなぁ」
独り言のようにルファが呟き、二段飛ばしで階段を下りていく。一足先に食堂に入った彼女を追って入ると、人がごった返していた。多くは新たに置かれた祈り台の上にいるオーディールに群がり、食事をしている人、テーブルに集まって卓上遊戯に勤しむ人と、非常に賑やかだ。
「わー……満席?」
「ちょっと待ってて。遊んでる人、退けてくる」
泊っている人が優先だからね。と付け足し、気合を入れる為に袖を捲ったルファに、入口近くに座っていた人物が声をかけてきた。
「席ならここが空いてるよ。丁度、三席」
含み笑いをしながら、その人物はテーブルに肘をつき、手の平をひらひらと振って見せた。ぼさぼさ頭の青年は、長い前髪で目元を隠し、唯一晒している口元にはにんまりとした弧を描いていた。
「ようこそ、フィル・デ=フォルトへ!」
「うちの宿屋は、場所提供してないわよ」
「おっと、そうだった。というか、今は俺も休憩中だったか。失敬、失敬」
呆れたように一瞥し、ルファは食事を取りに踵を返す。
「僕も運ぼうか?」
「ううん。これは私の仕事だから。座ってて」
そう言って、彼女は軽やかな足取りで人込みの中へと去って行った。それを見届け、アオバは未だににやにやとしているフィル・デに向き直る。
「フィル・デさん……本当にこの町に来ていらしたんですね」
「ん~? 初めましてだね」
「え」
返答に言葉を詰まらせると、アティがフィル・デの隣の椅子に座った。それから、こちらに座るように視線で促しつつ、口を開く。
「フィル・デ=フォルトはどの町にも大抵いるぞ。別の町にいる別のフィル・デ=フォルトに会ったんじゃないのか」
「そう……そうなのかな……すごく似てるんだけど。御兄弟とか、親戚ですか?」
アティの視線を受けて、先にペルルを座らせながら質問をすると、フィル・デはくつくつと笑いをかみ殺しながらパンを手に取った。
「いやぁ? 全くの他人で、何の縁もゆかりもないながら、似たような顔をしている。俺たちはそういうもの、なのさ」
どういう意味だろうか。ちらりとユラに視線をやるが、彼女も眉をひそめるばかりで、お得意の解説は無かった。
フィル・デは大してこちらに興味は無さそうだったが、丁度自身も着席したアオバの首元を見ると、「お」と声を上げた。
「おやおや、その珍しい形の首飾り。兄弟でも親戚でもない、他人のフィル・デ=フォルトから聞いた事がある」
ぎくりとして、思わず動きが止まった。妙な事を言いふらさないかと、やや疑り深く相手を見据えると、視線に気づいたフィル・デは肩をすくめた。
「……なんでも、とっても羽振りの良いお客様だとか!」
何か言いたげにアティが睨むようにフィル・デを見つめたが、そんなものは効かないと言わんばかりに、フィル・デは手にしていたパンを口に放り込んだ。
「今はその、お金はちょっと……」
「ああ、盗られちゃったんだろう?」
「あ、いえ。僕が崖から落ちちゃっただけです」
「あっはっは。そんな無警戒にあの女と一緒に行動したなら、当然の結果だね」
「ロゼさんの事、知ってるんですか?」
暇そうにテーブルに顎を乗せたペルルの頭を撫で、逆に乱れてしまった髪を戻していると、フィル・デは「お得意様になってくれそうだから、特別にお金は取らずに教えてあげるけれど」と切り出した。
「あれは、あっちこっちで有名な盗賊だよ。化粧を変え、髪型を変え、服の趣味だって変えて、しまいには名前も変えて別人に成り済ます女さ。ロロッタに、エイーユ、コーレンス……君にはロゼと名乗ったか。さてはて、この中に本当の名前はあるのかな」
にたにたと笑いながら、フィル・デは続けた。
「あれは怖い人間だよ。人には大なり小なり才能があるけれど、奴はその『才能を持った人間』が大嫌いなのさ。そして『才能の無い人間』を蔑み、『自分』しか愛せない。……まあ、彼女に限らない好みの話だけどね」
「それだと、人間は皆怖いもの、みたいですよ」
「見る角度を変えれば、誰だって恐ろしく見えるのさ。現に俺も、崖から突き落としたあげく金銭を奪った女を、いつまでも庇う君が不気味に見えている。君自身が悪い子じゃないのは、なんとなーく分かるが……もしかして、人の悪いところが見えない目なのかな?」
冗談交じりにそう言って、フィル・デはこちらを覗き込む。少し顔が近づいたからか、ぼさついた上に毛量の凄まじい髪の奥に、フィル・デの双眼が見えた。クマが浮いたタレ目だった。
(変わった色だな……それに、瞳孔が光ってる……?)
前髪で出来た影の中で、瞳が薄ぼんやりと光って見えた。その僅かな灯りのせいか、目の色全体が、特殊なフィルムでも張ったかのように、見る角度によって違う色に見える。
これも精霊が関わっている事なのだろうか? 気になって見つめ返していると、二人の視線を遮るように、大きな音を立ててテーブルの真ん中に皿がいくつか置かれた。湯気に焦点が移ると、フィル・デが少し退いた。
「あともう二皿あるから」
振りかかった声はルファのもので、いつの間にか隣のテーブルの空き皿をかき集めていた。
「いや……多くないか?」
既にテーブルいっぱいに近い料理の数々に、思わず、と言った風にアティが呟くと、ルファはあっけらかんとした様子で「入るでしょ」と返した。
「しかし、冬支度の前にこんな……」
「しょうがないでしょ。お兄ちゃんが帰ってきたみたいだって、喜んで作っちゃうんだから。それにほら、今日はアオバともう一人もいるし」
「ごめん、ペルルはそんなには食べない……」
「じゃ、アオバが頑張って食べてね!」
強引だなぁと、少し抗議的にルファを見やれば、やや不自然にアティと目を合わさないようにしながらも、どうにか取り繕っているのが見てとれた。先ほどの部屋での会話をしようかと考えている間に、ルファは厨房の方へと駆けて行った。
(食事時だし、忙しいか)
後にしよう。そう決めてスプーンを手にし、脇に置かれた取り皿にペルルの分を入れていると、不意にペルルが席から降り、少し離れた先の水瓶から水を汲んで戻ってきた。ぼんやりとしているように見えて、意外と周囲をよく観察しているようだ。自発的に水が飲みたかったわけではなく、周囲の人たちが汲んでいたから真似をした、というのが正しいかもしれないが。
一度褒め、次に行動する時は声をかけてね、と注意も付け足している内に、再びルファが戻ってきた。持っている二つの皿には、料理が山のように盛られていた。
「はい、これで最後ね」
「はぁ……食べるか」
覚悟を決めたように、アティがため息交じりに食器に手を伸ばし、口に料理を詰め込んだ。アオバも手を合わせてから、やはり見慣れない食材で出来た料理を口に運んだ。以前いた町とは違う香料が使われているのか、少し香りが違った。
見慣れたものがあるかと思えば味や触感が違ったり、馴染みのない味付けの料理に脳みそが大混乱するのを感じながら食事をしていると、そちらは食事も終了間際で暇を持て余したのか、フィル・デが「さて」と手を打った。
「それでは、何者にもなりうる少年にお得意様になってもらうべく、ちょっとした『お話』でも聞かせよう」
「お話、ですか?」
「そう。と言っても、ストゥロの真似事だけどね」
どこからか本を取り出して、フィル・デはページを捲った。そのほんの少しの風圧に押されるように、ページの隙間からパラリとうす紫の花びらが舞う。興味が引かれたのか、ペルルがスプーンを握ったまま、その本をじっと見つめている。
「彼の者の人生が動いた時、この物語も続くのさ。ではでは。最初のお話から、始まり、始まり」
フィル・デの言葉を合図にしたかのように、料理の上で揺れる湯気が、風もないのにふわりと動くと、人の形を模した。
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